第7話 ともだち


「確かに、君の言うことにも一理あるとは思うんだよ。自分なりに一生懸命に書いたものを人が褒めてくれるのは、素直に嬉しいものだからね。……でも、それはその言葉が、本当に本心からであるときだけでしょ?」


 僕はごく淡々とあやに向かって言葉をつむいでいる。

 対するあやは、凍りついたようになって僕を凝視しているだけだ。


「君、僕がわかっていなかったと思ってるの? 君が無理して僕のかいたものを褒めてくれていたってこと。そんなので、僕が本当に喜んでるって思ってた?」

「…………」

「正直、悪いんだけど、君の褒め言葉にはいつもちょっと戸惑っていた。むしろ、少し迷惑に思うぐらいのことだった。物書きなんて、君の言うとおり、ちょっと精神的に幼いところがあるわりに、へんなプライドだけは高い生き物だからね。だから、本当に理解してくれているわけじゃない人からおざなりの褒め言葉をもらったって、へそを曲げちゃうのがオチなんだよね。……困った生き物でしょ?」


 僕は意識的に、ちょっと自嘲ぎみの笑みを浮かべた。

 そしてまた、ちらっと背後で座っている人を見た。


「だからさ。たとえばしのりんみたいな人から褒められるのは、もうほんとに、天にも昇るぐらいに嬉しいんだ。逆に、別に本気で絵をかいたり文章をかいたりしているわけでもない人から、簡単に『すごいね、うまいね』って言われても、どうもぴんと来ないんだよ。それが本心からじゃないなら、なおさらかな」

「…………」

「感謝の念が足りない、っていうなら確かにそうなのかも知れないよね。君だって、僕とつきあうために君自身の貴重な時間や労力は無駄にしたわけだし。そのことは悪かったのかもしれない。だから、それについては謝るよ」


 あやは唇をかみ締めたまま、微動だにしない。


「それにさっきから、気づいてないのかな。君、『こんなに私がなになにしてあげたのに』って、何回も繰り返してる。……『あげる』って何? 『こんなにしてやったのに』って思いながら人と付き合うって、それ、本当に友達のすることなの? 『こんなにしてやったんだから感謝してもらって当たり前、好きになって、つきあってくれて当然だ』って思いながら付き合うのは、本当の友達づきあいって言えるのかな」

 あやは相変わらず、凄まじい目で僕をにらんでいるだけだ。

 僕はわずかに吐息をついた。

「……ごめん、僕にはよくわかんないな。むしろスタート地点から、何かが間違ってる気がしてしかたがないよ。それが子どもなんだって言われるんなら、まあそうなんだろうと思うけどね」

「…………」

「でも、もしも『それが分かるようになるのが大人だ』っていうんだったら、別に僕は一生大人になんてならなくていいよ。そんな貧しい付き合い方しか知らない大人になんて、なる意味ないと思うから」

 僕はほんの少し、苦笑するように唇を歪めて見せた。

「ましてや、自分が思ったような見返りがなかったからって逆上して、こんなことをやってしまう人を、普通、友達とは呼ばないよ。……残念だけど、あやっちの思う『友達』と、僕らの思う『友達』とはかなりちがうものみたいだ」


 こんなことを言ったって、彼女の心にはひとつも響きはしないんだなんてことは分かっていたけれど、僕はそう言うことをやめられなかった。

 そしてやっぱり、ちょっと言い過ぎてしまったことを後悔した。


「……ごめんね。ちょっと言い過ぎた。別に僕、自分がこんなこと言う資格があるとは思ってないよ。僕だって、あれもこれもダメダメだ。失敗だって色々する。君が知らないだけで、いろんなダメなことを抱えて生きてるよ。ここで話すことはできないけど、君の知らないような……たぶん聞いてもわかんないような苦労も、実は結構抱えてる」

