第3話 連絡先
高校に入って間もない頃に、彼――「A君」あらため
僕にはそれが、一瞬でぴんときてしまった。それは恐らく、去年のゴールデンウィークのころに行なわれた、とあるオンリーイベントの日のことなのだろう。
こういうとき、なんだかちょっと悲しくなるなあ。なんて言うか、おたくの
「最初は、まさかと思ったんだよ。『いやに似てっけど、まさかな』ってよ。……んで、なんとなーく、あとつけた」
「げ。悪趣味……」
思わずそう言ったら、茅野はちょっと殺気のこもった目でこちらを睨んだ。
「うるっせえよ」
「いや、だってさ……」
「いいから聞けって。したら、駅のトイレからいつもの格好したシノが出てきた。大荷物も持ってたし、『間違いねえな』と思ったよ」
「あ〜。そう……」
僕はもう、頭を抱えたくなってきた。
しのりん、いくらなんでも無防備すぎる。もうちょっと背後や周囲に気をつけるように、これからはしっかり言っておかなくちゃな。
「それからはずっと、俺もそいつは分かっててあいつの
「いや、舐めてはいないんだけど……」
僕は彼から少し離れて、同じベンチの端に腰掛けている。そのときになってようやく、彼から渡された缶コーヒーの蓋を開けた。
ひどく、喉が渇いていた。
コーヒーに口をつけた僕を見やって、茅野は少し黙っていたけど、指先で軽く自分の顎を撫でるふうにしてからこう言った。
「良かったら、さっきの奴の名前、教えてくれねえ?」
「ん?」
「だから、例の噂の元ネタのやつ」
「……ああ、『情報ソース』?」
「おお。相手がわかってたほうが、こっちも色々助かるからよ」
茅野は明後日のほうを見てしゃべっているようでいて、実はその耳はちゃんとこちらに向けられているらしい。そのことが、さっき会ったばかりの僕にも確かにわかった。
なるほど。
こんな風にはしてるけど、こいつも見た目どおりの無神経、脳筋野郎というわけではなさそうだ。さっきからのあれこれを観察していても、こいつだったらきっと、しのりんにとってまずいようにはしないだろうと思われた。
僕はそういう結論に達し、求められた情報を開示することにした。
「クラスはわかんないんだけど。そっちの学校の二年生で、高杉あやって女の子だよ。僕と同じ中学でさ」
「ふ〜ん」
茅野は口の中で、何度か「タカスギアヤ」と繰り返したようだった。
「多分、彼女がそんなことしたのは僕のせいだと思う。なんでだかはわかんないけど、前から彼女に目をつけられちゃってるみたいでさ。だからしのりんは、ただの巻き添えみたいなもんだ。ほんと、迷惑かけちゃった。悪かったと思ってるよ」
「君にも、ごめんね」とつぶやくように言ったら、茅野がほんのわずか、ちらりとこちらを見たようだった。その目からは、さっきまでの冷たい色はだいぶ軽減されていた。
「……なるほど。了解」
そこから、僕はごく簡単に、高杉あやとの関係を彼に説明した。
彼は黙ってそれを聞いていたが、やがて呆れたような声でぼそっと言った。
「わけわかんねえ。それなら別に、『あんたのせい』ってんでもねえじゃねえか。ほとんど逆恨みじゃね? うぜえ女」
「う〜ん……。いや、どうだろう……」
まあその、「うぜえ女」というところにだけは、大いに同意するところだけれど。
「そればっかりは、あやっち本人に訊いてみなくちゃわからないことだから。と言っても、まあ答えてもらえないだろうけどね。僕が自分でも知らない間に傷つけてたなんてこともなきにしもあらずなわけだし」
「そっかあ? そこまで気ぃ使わなくてもいいんじゃね? そんな女に」
茅野はどこまでも面倒くさそうだ。いかにも「くだらねー」と言わんばかりの表情。
まあ当然か。男子にとって、こういう女子同士の陰湿なうだうだほど鬱陶しいものもないだろう。
