第6話 執着

 そして、あの日。

 試験前ではあったけれど、なんとなく街をぶらぶらしていたあやは、そこでたまたま他校の制服を着た美優と、自分の学校の制服を着た男子とが仲よさそうにハンバーガーショップにいるところを見かけたのだ。

 あれが、今回のことのすべての始まりだった。


 高校生になった美優は、相変わらずすらっとした、少年のような少女だった。

 相手の少年が誰だかはまだ知らなかったけれど、彼を見返す美優の表情がなぜか、ちりちりとあやの胸を何千本もの針で突き刺し、焼き焦がしたのだ。

 美優は、今まで見たことがないぐらい楽しげな顔で、彼との会話を本当に楽しんでいるように見えた。時には大笑いして、彼の額をこづいてみたり、それはもう、ただの友達とは思えないぐらいに打ち解けた様子だった。


 だから初めは単純に、「ああ、付き合ってんのね」と思ったのだが。

 物影からそっと観察しているうちに、どうやらそうではないことが分かってきた。何より二人の間には、普通のカップルなら必ずかもし出しているような恋愛感情らしいものがいっさい見えなかった。

 やがて、そのままハンバーガーショップの椅子や観葉植物に隠れるようにしながらなんとなく聞こえてくる会話を拾っているうちに、どうやら二人は同じ趣味をもつ友達らしいことが分かった。

 要するに、マンガや小説を書く仲間としての、特別な友達同士なのだということが。

 さらに、相手の子は男子であるにも関わらず、どうやら美優と同じ「腐」と呼ばれる人種であるらしいということも。


 その後、二人が別れるタイミングを見計らって美優に声を掛け、ふたりが付き合っているのでないことは確認した。

 その時は、それで済ませるつもりだった。本当に、そのつもりだったのだ。

 でも日を追うごとに、胸の中の奥底でもやもやしていた何ものかが、どんどん膨らんで爆発しそうになってきた。それが一体なんなのか、あやにだって分からなかった。ただ、いますぐ何かをしなければ、この胸のなかの不快感が決して去らないことだけは分かっていた。

 そうして気がついたら、あのハンバーガーショップでこっそりと隠し撮りしていた二人の写真を、「かわいい二人、み〜っけ」とかなんとかいうコメント入りで周りじゅうに流していたのだ。





「結局、べつにそれは大したことにはならなかったけどね。まったく、あんたたちってずるいわよ。二人とも、そばにちゃんと守ってくれる『ナイト様』を持ってるんだから。ほんっと、ずるい――」


 憎々しげにあやが呟く。いつのまにか、かちかちと自分の親指の爪を噛みながら。


(そういうことか――)


 僕は胸の塞がれるような思いのまま、じっとあやの横顔を見つめていた。

 最初のその一撃を、僕らはわりに難なくこなしてしまった。いやもちろん、しのりんはそれどころではなかったし、あんなに泣いて大変だったんだけれども。それでもこのあや自身には、そんな事態は見えていない。彼女にしてみれば、あの程度の反応では溜飲はひとつも下がらなかったということだ。

 だから、事態はエスカレートしてしまった。

 彼女は僕らが話していたことの端々から、僕らが夏の例のイベントに参加することを知ったのだろう。そして、日程や場所を調べ、僕らが参加するその日に、わざわざ会場まで足を運んだ。

 あとは、僕らみんなが知っている通りだ。


 あやは、爪をがちがち噛み鳴らしながらぶつぶつ言い続けている。

「だから、あんたたちはずるいのよ。そうやって、人に守ってもらってるくせに、自分がどんなに恵まれてるかも分かってない。感謝もしない。それが当然だなんて思ってる……!」

 それはもう、僕らに聞かせているというよりは、自分自身に言い聞かせているだけのようにも見えた。

「だから、気がつかせてあげたのよ。あんたたちはちゃんと恵まれてるって。だから、当然なのよ、こんなことぐらい! この程度のことで、傷ついたのなんだのって、そんな騒ぐほどのことないじゃない。マンガや小説を書く人たちって、なんて心が繊細でいらっしゃるのかしらね。バッカみたい――」


 僕はただもう、呆然としながら問い返した。

「当然……? それ、本気で言ってるの」

 開いた口がふさがらないとはこのことだと思った。

 背後にいる茅野やしのりんも、それは似たようなものだった。

「そうよ。決まってるでしょ」

 高杉あやは、ふんと鼻を鳴らしてこちらを見下すような目でにらみつけた。


「ゆのは、平気になりすぎなんだよ。人は何もしなくても自分を好きになってくれるとか、思ってない? そんなわけないよ。ものすごーく努力して、振り向かせようとがんばって、好きになってもらうために色んなものを読んだり見たりしてさ。相手のイヤなところにも必死になって目をつぶって、そうやってみんな、ものすごく頑張って『お友達』をやってるの。ゆのにはそういう努力が足りない。そりゃそうよね、だって何もしなくたって人が寄ってくるんだから。だから、大事な相手にろくに感謝もしないのよ……!」

「…………」


 僕はちょっと、言葉をなくした。

 自分が彼女からそんな風に見られていたなんて思ってもみなかった。

 つまり彼女は、自分はこんなに努力しているのに人から認められず、好きになってもらえないのに、僕がたいした努力もなしに人から好かれているらしいことを非常に不満に思っていたわけだ。要するに、その状態に胡坐あぐらをかいていると言いたいのだろう。

 それは稀有けうなことなんだから、少しでも自分によくしてくれている人――この場合は高杉あや本人のことだけど――に、もっといっぱい感謝すべきだし、相手をもっと大事にするべきなんだと主張しているわけだ。


 そして、それをしなかった僕に恨みを抱いた。

 僕からすれば、なんだかもう本当にお門違いもはなはだしい「恨み」だと思えるけれど、あやにとってはその論理こそが至上であり、「まぎれもない正義」なのだろう。

 これはもう、どうしようもない。

 根底にあるのが、あの素敵なお姉さんに対する恨みや嫉妬や、自身のコンプレックスだというところもまた、僕らにはどうしようもないことだった。

 それは他人がどうこうできることじゃない。本人が自分でそれに気づいて、自分自身でどうにかするしかないことだ。少なくとも、いまのあやのように「全部相手のせいだ」と問題をすりかえて考えるしか出来ない人には、それは遠い道のりだろうと思うけれど。

 言ってみればこれはあや自身の問題であって、僕らの問題ではないからだ。


「えーと。お言葉を返すようだけど。僕も本当に大事な友達には感謝してるよ。会えたこと、友達になれたこと、良かったと思ってる。ものすごく大事だし、大好きだし」

 そう言って僕は、すこし後ろを振り向いた。そこにあるベンチには、顔色をなくしたしのりんが座って、大きくてこぼれそうな目でじっとこちらを見ている。

「だから、僕なんかのせいで変なことに巻き込んで、傷つけるようなことは絶対にないようにとも思ってる。……それに」

 僕はここで、少し声のトーンを落とした。そうして冷ややかにまっすぐに、あやの目を見返した。

「少なくとも、僕はどんな理由があれ、自分の大切な友達をあんな風に追い詰めたような人を、もう友達だなんて思わない。だから、感謝なんてもちろんしない。……悪いけどね」

「…………」


 さっとあやの顔色が変わった。

 そうして僕は、静かに彼女に向かって言った。


「分かるよね? あやっち。……君のことだよ」


 そう。

 その、ダメ押しのひと言を。

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