第4話 電話


『えっ……。ほづと、ゆのぽんがって、ええええ?』

 電話をしてことの顛末を話した時のしのりんの反応は、思ったとおりのものだった。

『ちょ……まってよ。えっと、なんで? なんでほづと、ゆのぽんが……!』


 真っ赤になっておろおろしている顔が目に浮かんで、僕はぷっと吹き出した。

 ああ、そこらへんの女の子より、きっとずっと可愛いんだろうなあ。


「心配しないでよ、しのりん。僕、変なことは何もしゃべってないから」

『い、いやあの……そういうことじゃなくってええ!』

 きっと、自分の部屋のベッドの上でじたばたしているのだろうしのりんが想像されて、僕は笑いを抑えきれない。

「『ほづ』って呼んでるんだね、茅野のこと」

『え? あ、ああ……友達はみんなそう呼んでるし――』


 そうして僕は、今日あの公園で茅野とした話をしのりんにも話して聞かせた。もちろんこのことは、茅野自身からも了解してもらったことだ。

 茅野本人も、明日、自分からも話をするとは言っていたけど、その前に僕から電話するということで意見の一致を見たのだ。しのりんに隠れてこそこそするようなことは、僕もなるべくなら避けたかったし。


 茅野の家庭の事情を話すと、急にしのりんが神妙な声になった。

『そ……うだったんだ。ほづの、お兄さんが――』

 一方でその声からは、明らかな安堵と、納得した様子がうかがえた。

『そっか……。だから、ほづ、僕にあんなに優しかったんだね……』


 そこにはほんの少しの落胆もあるような気がして、僕はちくりと胸が痛んだ。

 そう。

 茅野は、僕ら「腐」が大好きないわゆるBLボーイズラブのように、男性を愛する性質たちの人ではないだろうと思う。

 ご家族との難しい顛末があって、彼は彼なりにお兄さんのことで後悔したり、心に掛かっていることがあるんだろう。それで、身近にいるしのりんがお兄さんに重なって見え、気になっていたのに違いない。

 もしかしたら、彼は自分のお兄さんに対する罪滅ぼしみたいなものを、しのりんの力になることでしようとしているのかも。なんだかそれとこれとはまったく違う話のようにも思うけど、気持ちとしては分からないこともない。

 だから茅野は、しのりんが学校でつらい思いをするのをただ黙って見過ごすことができなかった。

 もちろん、あくまでも仲のいい友達として。

 まあ、優しいっていうのは間違ってないんだろうけど、それとしのりんの想いにこたえるかどうかはまったく別の問題だ。

 もちろん、この先どうなるかなんてわからないことだけど。


 沈黙してしまった電話の向こうが気になって、僕も少し黙り込んだ。

「あの……ごめんね? しのりん。僕、余計なことしたかもしれないね……」

『えっ。あ……ううん、そうじゃないんだ。ボクこそ、ごめん……心配かけちゃって』

「勝手にしのりんの友達に会ったりして……っていっても、とりあえず今回は顔を見に行くだけのつもりだったんだけど。それがなんだか、あっという間に身バレしちゃって。なかなかあなどれないよね、『ほづ』君は」

『あは、そうだね。いつも、どうでもいいみたいな顔してるくせに、あれで結構よく周りを見てるよ。そこはやっぱり、弟さんタイプだなあなんて思っちゃう』

「あ、なるほど。そういうのは、あるね」


 考えてみれば、僕もしのりんもきょうだいの一番上だ。

 上にきょうだいのいる子っていうのは、兄や姉のすること、特に失敗したことなんかをちゃんと見ていて、うまく処世術を身に着けていくところがある。親がどんなことで子どもを叱るか、どんな行動を嫌がるかをすばやく察知して、わが身には雷の落ちてこないようにずっと手前で対処してしまうのだ。

 うちの場合は、下の弟、純也が特にそういうタイプ。そういうところが非常に憎たらしかったりもするけどね。

 まあ、あの茅野はそこまで抜け目のないタイプには見えなかったけれども。


 そんなことを考えながら、僕はいちばん気になっていたことをしのりんに告げた。

「えっと、安心してね、しのりん。今後はもう、その……僕、茅野と二人で会うとかはしないから。一応、連絡先は交換させてもらったけど、しのりんがイヤだったらこれだっていつでも消すよ」