「まあ、理由がなんであるにせよ、あやっちにとって僕が不快な存在なのは確かなんだろうし。何が原因なのかわからないから、こっちも改善のしようがないしね。だからなるべくこっちは、係わりあいにならないように、刺激しないようにするしかないよ。ほかに出来ることなんてないしね」
茅野は見るからに「やれやれ」という顔になった。
「ま、こっちの学校のことは心配すんな。少なくとも俺が見てるとこでは、シノに向かって変なこたぁさせねえからよ」
僕はその台詞を聞いて、ちょっと吹き出した。
「うわあ、すごいな。まるでしのりんの王子様みたいだね。かっこいい、かっこいい」
半眼になってしれっとそう言ってやったら、茅野が目をむいた。
「ばっ……、うるっせえよ! なにアホなこと言ってんだてめえ!」
思わず拳を振り上げて見せたりしているが、それも「振り」でしかないのは見え見えだった。
僕は「わあ、ごめん、ごめん」と言いながらも声をたてて笑ってしまった。
いつもだったら男にそういう仕草をされること自体に本能的に身構えてしまう自分が、こうやって笑っていられることがなんだか不思議だった。
さすが、あのしのりんが好きになるだけの奴ではあるなと、僕はちょっと変なところで感心していた。
そうして、少し安心したその気分に後押しされるように、その台詞を彼に投げた。つまり、こうして僕がわざわざこんなところまで彼に会いに来る気になった
「どうでもいいけどさ。君、もうちょっと使う言葉、考えてよね」
途端、彼は怪訝な顔になった。
「はあ? どういうこったよ」
「だからさ。こないだ、言ったんでしょ? しのりんに面と向かって『誰と付き合おうがどっちでもいい』みたいなことをさ。ないんじゃないの? ああいうのは」
「ああ? あれは別に、そういう意味じゃ――」
「だとは思ったけど、しのりんはそう思ってないんだよ。それに、あれじゃあそう取られたって仕方がない。言葉が足りなさすぎるんだよ、絶対的に」
「うるっせえな。なんであんたに――」
「泣いてたんだからね、しのりん。それも、すっごく。責任とってあげてね、ちゃんと」
「え……」
遮るようにして言い放った僕の言葉に、茅野は明らかに動揺したように見えた。
ほんのわずかだったけど、その目に狼狽の色が浮かんだのを僕は見逃さなかった。
「友達なんでしょ? しっかりしてよね。あと、もうちょっと言葉の使い方的に進化してくれるとありがたいかな。せめて普通の人間並みに」
「っておい、コラ――」
「じゃ、僕の話はそれだけなんで」
機嫌の悪そうな声が巻き舌になり、再び拳が持ち上がったところで、僕はさっとベンチから立ち上がった。
もちろん彼は「調子乗んじゃねえぞ、てめえ!」とかなんとかほざいてたけど。
僕だって、いまだきちんと「人間」にもなりきれてないような奴の相手なんてする気はない。大体、そんなに暇でもないし。
しのりんの気持ちは大事にするけど、別にこいつの気持ちを大事にする義理もないしね。
その場はそこまでのことで、僕は茅野と別れて帰った。
お互い、いざという時のためにと一応連絡先を交換しあって。
この僕が、まさか他校の男子と連絡先を交換することになるなんて、今日の今日まで思ってもみなかったことだった。まあ、全然そんな色っぽい理由じゃないのがなんとも皮肉な話だけどね。
あっちはあっちで、少しぶすったれたみたいな顔でしぶしぶスマホをこちらに向けていたけれど。
それにしても、男子のスマホっていつも思うけど、なんであんなに傷だらけなんだろう。彼の黒いスマホもその例に漏れず、どこにぶつけたものやらあちこち塗りがはげてしまって、それは酷い状態だった。
僕はそれを思い出して一人でひそかに鼻を鳴らし、スマホをポケットに戻してから、ふたたびバスの窓外に目をやった。
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