第六章

第1話 待ちぶせ

 そうして波乱の夏休みは終わり、二学期が始まった。

 夏休み明け恒例の課題考査も終了し、夏の課題の提出も滞りなく済んでから、僕らは行動を開始した。


 ここまで高杉あやに連絡するのを待ったのには理由がある。なんと言っても、僕ら三人は彼女の直接の連絡先を知らないのだ。もちろん、家の場所なんてわからない。

 中学の時には一応、クラスメートとして付き合いのあった僕だけれど、卒業式の日を境に彼女と連絡をとることは二度となかった。意識的に彼女に自分の連絡先を教えなかったのはそれが目的だったわけなんだから、当然だ。

 学校もわかれたことだし、これでさりげなく彼女との縁も薄まって、いずれは切れてゆくとほっとしていたというのに。結果的にはそうそううまくは行かなかったわけで、なんとも皮肉な感はぬぐえない。


 ちなみにしのりんも真響まゆらちゃんも、二学期はじめから休まず学校に行っている。夏休み中にあった非常にシビアなごたごたについて、ご両親はすでに学校側にも話をしてくださったのだそうだ。そのため、学校の方でもある程度は二人の周囲の様子を注視してくれていて、幸い二人ともこれまでのところは、さほどひどい揶揄からかいなどは投げつけられたりせずに済んでいるとのことだった。

 とはいえ、しのりんに関しては、なによりそばにあの茅野がいることが大きいだろうと思うけれど。


 僕の方はと言えば、案の定というべきか、学校じゅうに「あの子、腐なんだって」だとか「例のイベントにも出てるらしいよ」だとかという噂話がすっかり広まっていて、廊下や教室で意味ありげな視線を投げてよこしたり、聞こえよがしにひそひそと内緒話をする風の生徒はあちこちにいた。けれども、やっぱり幸いにしてと言うべきか、特に僕自身に向かって直接なにかをされたということはほとんどなかった。

 僕は僕で、非常に不快な顔になった「ののか様」こと橘ののかがそういった輩に対して常に冷たい視線という名の矢を放ちまくってくれていることで、ことなきを得たというところだった。もしもそれが文字通りの矢だったら、その相手はとうの昔に矢ぶすまになって絶命していたことだろう。

 僕自身よりもののちんのほうが、ずっとこの問題についてぴりぴりしているように見えた。


 というか、そもそも僕はあんまり自分が「腐」だということを周囲の人に隠していなかったりする。ある程度仲よくなった子には「実はそうなんだよね」なんてわりと軽く言ってるし、それでもっと仲良くなったりした子も結構いるのだ。だから当然、そういう子たちは僕の敵には回らない。

 僕の「ファン」だとかいう人の中には幻滅したような子たちもいたのかもしれないけれど、別にこっちは「自分のファンで居てください」なんてこれっぽっちも望んでいるわけではないから、「数が減るなら御の字」ぐらいのものだった。


 唯一、いじめに類するような事態があったとすれば、一部の男子連中から男同士の絡み合っているとても下手くそな落書きをしたノートの切れ端を机の上に貼られてみたり、黒板に僕の名入りで掲示されたぐらいのことだ。それも、やった奴らはこちらを見るともなしに見ながら、にやにや、くすくす笑っているので、首謀者は一目瞭然。

 当然ながらののちんの機嫌は、それによって最低ラインまで急降下することになった。

 彼女は教室の一角、そいつらのたむろしている机のところまでつかつかと歩いていって、澄んだ堅い声でこう言い放った。


「ほんと、くだらないわね。こんなことがまだ楽しいの?」

 そいつらは、恐ろしい形相になった「ののか様」を見て、ちょっと気を呑まれたようになった。美人が怒ると、本当に綺麗だ。いや、彼らがそう思ったかどうかは知らないけれど。

 それはともかく、ののちん、さらに冷たく言い放った。

「小学校からやりなおしたら? ……ああごめんなさい、それじゃ小学生に失礼よね」


 クラスのあちこちから、思わず洩れたという感じの失笑が聞こえた。

 僕も思わず吹き出した。

 首謀者の男子生徒たちはあっという間に真っ赤になって、恥ずかしそうにこそこそと教室から逃げていった。

 以降、うちのクラスでは、そういうくだらない「いじめ」は立ち消えになった。

 まったく、ののか様さまだ。


 中学生ならいざ知らず、僕らも一応は高校生だ。たかが「腐」だったぐらいのことでそこまであからさまにいじめだのなんだのに発展すると思うのも、案外、短絡的な考えだったのかもしれない。どうやらみんな、僕が思っていた以上に大人だったようである。