「ゆのぽん……」


 背後から、しのりんの優しい声が聞こえた。

 彼女の声は、まるでその場の癒しの水みたいに思えた。


 それは、人に言えないようなしんどいこと、苦しいことを抱えて生きて来た人だけが出せる声だ。つらい思いをした人だけが、真実、つらい思いをした人の気持ちに寄り添える。

 僕は少し振り返って、しのりんにそっと笑いかけた。

 しのりんも、僕を見て泣きそうな顔でちょっと笑った。


「なによ……、なによ。わけ、わかんない――」


 目の前の高杉あやはそんな僕らを見て、不満いっぱいの顔のまま、それでももうその舌鋒をそれ以上は鋭くできなくなったようだった。

 と、その時、これまでずっと黙っていた茅野が、とうとう口を開いた。

「……んで? どうすんだ、あんた」

「どうするって、何がよ」

 あやがじろりと茅野をにらみ返す。

「あんたの出かた次第では、俺らも考えがあるんだよ。この場でちゃんと、自分のしたこと認めてシノに頭さげるんだったら、今回はこのまま不問にしてやる。……けど、そうできねえって言うんだったら――」


 そうして茅野は、無造作に制服の胸ポケットから小さな機器をとりだした。

 それは小型の録音機器ボイスレコーダーだった。


「いま録音してたこの会話、みんなにばらまく。言ってみりゃあ、それでちょうど、おあいこだからな」

「……!」

 あやの顔が、さっと青ざめたのが分かった。


「あんたたちっ……!」


 次には、かあっと赤くなる。

 その両目がぎらぎらとこちらを睨みつけているのを見返しながら、人の顔色ってこんなにどんどん変化するんだなあなんて、僕はなんとなく他人事ひとごとのようにそう思っていた。





「じゃあね、茅野。今回のことでは、いろいろありがと」


 しのりん、茅野とともに彼らの通う高校からバスにのって駅まで出てから、僕はあらためて茅野に向き直った。駅の構内、その改札前である。


「……いや。今回のこたあ全部、俺がやりたくてやったこったし。礼なんざいらねえよ」

 茅野は制服のスラックスのポケットに両手をつっこんだまま、こちらを見る風もなくそう言った。彼は飽くまでも、これは自分と自分のお兄さんにまつわる話であって、厳密には僕らのために動いたのではないという「建前たてまえ」を崩さないつもりらしかった。そうして軽く、自分の胸ポケットを上から叩いた。

がありゃあ、あの女も今後はそうそう、アホな真似はできねえだろ。ま、それでも注意はしとく必要はあんだろうが。とりあえずひと安心ってとこじゃねえかな」


 結局あのあと、高杉あやはしのりんと僕に向かって頭を下げ、一応の謝罪をした。とはいえもちろん、「心から」と言うには程遠いものだったし、むしろひどく不機嫌そうに頬をぱんぱんに膨らませていた。

 それでも一応、僕らは彼女から二度とこの件について蒸し返すようなことはしないとの言質げんちもとった。

 茅野の持っていたボイスレコーダーについては、三人で事前に相談し、準備していたことだった。

 こう言ってはあやに悪いのだけれど、彼女はそんなに用意周到に、また論理的にものを考えて動けるタイプの子ではない。どちらかといえばその時その時の感情に振り回されて周囲が見えなくなるタイプだ。だからこそ、こんな初歩的な罠にも簡単にかかってくれた。

 これがもし、あの橘ののか様だったら、こうも簡単にはいかなかったことだろう。


 松葉杖をついたまま、しのりんがそっと僕に微笑んだ。

「じゃあね、ゆのぽん。気をつけてね」

「うん、しのりんも気をつけて。茅野、しのりん、ちゃんと家まで送ってあげてよ?」

「ん? ……おお。当然だろ」


 わざわざ念押しされたことに茅野がちょっと変な顔になったが、いちおう素直に頷いた。彼の脇で、しのりんが少し赤くなる。

 その目が「もう、ゆのぽんったら」とこちらをなじる色になったのを見て、僕は苦笑した。


 いいじゃないか。

 甘えられるときは、甘えちゃえば。

 それがしのりんの本当に望む形ではないにしたって、好きな人のそばには少しでも長くいたいと思うのは当たり前だ。せっかくけが人でいられる間は、せいぜいそれを利用して彼のそばにいればいいんだ。


 だって、僕らの時間には限りがあるんだから。

 今はしのりんだって、ちゃんといい思い出をたくさん作っておかなくちゃ。

 これから彼とどうなるにしたって、今のこの瞬間だけでもそのぐらいのこと、許されていいはずじゃないか。


 僕は目線だけで彼女にそう返し、にっこり笑った。

 しのりんはちゃんと、僕の意図が分かったような目をしていた。

 そうしてふたりに軽く手を振って、僕は駅の改札に入っていった。


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