第4話 姉妹
「桃花ちゃんは、ほんとうにできたお嬢さんね。お勉強もよくできるし、いつもきちんと挨拶してくれて――」
幼い頃の高杉あやにとって、近所のおばさん連中やら、親戚たちのこうした言葉は耳にタコができるほどに聞き飽きたものだった。
ふたつ年上の姉、桃花はおっとりした穏やかな性格の少女で、なんでもこつこつと普段から頑張って、必ず一定以上の成績をあげ、両親や祖父、祖母らを喜ばせていた。その上、性格も本当におだやかで、妹のあやをいじめたことなど一度もなかった。
母の家事の手伝いだって、必ず言われる前にさっさとやって、いつも母からにこにこと「ありがとう、桃ちゃん。本当に助かるわ」という言葉をせしめていた。そうかといって、あやに「どうよ、私の真似はできないでしょう」といったような自慢げな態度も微塵も見せることはなかった。要は、非常に自然体だったのだ。
周囲の大人は、特にあやに向かって「お姉ちゃんを見習いなさい」だとか、「桃花ちゃんに比べてあやちゃんは」とかいったような無神経な台詞をぶつけることはしなかった。だけれども、彼らが敢えて子供には見せまいとしているそういう雰囲気というのか、心の底に沈めているとげのある気持ちの一部は、小さなころからしっかりとあやの心に引っかき傷をつくっていた。
あやはいつもいつも、「自分はおねえちゃんにはかなわないんだ」「みんな、自分なんかいなくてもいいんだ」「お姉ちゃんさえいればいいんだ」と、心の底から溢れてくる真っ黒な溶岩みたいなものをたぎらせていなくてはならなかった。
あやと桃花の両親は、ごく常識的な親である。そして、ふたりいる自分たちの娘について、子供には個性というものがあることもちゃんと理解している人たちだった。だから父も母も、決してふたりを引き比べてあやを
でも、言葉に出しさえしなければ子供に伝わらないと思うのは、あまりにも浅はかなことだろう。
あやには、ちゃんと分かっていた。
両親が、実はかれらの次女のことで、とても頭を悩ませているなどということは。
いや、それも無理のない話ではあった。なんの小言をいう必要もないほどに、ほんとうに出来のいい長女に比べて、次女のあやはなにかと不器用で感情的になりやすく、時おり爆発して部屋の中のものを壊してしまったり、しょっちゅう友達に嫌がらせをしては、たまりかねたその親から苦情がきてしまったりしていたのだから。
学校では、現実はもっとずっと厳しかった。
出来のいい姉と比べて、無神経な教師や頭の幼稚なクラスメートは何かと腹の立つ台詞をあやにむかって投げてよこした。
「なんだ、高杉。お姉さんはもう少し、数学がんばっていたぞ」だとか、「高杉先輩って、ほんと美人だよね。それに、すっごくやさしいんだってね。放送部の子が言ってたよ」だとか。ひどいのになると、「先に生まれた姉ちゃんに、才能ぜんぶもってかれたんじゃねえの、お前」なんていう、本当に
でも、あやは言い返すことはできなかった。
だってそれは、全部事実だったから。
そして、言い返すことができないぶん、憎むべき部分をもたないと分かっているあの姉を、日を追うごとに嫌いになった。
姉は本当に、完全無欠なのだ。どんなに努力してみても、自分はその足許にも及ばなかった。
自分だって容姿はそれなりだとは思っていたけれど、あの姉と自分とを並べてみると、自分のほうが上だなんてやっぱり到底思えなかった。姉は「緑の黒髪」なんて古典で表現されているようなきれいなストレートの髪によく似合う、品のいい美少女だった。みんな、「まあ、日本人形みたいな可愛らしいお嬢さんね」と、いつも姉のことは手放しで褒めていた。
対する自分は、どちらかといえばウェーブのかかった薄い色目の髪で、最近風の派手めの容姿をしていた。そしてせいぜい、いただける賞賛は「あら、妹さんも可愛らしいのね」という、とってつけたような言葉だけだった。
「そんなのは好みの問題、ひとそれぞれなんだから」とどんなに父や母になぐさめてもらっても、あやの心は晴れなかった。
同性のきょうだいのいる家庭ではありがちな話で、あやも幼い頃から姉のお下がりを着ることは多かったけれど、たとえ同じ服を着てみても、鏡の中の自分にはちっとも似合っていると思えなかった。
そして、同じ服を着れば余計に、周囲の大人の目が気になった。
「あら、同じ服のはずなのに、着る人によってこんなに違って見えるのね」と、近所のおばさんの目が言っているのを、あやはその裏側にある本当の意味も含めて、正確に聞き取っていた。
姉のまわりには、いつもたくさんの友達がいて、常に楽しそうに見えた。そして週末ともなれば、入れかわり立ちかわり、違う友達が家に遊びにやってきていた。
それに引きかえ、あやは最初のうちこそあれこれとしゃべる友達はできるのだけれども、いつのまにかその子たちから疎遠にされて、気がつくとクラスのどのグループにも入っていない自分を見いだすのだった。
姉の周囲にいる人たちの中に、バスケ部に所属する、背の高い少年がひとりいた。姿もよく、性格も明るい人で、学校でもかなり人気の生徒だった。彼はときおり、他の人たちと一緒に家に訪ねてくることもあった。そして、あやは彼がやってくるのを心ひそかに楽しみにしていた。
だってこんなことでもなければ、彼を間近で見たり、話をしたりする機会なんて、一年生のあやには皆無のことだったからだ。
でも、ほどなくあやは気がついた。
彼の目の中にあるのが、姉に対する特別な好意にほかならないのだということを。
「お姉ちゃん、あの人、カレシ?」
あやは何気ない風を装って姉にそう尋ねたが、桃花は困ったように笑っただけだった。
「いやだわ、ただの友達よ。あやちゃんったら……」
やがて学校では、彼が姉に告白して、どうやらふられたらしいという噂が流れた。
それでも姉は、誰の反感も買わなかった。「あの子ならしょうがない」という空気が、そのころにはもうとっくに、学校の中を支配していたからだ。
ただ、姉は気づいていなかった。実の妹だけは、恐ろしい反感の炎をその胸に燃やし続けていたということを。
二年にあがって、姉もその男子生徒も卒業してから、あやはやっとこれで息がつけるような気がしていた。
姉を知っている教師や生徒はやっぱり自分と彼女を比べつづけるだろうけれども、それでも相手が在校生かそうでないかの差は大きい。いや、大きいと思いたかった。
だからクラス替えもある二年生からは、心機一転、自分もあの姉のようにたくさんの友達に囲まれて、中学生活を謳歌するのだ。これまでの借りを一気に返してもらうのだと、そう、思っていたのに。
とある少女と同じクラスになったことで、あやのその夢は早々に、はかなく
それが、
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