第2話 茅野
彼はこちらが聞くまえに、さっさと自分からそう名乗った。
先ほどから分かるとおり、ごくぶっきらぼうで面倒くさげな態度はそのままだったけど、ともかくも「シノ」――それが、彼のしのりんの呼び方なのだ――の友達で、クラスメートなのだと言った。
ここは、彼らの高校から少し坂をくだった場所にある、小さな公園だった。あちらこちらの植え込みのため、外の道からは中がのぞきにくくなっている。
中央部にあるカラフルな色目の遊具では、親子連れが何組か、まだ遊んでいるのが見えた。
茅野は持っていた大きなスポーツバッグを近くのベンチに放り出すようにすると、途中の自販機で買ってきた缶コーヒーを無造作に、僕に「ん」と突きつけるようにした。
どうやら、おごってくれるということらしい。
「あ、……ああ。ありがと……」
僕はちょっとためらったけど、結局それを受け取って押し黙った。
茅野は公園の樹のひとつにもたれかかるようにして、自分の缶コーヒーの蓋を開け、しばらく僕の姿をじろじろと眺めているようだった。
が、やがてぼそっとこう訊いた。
「んで? さっきのでわかんなかったんなら言い直すけどよ。だからあんたが、シノの噂の彼女なんだろ? 違うのかよ」
「彼女……ねえ」
あまりにも自分とはそぐわないその単語をあらためて人の口から聞かされて、僕は苦笑するしかなかった。
今の僕のこの格好の、どこをどう見たら「彼女」なんて言葉が出てくるのか。
僕はちょっと肩をすくめて、ごく素直に答えた。
「結論から言えば、違うよ。僕としのりんは、ただのお友達」
お互い「腐」であるという部分に関してだけはあんまり「ただの」ともいえないけれど、別にこの彼にとっては必要のある情報でもないだろうから黙っておく。
「ふ〜ん……」
茅野は面白くもなさそうな顔で缶コーヒーをあっという間にぐびぐび飲み干し、それを少し離れた公園のゴミ箱にひょいと放り込んでから、あらためてこちらを向いた。
「んじゃ、あの噂はなんなんだ。あんたが流したんじゃなきゃ、うちの誰かに見られたんだろ?」
「あ、……うん。まあ、情報ソースが誰だかは、だいたい予想がついてるんだけどね」
気のせいかもしれないが、茅野が口の中で「けっ」と言ったようだった。
「
「え……?」
僕はちょっと、何を言われたのかがよく分からなかった。それで、不機嫌な顔でこちらを見やっているその長身の高校生をじっと見返してしまった。
相手はそれで、さらに機嫌を悪くした様子に見えた。まさに、「じりじりしてる」という表現がぴったりという顔だった。
そして。
「わかんねえのかよ。シノが女の格好してねえときに外で会うなんざ、迂闊だろっつってんだよ」
「な……」
衝撃だった。
僕は我が耳をうたがって、しばらく声が出なかった。
が、彼はそんな僕には構わず、どんどん言い募った。
「しかもあんた、そのとき女の制服着てたんだろ? 変な噂になることなんか、誰が見たって明らかだろうが。ちったあ考えろ」
それはもはや、吐き捨てるような言い方だった。
僕は愕然として、まじまじと相手を見つめてしまった。
そしてやっと、耳に残ったさきほどの彼の台詞を反芻した。
「女の格好」。
いまこいつ、確かに「女の格好」って言ったよな……?
何も言えず、ただ沈黙するだけの僕を見て、茅野は明らかに機嫌の悪そうな顔で自分の髪をぐしゃぐしゃかき回した。
「ああもう。だーから、知ってんよ! シノが休みの日、どんな格好してんのかとか。ちょっと変わった趣味してんだなんてことはよ――」
僕はやっぱり黙りこくって、相手の顔を凝視するばかりだ。
「もちろん、誰にも言うつもりはねえし。クラスの奴らも、サッカー部のやつらも、だれもそのことは知らねえよ。知ってんのは、多分俺だけだ」
「…………」
しらけた空気がただよう僕らの間に、元気な子どもたちの声だけがまるで別世界から届くようにして響いていた。
◇
帰りのバスに揺られながら、僕は手もとのスマホの画面を見るともなしに見つめていた。
そこには、今日増えることになった、とある連絡先が表示されている。
茅野穂積は、その後、やっぱりとても面倒くさそうにこう言った。
「俺にも、いるんだよ。兄貴……っつうか、姉貴っつうか。そういうのがな」
「えっ? あ……、あ〜、なるほど……」
僕は彼のそのひと言で、かなり多くのことを理解した。
つまり茅野は、そういう人に対するそれなりの免疫っていうか、付き合い方をわかっているということなのだろうと。
「ま、兄貴はもう、何年も前に家を出ていっちまってっから、今は一緒には暮らしてねえんだけどな」
「あ……そうなの」
茅野はそのことについてはそれ以上は何も言わなかったけど、僕にはなんとなく、彼の事情が仄見えた気がした。
彼のお兄さんは、多分、家にいづらくなったのではないかと思う。
しのりんみたいにご家族に黙っているだけではなくて、お兄さんは家族にカミングアウトしたんじゃないだろうか。だけど恐らく両親にも、弟であるこの彼にもあまり理解してもらえなくて、とうとう家から出て行ってしまった――。
「うちのことはいいんだよ。それより今は、シノのことだ」
茅野はまるで、目の色から僕の考えを読んだかのようにそう言うと、ベンチにどかりと足を広げて座り込み、僕に
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