 それもそうか。おおっぴらに言っていないだけで、実際は「隠れ腐」とでも言うような、水面下でそっと楽しんでいる人たちだって相当数いるわけだしね。

 あるいは、他人のことにそこまで拘泥こうでいしていられるほど、みんな暇じゃないというのが本音なのかも。そちらのほうがずっとあり得そうな理由に思えて、僕はちょっと、ありがたいとは思いつつも寒々しい気持ちにもなるのだった。





 そして。

 その日、僕らは連絡をとりあって、事前に調べておいた高杉あやの下校経路の途中にある、とある公園に集合していた。実を言えばそれは例の、僕が始めて茅野と話をしたあの公園だった。

 茅野も部活でそうとう忙しい身の上のはずなんだけど、こと、しのりんに関わることについては決して席をはずすことをよしとせず、部活の顧問には「急な腹痛」だの「家族の急病」だのと、なんだかんだと理由をつけては休みをとりつけているらしい。

 しのりん、つくづく幸せものだなあ。


 でも勿論、こいつのしのりんへの気持ちっていうのは要するに、「単なる友情」の域を出ないものだろうとは思う。このあいだ中華街で、何の躊躇ためらいもなく彼女をおんぶしたような奴だ。頭では「こいつの中味は女」とか思っていても、結局茅野はしのりんに対して単なる男友達としての対応をしているようにしか見えなかった。

 そもそもこいつ、普段から女の子が近寄りがたい雰囲気をかもし出しまくっているもんだから、自分がもてるとかいう自覚すらなさそうだし。実際はけっこうもててるんじゃないのかなあ、っていうのは僕の勝手な憶測だけど。


(……ほんっと、罪なやつ)


 そう考えると、僕はなんだかちょっとせつないような、やるせないような気分になった。しのりんみたいな人たちの恋愛って、きっといつも、こういうどうしようもない壁だとか、越えようのない溝だとかに阻まれているんだよな。

 そうして、相手に気づかれることすらないままに、そっと終わってゆくんだろうな。


 ……でも。

 しのりん、幸せになって欲しいなあ。


 そんなことを思ううちに、ふと茅野が目を上げて、こちらに目配せをしてきた。


「来たぜ」


 茅野の言ったとおりだった。そのまましばらく待っていると、学校の方から見覚えのある女子がやってくるのが目に入った。

 予定どおり、茅野としのりんは公園の物陰に姿を隠し、僕だけが道に出て行った。

 僕らは三人とも、制服姿だ。


「やあ、あやっち。久しぶり」


 僕はごくにこやかにそう言って、彼女に向かって手をふった。高杉あやは、ぎょっとしたように一瞬たちどまった。

「え。……ゆ、ゆの……? 何してるの、こんなとこで」

 語尾が微妙に震えている。それには気づかないふりをして、僕は相変わらずの笑顔で言った。

「ああ、うん。久しぶりにちょっと会いたくなって。今、少しだけ時間いいかな?」

「え? ……ああ、それは、いいけど――」


 あやはどぎまぎする風で、まったく焦りを隠せていない。片手にもっていたスマホをちょっといじるような振りをしながら、そわそわと目線を泳がせている。他人に不意打ちをするのは大好きだが、されるのにはまったく免疫がないらしい。

 僕にいざなわれるままに公園に足を踏み入れて、あやはきょろきょろと周囲を見回した。茅野としのりんはまだ、木の陰などに隠れてくれている。他にはいま、誰も公園内では遊んでいなかった。

 僕は早速、切り出した。

 それはもう、極上の笑顔で。


「あやっち、夏休み中はご苦労さまだったね? 遠いところまで、ひとりで大変だったでしょ?」

「……え」

 あやは何を言われたのかすぐには分からない様子で眉をひそめた。僕は構わず続ける。

「交通費だってバカにならないよね、ここからあそこまで行くとなったらさ。宿泊なしでも、何万円でしょ? 高校生にはちょっときつい額じゃない。一般入場だと、会場に入るまで、ものすごい列に何時間も並ばなきゃならないんだし。しかも、炎天下でさ。ほんと、お疲れ様」


 意識的に笑みを崩さず、しかし言葉は立て板に水。

 あやの表情が凍りついた。

 こういう時、あの皮肉屋の母の血が確実に自分の中にも流れていることを自覚して、ちくりと胸が痛くなる。けれど、こういう場合のアドバンテージはもらっておいて損はない。僕は少なくとも、それをもらうだけの対価はこれまでの人生の中で支払わされてきたのだから。


「な……に。なんのこと――」

「すっとぼけんじゃねえよ」


 低い声でそれを遮ったのは、もちろん茅野だ。

 木陰からぬっと現れた長身の姿を見て、あやはひっ、と喉をひきつらせた。茅野の後ろから、松葉杖をついたしのりんもそっと顔を覗かせる。少し青ざめているようだ。


「もう大体、は取れてんだ。あきらめな」


 茅野の声は、今まで聞いた中でも一番、剣呑なものになっていた。

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