第5話 中華街
その日、「とりあえず集まってくれ」という茅野のひと声で、僕らは例によってカラオケボックスに集まることにした。
しのりんはいつもの駅前に、男の子の格好のまま松葉杖をついて現れた。茅野も方向が同じであるため、彼女と一緒に来ている。しのりんは気のせいか、なんだか少し頬を上気させて、嬉しそうな顔になっているように見えた。
……いや、気のせいじゃないな、うん。
「なあなあ。カラオケ行くまえに、ちょっとなんか喰わねえ? 腹へった」
まだ午前中だというのに、大きな身体を維持するにはそれだけの食料が必要なのか、茅野が早速そんなことを言う。そうして、ろくに僕らの意見など聞きもしないで、駅の南側の繁華街の方へと足を向けた。
そこにはわりに有名な中華街があるのだ。夏休みということもあって結構な人出だったけれども、あそこなら屋台で比較的安くいろんなものを買って食べられる。カラオケ屋で食べるよりは安くつくだろうと思われた。
こつこつと慣れない松葉杖をつきながら、しのりんが茅野のあとに必死についていこうとしている。茅野はそんなに早足なわけではないけれど、それでもその身長だから、歩幅そのものが大きいのだ。しのりんがかなり頑張らなければ、彼の足にはついていけない。
茅野がふと振り向いて眉根を寄せた。
「……お。
そうして、ぐいとしのりんに近づくと、彼女の腕を片手で支え、有無を言わさずにその手から松葉杖をとりあげて僕に押し付けた。
「え? なに……」
僕が言いかけるのを無視して、茅野がひょいとしのりんに背を向けてかがむ。
片足だけで立った状態になったしのりんが、それを見下ろして凍りついた。
(こ……、これは。)
「え? ……ええ? えええええ??」
しのりんの目がぐるぐるしている。もう顔は真っ赤だ。
対する茅野はいつもの仏頂面のまま。
「ほれ。早くしろ。周りの迷惑だろうが」
「そ、そんな。いいよっ! だ、大丈夫だから……!」
しのりん、声が裏返っている。
「いいからさっさと乗れ。今は男の
「だ、だって――」
「人ごみじゃあ、松葉杖なんて危ねえだけだろが。つべこべ言わねえでとっとと乗れ」
結局、しまいには茅野から「さっさとしねえとはったおすぞ」と殺気のこもった目でにらまれて凄まれてしまい、しのりんはもう耳まで真っ赤になりながら、それでもおずおずと彼に背負われることになった。
僕の耳にはしのりんの「きゃー! きゃー!」っていう悲鳴だか喜びの声だかわかんないものが、はっきり聞こえてくるようだった。
しかし茅野、これ、素でやってるんだとしたら凄い奴かも。
これでしのりんに「惚れるな」って言うとしたら、無理ありすぎなんじゃないのかなあ。
「……罪なやつ」
ぼそっと呟いたその声を、茅野はこの喧騒の中、耳ざとく聞き取ったようだった。
「……あ? なんか言ったか」
「いいえ? な〜んにも」
僕は半眼になったまま、しのりんの松葉杖を抱えなおして、この夏の日差しの中、人でびっしりと埋め尽くされたその中華街の門をくぐったのだった。
◇
そんなこんなの挙げ句、ようやく僕らは目的のカラオケボックスの一室に落ち着いた。例によって飲み物を運んできた店員が出てゆくのを待ってから、まずは茅野が話をはじめる。
「結論から言やあ、相手は
「ああ、うん……。まあ、聞いてみるだけ無駄だろうから、それはね――」
僕は「やっぱりか」という気持ちになりながら頷いた。
「どいつから辿っていっても、結局あの女が浮かんでくる。もちろん、本人に聞いてみたって『自分もだれそれから回ってきただけだ』とか言いやがるに決まってっから、俺もそれは聞いてねえ」
「だね。正解だと思うよ。……けど、君、どうやってみんなにそれ、聞いて回ったの?」
僕はアイスコーヒーに口をつけながら、一番気になっていたことを茅野に聞いた。それはしのりんも同じのようで、隣に座った茅野をそっとうかがうようにしている。
