【第三幕】- Repeat -

「ママ、おはよう」


 いつの間にかテーブルにうつ伏して寝てしまった私の腕を揺する娘。


「サトコ!」


 娘を力いっぱい抱きしめる。ノートだ。未来ノートに書いたことで願いが叶ったんだ。本物だったんだ。ありがとう、ありがとう。何度も何度も感謝した。


「痛いよ、ママ」


 娘は、離れようと力いっぱい私を押す。なぜ抱きしめられているのか分からないだろう。それでも、腕の中にある娘の感触をもう少しだけ感じていたかった。


「なんでもないからね。痛くしてごめんね」

「ママ、大丈夫?」


 私を心配してくれる娘。やっぱり可愛い。もう絶対に死なせたりしないからと、心にしっかりと刻む。


「そうだ、サトコ。今日誕生日でしょ。パパも一緒にお外でご飯食べようか。好きなもの食べていいわよ」


 本当は迎える事ができなかった誕生日を盛大にやろうと思った。七歳になった娘を祝ってあげたかった。


「ママ。私の誕生日明日だよ。五月三十日、忘れちゃったの?」


 そんなはずはない。昨日――五月二十九日の夕方を覚えている。あの鳴ってはいけない電話は夕方に鳴った。今は朝。慌てて日捲りカレンダーを見た。


 ――五月二十八日。


 朝起きて、眠い目を擦りながら必ず日を捲るのが日課のカレンダー。一度だって忘れたことはない。それが二十八日を示していると言う事は今日は二十九日。


 そんなことって――


 ノート。ノートはどこ。昨日、何度も書き殴ったものを見ようとテーブルの上を見渡すが――ない。ノートどころかテーブルには何もない。


 ――夢。あれは夢だったというのだろうか。でも、今日は二十九日の朝であってノートも存在しないのだから、そう考えるしかなかった。


 私は娘を学校に送り出した後、何もすることが出来なかった。する気力がなかったと言っていい。強制的に納得はしてみたけれど、夢にしてはあまりにも現実味があり過ぎた。娘を失ったときの胸の痛みが、未だにしっかりと残っている。でもノートはない。娘もちゃんと学校へ行った。あれは本当に夢だったのだろうか。


「ただいまー」


 玄関口で大きな声とともにドタドタとした足音が響く。娘が学校から帰って来た。ソファーに座り込んでいる間に、かなりの時間が過ぎていたことに気が付いた。「おかえり」と言ってみたものの、これが現実なのか夢なのかも理解出来ていない。相変わらずランドセルを部屋に投げ込むと、いつもの言葉を言う娘。私は、おやつの場所を娘に教えた。


「いってきまーす」

「サトコ待って!」


 ゼリーを食べ終わった娘を急いで引き止める。


「ハルナちゃんのところにいくのよね?」

「うん」

「車が絶対通らない広い場所で遊びなさい。なんだったら、ウチに連れて来てもいいから」


 昨日のことが夢だったのか、本当だったのか。今が夢なのか、現実なのか。そんなことを考えるよりも、娘を事故に合わせないようにするしかない。だから私は、少し強めに言った。娘は、少しふくれた顔をして「分かった」と玄関の扉を閉めた。


 夕方、鳴らないことを祈りながら電話機の前で待機していた。しかし、私の願いも虚しくけたたましい音で鳴り響いた。「もしもし……」と声なく電話に出ると、やはり警察からだった。公園に仕掛けられていた爆弾が爆発し、娘が巻き添えになったことを教えられる。私はその後の記憶を持たない。


「ママ、おはよう」


 そう言って私の腕を揺する娘に起こされる。電話の前にいたはずの私は、またダイニングテーブルに座って寝ていた。娘に朝の挨拶もせず、私は慌てて日捲りカレンダーを見る。


 ――五月二十八日。


「――もうやめて。お願いだから……」


 私は下を向き、顔を手で覆って誰に願っているのかも分からずそう言った。身体が冷え上がり震えた。自分を抱きしめて震えた。怖かった。何もかもが怖かった――。

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