第三章
第1話 偵察
しのりんの通う高校へは、電車を降りてさらに市バスに乗り換える必要がある。
僕はしのりんには黙って、放課後いったん帰宅したあと、私服に着替えてそのバスに揺られていた。当然、一見しただけならまず男子だとしか思われないといういつもの出で立ちだ。
山手にあるしのりんの高校の近辺は、閑静な住宅街だった。バスはぐるぐると蛇行する道をゆき、やがて「高校前」と名のつく停留所でとまって、僕はそこで降りた。周囲に街路樹などが多めなのは助かる。
僕はここでこうして、しばらく部活帰りの男子たちを観察することにしていたのだ。
なにしろ、相手の顔も名前も分からない。
分かっているのは、相手がサッカー部に所属する二年生の男子であるということと、それなりに上背があるということ、そしてあのしのりんの好みにばっちりはまる奴だということ、この三点のみだ。
だから正直言って、今回は僕もほんの様子見のつもりでいた。
部活をしていない者にとってはテスト後のわりに余裕のある時期だし、しばらくはここに通うのでも構わないと思っていたのだ。
僕は、ちらほらと帰る様子のしのりんのと同じ制服を着た高校生たちを横目で見ながら、何度か校門の前を往復した。そうするうち、うまく人通りの途絶えた瞬間を見出して、すかさずするりとその校門をくぐりぬけた。
そのまま構内の植え込みやら建物の陰などをつたうようにして、そろそろとグラウンドのあるらしい場所を目指す。ほんとは防犯カメラなんかにばっちり映っているのかもしれないが、問題を起こさない限りは見咎められるところまでは行かないだろう。
すでに時計は五時をまわっている。
しのりんはとっくに帰宅してしまっている時間帯だから、鉢合わせをする心配はまずなかった。彼女も一応、例の早期割引の入稿には間に合ったのだが、本人も言っていたとおり、その後もわりと色々な下準備の作業があるらしいので、なんだかんだと多忙なのだ。
僕はグラウンドを囲んでいるフェンスのそばまでやってくると、まだそこで練習中のサッカー部らしき一団のほうをそっとうかがってみた。
遠目なので誰が誰だかなんてわからない。
でもまあ、大体、どんな顔ぶれだかが分かっていればいいのだ。これは言わば、彼を捕まえるための前哨戦に過ぎない。
僕は彼らの顔立ちや雰囲気を脳裏におさめると、また物陰に身を隠すようにしながら校門の外へ出た。
七月に入った夕刻の風は、もうだいぶ昼間の熱気をこもらせて生ぬるく、じっとしていても肌を不快に湿らせるものだった。こんな山手で標高のある地域でも、やっぱり夏は夏なんだなと僕は変なことを考えた。
周囲に茂みが多いからなのか、立ち止まっているとすぐに虫が寄ってくる。
僕はときどきふらふらと近寄ってくる虫を手で追い払うようにしながら、微妙に場所をかえつつ校門から出てくる生徒たちを観察していた。
やがて。
とうとう、先ほど見ていたサッカー部らしき男子生徒の一団が現れて、僕は一気に緊張した。
大きなスポーツバッグを肩にかついだ少年たちは、仲よさげに笑いあったりしながらわらわらとこちらへ歩いてくる。みな、しのりんと同じ制服姿だ。
僕は周囲の景色を眺めるようにしてごくなにげない風を装いながら、彼らを一人ひとり品定めしていった。
――ちがう。ちょっと背が低すぎる。
――こいつもちがう。茶髪でチャラ過ぎる感じだ。しのりんの好みじゃあない。
――こいつは逆に、なんかひたすら真面目そう。これもバツ。
と、彼らの背後からゆっくりした足取りで歩いてくる長身の姿をみつけて、僕ははっとした。
(……あ。)
なんだろう。
なんだか笑っちゃうんだけど、僕にはそれが一瞬で確信できた。
彼だ。
彼が、例の「A君」だと。
いや、さすがに見た目は、しのりんが好きな作品のキャラとは違っていたけど。
漫画やアニメのキャラクターみたいな、あんな派手な見た目じゃなくて、髪は黒いままのやや短めのものだ。どちらかと言うと、あんまり身だしなみを構わない様子に見える。長身でがっちりした体躯に、日焼けした肌。
思った以上に長く彼を見つめすぎてしまったせいか、あっちでもちらりとこちらに視線を走らせてきたようだったので、僕はさりげなくそこから歩き出し、敢えて彼らの方に向かった。
そのままお互いに、ただの通行人としてすれ違う。
少年たちは、やれ「腹へった」だの「コンビニでパン買いてえ」だの言い合いながら、ごく楽しげに談笑している。彼らは誰ひとり、僕に視線を投げるようなことはなかった。
しかし。
一団の最後尾にいた彼は、彼だけは僕とすれ違うほんの一瞬、すっと目を細めて僕を睨んだように見えた。
それは、思わずぞくりとするような、ひどく冷たい視線だった。
僕は、そんなことがあるはずもないのに、こちらの意図からなにからその目に見透かされたような気になって、思わず一瞬だけ目をそらしてしまった。
彼の方はしかし、こっちには無反応だった。
そのまますいと視線をそらし、何ごともなかったような顔で前の少年たちについてぶらぶらと歩いていってしまう。
僕はその背をそっと見やって、思わず吐息をついた。
なんだかけっこう、緊張するタイプの奴だなと思った。
今日のところはひとまずここまでということにして、僕は少し時間をみてから、駅へ向かう側のバスの停留所へと戻った。
次のバスまではあと十分ほどだなとスマホの時刻表示を確認していたら、ふと、手元がかげった。
何の気なしに背後を振り返って、僕は心底おどろいた。
「う、……わ!」
僕のすぐ後ろには、ほとんど気配もさせずに、さっきのあの高校生がうっそりと立っていた。
僕は思わずとびすさり、反射的に身構えた。
ちくちくと肌を内側から刺すような感覚があった。
それは多分、僕の中に潜在的にある恐怖だろう。
黒山のような男の影に僕が本能的な嫌悪を覚えるのは、言ってみればまあ仕方のない話だ。けれども、僕は内心、そんな自分に苛立った。そんな風におびえた無様なところを、いきなりこいつに見られるなんて。
僕は奥歯をかみしめて、相手をぎりっと睨みあげた。
彼は僕より十センチ以上は高いところから、こちらを厳しい視線で見下ろしてきている。しかもその全身から、至極剣呑な
と、唐突に低い声が降ってきた。
「……あんた、アレだろ」
「は?」
「シノのアレだろ」
おいおい。
どうせ話しかけるなら、もっと日本語らしい言葉を話せ。
図体ばかり大きくなりやがって、結局中味はサルのままか。
僕はそう思って、つい半眼になって相手をさらに睨みつけた。
「アレってなに。わけわかんない」
が、相手はいっさい、こっちの話なんてまともに聞く様子もなかった。ひどく面倒くさそうな様子で、くいと顎をしゃくって見せる。
「なんでもいいわ。ちょっと顔かせ」
「……はあ?」
まったく、訳がわからない。
きょとんとしている僕を
「いいから来いよ。ここじゃ、目立ちすぎんだよ」
そう言って、もう大股にぐいぐいとゆるやかな坂道を
ぼやぼやしていたら、あっという間に置いていかれそうな感じだ。
「ちょ、ちょっと。待ってよ……」
僕は仕方なく、やや小走りになってその大きな影について行った。
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