茅野はと言えば、固めのソファにいつものように足を広げてどっかり座った姿勢で膝に肘をついた格好だ。
「あ? そりゃもう、コレに物を言わせただけよ」
と、顔の前に持ち上げて見せたのは彼の大きな拳である。
僕としのりんは青ざめた。
「いや、ちょっと……。それはまずいんじゃ――」
「そうだよ、ほづ。そんなことしたら……」
「使ってねえよ。見せただけ」
いや、そういう問題じゃないだろうに。こいつ、何をしれっと言ってるんだ。
これだけの長身で、怒ってなくてもそうとしか見えないような顔の奴に拳をちらつかせられたら、まあ普通の高校生だったら正直に吐くだろうけど。いや、泣くかもね。
「直接の
「ああそう。それでも全然、褒められたことじゃないからね、君」
「わかってんよ、うっせえなあ。けど、急がねえとメール消されたりなんだりで後手に回んだろ? そうなったら余計めんどうじゃねえか。苦肉の策ってやつだろ」
「そうかなあ……」
僕としのりんがため息をついたのを見て、茅野がうんざりした目になった。
「とにかく。その高杉って女が回したのはほぼ間違いねえよ。あとはシメるなり泣かすなり、あんたの好きにすりゃあいい。こっからはあんたの問題だろうからよ」
「あ〜。うん。そうだね……」
しのりんだけは僕らがそんな調子でどんどん話を進めようとするのを、ちょっとおろおろするようにして見比べていた。
「あの、あの……。あんまり、派手なことはしないであげてね? その……その子だって、もしかしたら反省してるかもしれないんだし……」
途端、僕と茅野がぎろっとしのりんをにらみつけた。
「シノ!」
「しのりん!」
僕らの声が重なった。
しのりんがびくっと身体を竦ませる。でも、恐る恐ると言うように言葉を継いだ。
「いや、あの……。ちゃんと他の人にはわかんないように話をしてみて、分かってもらえたらボクはそれで――」
「甘い!」
「
再び、僕と茅野の声が飛ぶ。
「お前、分かってんのか? あっちは『たかが写真の二、三枚まわしただけだろう』とかなんとか、軽く考えてっかもしんねえけどよ。それがどんな結果になるかまで、ちゃんと考えてやがったと思うのかよ。お前、下手したらあの山でどうなってたかもわかんねえんだぞ!」
茅野の目には、明らかな怒りがみなぎっている。僕も思いは同じだった。
「そうだよ、しのりん。人間っていうのは、社会的な生き物でしょう。ああいうのは、命に直接手出しはしていなくても、結局、相手を殺そうとしたのと同じだよ。たとえ法的に裁かれないことだとしても、やったことの重さも意味も、ちゃんとわからせておかなくちゃ。だってあやっちは、人をひとり、殺そうとしたのと同じなんだよ?」
「う……」
しのりんはたまらないようにうつむいた。
「彼女は、少なくともそれを自覚する必要がある。今後、また同じようにして他の人にもそういうことをしないようにさせなきゃ。正直いって、僕はしのりんがターゲットでなきゃまあどうでもいいけど、一応、周りにご迷惑を拡散させないようにだけはしておかないとね」
「そ、……それは、そうなんだけど……」
そこで少し、部屋の中には沈黙が流れた。
やがて、茅野が自分のアイスティーをまた凄い勢いで飲み干してから言った。
「まあな。そうは言っても、みんなの前で吊るし上げなんて真似すりゃあ、今度は嬉しそうにアホのいじめ大好き野郎どもが『これ幸い』とあの女をターゲットにするだけだろうから、それはやんねえよ。俺としては、男だったらボッコボコにしてえぐらいだけどな。でもそれは、シノだって寝覚めが悪いってもんだろうし」
「う、うん……」
しのりんが明らかにほっとしたようだった。
そうして僕らはあらためてそこから、今後の行動について相談を始めたのだった。
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