第2話 失踪

 僕はほとんど眠れもせずに、白々と明けてきたその朝を迎えた。

 結局、枕元に置いたスマホには、しのりんからの連絡はまったくなかった。


 朝、盆休み明けということで両親がいつもどおりに出勤し、夏休み中も部活のある弟どももあわただしく出かけてしまうと、僕は家にひとりになった。

 まるでそれを見計らったかのように、スマホに茅野からの電話が入った。

 僕はほとんどワンコールで電話に出た。


『シノの母ちゃんから電話があった』


 その第一声を聞いて、僕は冷水を浴びせられたように思った。


『あいつ、あっちでいなくなったらしい』

「な……」


 いなくなった。

 しのりんが……?


「い、いなくなったって……でも、それ……」


 絶句する僕の様子をうかがうように少し沈黙した茅野は、それでもその年齢の高校生男子にしては十分落ち着いた声でいろんなことを説明してくれた。


『やっぱ、例のクソ画像、あいつのスマホにも回ってきてたらしいな。他にもいろいろ、うぜえメールやらなんやらがクソほど入ってたんだと』


 それについては茅野も詳しい説明ははぶいたけれど、もはや推して知るべしといったところだろう。

 あの傷つきやすいしのりんの心をえぐるような、それは品のない嗜虐心まる出しの心無い言葉が山のようにぶつけられているのは間違いなかった。僕はそれらをちょっと想像するだけで、身体が小刻みに震えてくるのをとめられなくなった。


『あっちのお袋さん、えらく動揺してた。シノ、親戚の家の庭にスマホほっぽったままいなくなってやがったらしい。お袋さんは、そこから俺の番号みつけて連絡くれたみてえでよ』


 息が苦しい。

 うまく言葉が出てこない。

 僕は思わず、自分のシャツの胸元を握り締めていた。


『いなくなったのは昨夜ゆうべだってよ。夜じゅう家族と親戚連中で近所を探して、朝になって地元の警察にも捜索願いを出したんだと。けっこう山ん中の田舎なもんで、とにかく周りじゅう森だの崖だのらしくってよ』

「…………」

『熊なんかも出るらしいし。そもそも、都会育ちの子どもがひょいひょい入っていいような山じゃねえんだと』


 自分の心臓の音ばかりが、ただばくばくとうるさかった。

 茅野の声がいやに遠くから聞こえる気がした。


『お袋さん、すげえ心配してる。一応、「大人に任せてくれ」みたいなことは言ってたけど、やっぱ、ほっとけねえし。俺はちょっと、行ってこようかと思ってる』

「えっ?」

 僕は、はっとして顔をあげた。

「行くって……しのりんの田舎?」

『おお』

「それ、どこなの」


 茅野は手みじかにその地方の名を言った。

 ここからだと、飛行機か船を使い、電車を乗り継いで丸一日はかかる場所だった。車があれば他にも行きかたはあるんだけど、僕らには当然、その手段は選べない。

 彼は僕に電話をしながらも出かける準備をしているらしく、始終、背後でジッパーを開け閉めするみたいな音や、鍵か何かを触っているようなちゃりちゃりいう金属音が聞こえていた。

 僕は矢も盾もたまらずに立ち上がった。


「僕も行くよ!」


 鋭く叫んだら、茅野は一瞬、押し黙った。

 やがて、少し決まりの悪そうな低い声が返ってきた。


『あー。……あのな。悪く思うなよ』

「なに?」

『いくらそんな格好ナリしてたって、あんた一応、女だろ。あんま、一緒に連れて歩くわけいかねえわ』

「…………」


 そう言われてしまって、僕も一瞬、言葉を失うしかなかった。


(くそっ……!)


 さすがに、痛いところを突いてくる。

 いくら見た目が男みたいに見えたからって、実際そうなのとそうでないのとでは大違いだ。いざ、何かの事件に巻き込まれるだとか、よからぬ輩に絡まれるだとかいう事態にでもなれば、茅野の負担が倍増するのは目に見えている。

 悔しいけど、腕力や体力そのものにはあんまり僕も自信があるわけではないから。


『あんたは家に居ろ。いいな』


 彼は明らかに、僕のことを足手まといだと言っている。

 確かに、それはそうだ。僕が本物の男子なら、彼だってここまで否やは言うまい。

 さらに言えば、僕を連れ歩いたことでまた余計な災難を引き寄せることにでもなったら、目もあてられないことになる。

 くだらない噂に、さらに油を注ぐ結果にもなりかねない。


(でも……!)


 僕は唇をかみしめた。

 身体の横で拳をにぎりしめ、押し殺した声で言う。


「そんなこと、構うなよ。いま大事なのは、しのりんでしょ。ひとりで動くより、二人でいるほうが絶対にいい。もしも何かあって片方が動けなくなったりしたときでも、どこかに連絡する人間が要るじゃない」

 茅野は一瞬、う、と言葉に詰まったみたいだった。

 僕はここぞとばかりに畳み掛けた。

「僕を連れてることで問題になりそうだったら、いつでも放って行っていいから。たのむよ。こんなんで、家にじっとしてなんて居られない……!」

『いや、待てって』

「すぐに合流する。場所と時間、指定して」

『おい。人の話を――』

「うるさいよ!」


 僕はとうとう、大声をあげた。


「しのりんは、そりゃ君の友達だろうけどさ。でも、僕にとっても大事な友達なんだからな! 僕だけ、のけものにしないでよ……!」

『ってもよ、あんた……』

「うるさいったら。すぐに準備する。なに使うの? 船? 飛行機?」


 僕はそう尋ねながら、茅野がやっているのと同じようにしてクローゼットを開け、もう着がえや鞄などを引っ張り出しにかかっていた。

 あとは、祖父や祖母から今までにもらってきたお年玉なんかが入れてある預金通帳やキャッシュカード。一応通帳のページをめくって、残高を確認してみる。旅費や宿泊費がどのぐらいかかるかはわからないけど、とりあえずこれだけあれば足りるだろうと思われた。

 スマホの向こうで、茅野がちょっとため息をついたのが聞こえた。


『……分かったよ。ったく、しょうがねえな――』


 そこからは、どうやらあっちも腹をくくったらしい。

 あとは淡々と、茅野はこれからの行動予定を説明してくれたのだった。


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