『え……』

「いや、だからさ。僕だって一応……戸籍上は女ってことなわけだし。あんまり彼と二人で会うのもまずいなって、それは一応、思っててさ――」

 あ、と向こうで小さく声がした。

 そして次の瞬間、大きな声が返ってきた。

『やだなあ、ゆのぽん! そんなこと、思うわけないよ! なに言ってるの!』

「いや、でもさ……」

『ゆのぽんは、純粋にボクのためにって動いてくれただけでしょう? ありがたいと思ってるよ。感謝しこそすれ、そんな風には思わない。っていうか、思いたくない』

「そう……か。なら、いいんだけど」

 僕はようやくほっとして、話題を変えることにした。


「やっとテストも終わって、すぐ夏休みだね。アクキーとかコピー本の進捗はどうなの?」

『あ、ああ〜……。実はそっちはかなり、煮詰まってる! コピー本はもう、勢いでがががーって書けちゃったけど、絵はどこまで描いても納得できなくって』

「そっかあ」

『いつも思うけど、小説も絵も、迷いがあるとダメだよね〜。こっちでいいかな、あっちのほうがマシだったかな、なんてあれこれ考えれば考えるほど、最初のイメージからずれてっちゃって』

「ああ、あるある! わかるよ〜、それ」

『いや、文章を練るのも大事なんだってのは分かってるんだけどさ……。情景描写とか丁寧に書き込んでる同人さんの見ると、ああ、ボクのはダメだ〜ってなるんだけど。だからって、あんまり推敲、推敲ってやりすぎても、なんかねちねち読みにくいものになるだけだったり……』

「そうだねえ。絵でも文章でも、結局『どこでとめるか』の見極めって大事なんだなあって僕も思うよ」


 そこでちょっと、しのりんは間を置いた。次の言葉を言おうか言うまいか、逡巡してのことのようだった。


『ほら、その……ここだけの話だけどさ。文章に凝りすぎてて、ものすごーく読みにくい書き手さんっているじゃない? 普段きいたこともないみたいな熟語とか山ほどでてくるとか。ああいうの、ボク、ちょっと苦手で』

「あ〜……。うん」

『凝りたい気持ちもよーく分かるんだけどさ……。正直、ただ読みづらいだけかなあって……。それに、なんかこう、《この人は自分に酔っていたいだけなのかなあ?》っていうのが感じられると、読みたくなくなっちゃうときがあるんだよね……申し訳ないんだけど』

「あああ、分かる〜! あるよね〜、それ」

『まあ、僕らの書いてるのは二次なわけだし、同人だからいいんだけどね。個人の趣味で書いてるものなんだから、文句とかは言うつもりはないんだけど。そういう僕も、あんまりうまくはできてないし』

「そんなことないでしょ。しのりんのは、よく書けてると思うよ、いつも」

『いやいや、全然だよ。それに、《これでOK、完璧!》みたいになって満足しちゃうのもまた違うだろうなって思うし……。もっともっと、自分の書いたものを客観的に見れないとダメなんだと思うよ、ほんとは』

「あ〜……確かに。それはあるなあ、僕も。自分の失敗から学べないって、要はぜんぜん成長できないってことだもんね」

『そうそう、そうなの! うまく自分の書いてるものから距離がとれる人、尊敬するなあ……。あ、もちろんゆのぽんは尊敬してるぞ!』

「うわ、いきなり矛先がこっち向いた」


 僕は思わず声をたてて笑ってしまった。

 よかった。

 しのりんがだいぶ元気になったみたいで。


 僕らはそのあと、またひとしきり腐った話に花を咲かせ、夏のイベントのときの予定なんかを一緒に考えてから、「おやすみ」を言って電話を切った。


 大丈夫、大丈夫。

 あの茅野もいてくれるし、きっとしのりんは大丈夫だ。

 長い夏休みをはさめば、くだらない噂ばなしだって消えてしまうはず。

 そして、目の前にはあの大きな夏のイベント。

 ここからは、とにかくそれに集中しなきゃな。


 僕はしのりんとの楽しい会話を思い出しながら、暢気のんきにそんなことを考えていた。


 だけど。

 それが大きな間違いだったと気づくのは、そう遠い未来じゃなかった。

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