【第四幕】- Beloved daughter -

 あれから私は、同じ年、同じ月、同じ日である五月二十九日を何度――、いえ、何十度過ごしたことだろう。娘を外出させなかったり、娘と一緒に出かけ最大の注意を払っても、要因は違えど必ず娘は変わり果てた姿となった。私が隣にいても関係がない。直前に防ごうとして娘に抱き着いたこともあるが、なぜか私は無傷で娘は――。


 私の精神は崩壊していた。ノートは手元にはない。ノートを求めて骨董屋に出向いたこともあるけれど、いつも店は閉まっていて呼んでも誰も出なかった。正直、もう打つ手はなかった。私は一生、五月二十九日の短い時間を娘と一緒に過ごすことしか出来ないのだと諦めた。


 そう、決して間違ってはいない。私があの日ノートに書いた言葉の通り、娘の元気な姿を一生見て過ごす事が出来る。その日の夕方までは。



「ママ。ママってば。ママ! 起きてってば! おやつどこー!」


 腕を捕まれ、激しく揺すられて私は目を覚ました。変わらずダイニングテーブルで寝てしまっていたのだった。また五月二十九日がやって来たのだ。私にはもう悲しむ感情などなかった。今日もまた娘は変わり果てた姿となり、また明日がダイニングテーブルにやってくる。その繰り返し。だからその短い時間だけでも娘をこれ以上ないほどに愛そう。そう決めていた。


「あ、ごめんねサトコ。お母さん寝ちゃってたみたい」


 そう娘にそう言ったが、目に映る物の色が赤みを帯びている。すぐに窓がある方向へと顔を向けて外を見た。


 朝じゃない!


 私は、何度も見て嫌になっていた日捲りカレンダーを恐る恐る見る。


 ――五月二十九日。


 カレンダーは、五月二十八日が切り取られていて二十九日を示していた。それだけではない。テーブルの上には‶未来ノート″と書かれた大学ノートがあった。骨董屋から貰ってきたノート。未来を決められるノート。必死でどんなことを書こうか悩んでいたノート。現実なんだ。戻って来たんだ、あの悪夢から開放されたんだ。言葉にならない言葉が私を支配して、奥底からこみ上げてくるものを感じる。


「ママ、どうしたの? 大丈夫?」


 心配そうに下から覗き込む娘に、一生懸命に笑って見せた。


「ごめんねサトコ。大丈夫だよ。おやつ食べようか」


 私は立ち上がり、冷蔵庫からゼリーを出して娘に渡した。


 私は、ゼリーを食べる娘の前に座り、目の前に置かれた‶未来ノート″と書かれた表紙を見てあることを思い出した。


 昔、お母さんがノートの話をしていた。なんでも叶ってしまうノートを手に入れて使ったことがあると言っていた。それを聞いた私は信じなくて、お母さんの作り話を笑ったんだった。今は、あの話は本当だったのではと思える。


 ここにあるノートが本物かどうかは分からない。だけど、これが本物でも偽物でも、私には必要のないものであることは確かだった。


『未来が分かっている人生って、案外つまらないものよ。未来が分からないからこそ、人間って一生懸命になれるんじゃないかな』


 お母さんが言っていた言葉が胸を突いた。

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