【5】絵本童話(1)
「
真剣をぶつけ合っている最中の声に、
視線を逸らしたのは、束の間。次の瞬間には訓練相手の数人に視線を戻し、峰で次々に打つ。そして、
「隙が見えたらすかさず、いつでも俺を仕留めるように狙えと言っているだろう! もっと本気になって、俺を殺す気で来い」
と、声で威圧する。
うずくまる剣士たちに、悔しさの色は浮かばない。そんな剣士たちに、
ふと振り返ったが、
「駄目だ。未だ危機感を持つ者が誰一人としていない」
「平和になりましたね」
「俺が今の立場になる前とは、大違いだな」
やわらかかった大臣の表情は、苦笑に変わる。
確かに
初めのころこそ行くことを強制したが、いつからか志願するようになった。目の前で多くの仲間が息絶え、自らも命の危機に遭ったというのに。それから今度は体がぼろぼろになって動けなくなっても、わずかに動くようになれば戦地へ行くと言いだして、
あのときの大臣は必死だった。いや、剣士として育てるのに、必死になりすぎていたと気づかされた瞬間だった。あのまま強引に止められなければ、今の平和はなかったかもしれない。あのときの戦いは惨敗だった。
後に完治した
「いつになったら、ご帰城されるのでしょうね」
ポツリと言った大臣の言葉に、
「『あの方』です」
と、大臣は言った。
「それはないな」
「そうですか?」
「本人に帰城する気があれば、疾うに帰城しているだろう」
「だからと言って、命がないとも思ってはいらっしゃらない。つまり、ご帰城はされない……ということですか。あの方のご帰城を一番望んでいらっしゃるのは貴男だと思っていました。そうすれば……
先延ばし──それは二回してきたことだ。一度目は、大臣から延期を告げられ、二回目は自ら断った。ゆえに、本人には先延ばしにしたという自覚はない。
間があいたのは、そのため。意味を理解した
「俺に結婚する気はない」
強い口調で言ったあと、次第に
「
「それは、本心ですか?」
大臣の声は
「くどい。
「いいえ。ただ……」
うつむく
「辛そうですね」
大臣の声に、
「断ち切りたいだけだ」
切り捨てるように言い、渇を飛ばし稽古へと戻っていく。
決して太くはない、いや、むしろ線の細いうしろ姿を見ながら大臣は、
「それは、『どちら』と私は受け止めていいのでしょうか」
と、独り言を呟く。
過去をぼんやり見ていた大臣は急速に現実に戻り、目を疑う。先ほどまでの雰囲気を払拭し、
「そうだ、頼みがひとつあった」
「なんです?」
大臣の言葉と同時に、一度、
「絵本童話を……取ってきてほしい」
と、小声で言う。そのこっそり言われた言葉に、大臣は目を見開いた。
「
「あそこは私も出入りできるような場所では……」
「誰かに見られたとき、大臣の方がいくらでもごまかせる。絵本童話は忘れ得ないが、現物を見ていただいた方がいいと思うんだ。稽古が終わるころまでに、俺の部屋に置いておいてくれないか」
稽古が終わるのは、昼食を挟んで三時間後だ。時間がないわけではないが、あるわけでもない。
「お言葉を返してもよろしいですか」
「よろしくない。言うことは、だいたいわかる」
過去の絶対的な師弟関係はどこへやら。
言い返す術のない大臣は、無言のまま稽古場を去る。返事はなかったが、
そして、案の定、絵本童話は無事に
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