第3話 当落
『どうだった? ゆのぽん』
「あ~、ダメだったよ。そっちはどう?」
毎年、六月のこの時期は、一部の人たちのあいだでこうした話題が飛びかうことになる。
つまり、夏のイベント参加サークルの当落がわかるのだ。
スマホから聞こえてくるしのりんの声は、ちょっと申し訳なさそうに小さくなった。
『あ、うん。うちは受かってた。よかったらチケット使ってね? ゆのぽん』
「ありがとう、しのりん。ありがたくお言葉に甘えさせてもらいます。売り子、僕がんばるからね」
『あ、そんなの気にしないでね。いつもみたいに、ゆのぽんの本もスペース使ってもらって構わないから。でも、ゆのぽんがいてくれたら、お客さん喜んでくれるみたいだからうちはとっても助かるけど』
「なに言ってるの。しのりん目当てのお客さんばっかりじゃない」
『そ、そんなことないよ……』
しのりんの声がちょっと揺れた。
きっと、少し赤くなってるにちがいない。
女の子の格好をしてなくても、きっと可愛いんだろうなと想像してしまう。
「あるある。僕だけだったら『あの、
『それ、ほんとは困るんだけどね……。ボク、レイヤーさんじゃないんだから』
「そりゃそうだけど。どこかで身バレでもしたら大変なのもほんとだしね。でも、嬉しいでしょ? お客さんからそれでも是非、って言われるの。しのりんの可愛さと人柄だからだもん。すごいことだよ」
『う、ううう~~……』
当選したサークルには、サークル参加者だけに使えるチケット、つまり入場券が複数与えられることになっている。サークル参加者は一般参加のお客さんよりもずっと早く会場入りしなくちゃいけないからなんだけど、暑いさなか、また寒いさなか、ものすごい行列に並ばなくてもいいという素晴らしい利点もあるわけだ。
だから今、そのうちの一枚をしのりんは僕に融通してくれようとしているというわけだ。
僕らの好きな作品のジャンルはとてもマイナーで、毎年参加サークルの数もとても少ない。だから僕としのりんの両方が落ちるということはあまりない。というわけで、お互いこうやって助け合いをするのが日常なのだ。
お互いのサークルスペースに作った本を置かせてもらったり、置かせてあげたり。そしてお互いに売り子をしてあげたり、してもらったり。ぼくとしのりんは、そんな切っても切れない関係である。
「イベントのときのしのりん、ほんとに可愛いもん。無理ないよ。だからいつも、買い物は僕が代わりに行ってあげるって言ってるのに――」
そう言う僕だって、初めてスペースが隣になってしのりんを見たときにはびっくりしたものだった。まさかこの子が本当は、厳密には「女の子」とは言えない子だったなんて、まったく気がつかなかったほどだった。そこらにいるおめかしした女の子たちと比べたって、しのりんの方がその何倍も、何十倍も綺麗で可愛かったから。
電話の向こうで、ちょっとふくれっ面になったらしいしのりんの声がした。
『もう、そんなこと言って。ゆのぽんだってたーくさん、『一緒に写真とってください』って言われてるの、知ってるよ。ボクだってすごーく残念そうに『今日は
「あれ? そうなの? じゃあ、お互い様……なのかな?」
『そうだよ! せいぜいお互い様だよ!』
言って、僕らはあははは、と大声で笑った。
心の底からちゃんと笑えるのは、こうやってしのりんと話している時だけだ。
ちなみに、「
「原稿の方はどう? 本文かけた?」
『あ~、うーん……あとちょっと……かな。けっこうギリギリになっちゃったよね』
「そうなんだ。実は僕もそう。推敲しだすと、あっちもこっちも直したくなっちゃって困るよね」
『そうそう! 削ってるつもりが逆に書き足したくなっちゃうし。気がついたら何千字も増えてるの』
「何回見直しても誤字がなくならなくてイライラするしね」
『うんうんうん! でね、昨日の夜、急にこんなシチュが浮かんできちゃって。やっぱり今回の本に入れたくなっちゃって』
「え~っ。間に合うの? コピー本にしたほうがいいんじゃ……」
『そうなんだよねえ。でも、妥協はしたくないっていうか――』
そこからは、また好きな作品の萌え話に突入だ。
早く原稿も書かなくちゃならないのに、しのりんとのこういう話が楽しくて、つい長話をしてしまう。
はじめて会ったときにはもちろん、しのりんだって自分の秘密を教えてくれたわけじゃなかった。だから僕はしばらくの間、しのりんを本当の女の子だと思っていた。
確かに少し、ほんの少しだけ何かの違和感をおぼえたのは事実だけど。それが何なのかに気づかないまま、僕はしのりんと先に仲良くなってしまったのだ。
あとで思ったのは、その声だった。
しのりんは、一般的な女の子たちよりも少しハスキーな声をしている。実はなんとなく、意識の底で、そういう違和感は感じていたのだ。
よくよく聞いてみればそれは、やっぱり女の子の声とは違う。男の子としての声変わりをしていても、それでもかなり高めの声なんだけど、そもそも女の子の声と男の子の声は張りというか、トーンが違うものだからだ。
しのりんはしのりんで、僕のことを「ちょっとボーイッシュな女の子」という風に理解したようだった。
男っぽい格好をするとき僕は、特に念入りに胸のあたりにさらしなんかを巻いて固めてしまうけど、それでも腕やら腰に男子みたいな筋肉がつくわけじゃない。ぱっと見、細身の男子には見えるだろうけど、それでも「あ、女の子か」ってわかる程度なんだってことぐらい、僕にだってわかってる。
僕としのりんはそのまま、隣で話をするうちに好きなキャラのことで盛り上がり、住んでる地方が同じだということがわかって、ご飯とお茶をした挙げ句、一緒に新幹線に乗って帰ってきて駅で別れるところまで、ずーっとそれをしゃべり続けることになった。
本当にもう、息をするのも忘れるぐらい、「機関銃のように」って形容がぴったりくるぐらいにだ。
それぐらい、僕らは気があってしまったということだ。
そしてその頃にはもう、お互いを「ゆのぽん」「しのりん」と呼び合っていた。
そうして、そのすぐあとだった。
まっすぐあの家に帰るのもつまらなくて、駅周辺をうろうろしていた時、僕がほんとに偶然に「その子」に会ってしまったのは。
僕らの町の新幹線の駅は、あのハーブ園のある山裾、赤いロープウェイの乗り口にほど近いところにある。そのあたりには旅行者向けのホテルやら、大きめのショッピングモールなどもあるのだ。
ファッション関連の店などを適当に見ながら、僕はしばらくそのあたりをぶらぶらと歩いていた。すると、前からころころと黒いキャリーバッグを引いた人物が歩いてきたのだ。どうやらそちらの方向に、化粧室があるようだった。
ちょっと長めだけど、それでも十分短い薄めの色の髪をした、細身で小柄な「男の子」。
それは、ラフなシャツにジーパンとスニーカー姿の「少年」だった。ちょっと線が細いかな、ということのほかは、彼は普通に、どこにでもいるような男の子に見えた。
その子は僕を見て一瞬びくりとして、すぐに顔色が変わったのがわかった。
もし、その子が引いているのがさっき別れ際にしのりんが引いていたキャリーバッグでなかったら、僕だって見過ごして、そのまま通り過ぎていたことだろう。
それは、しのりんのあのとてもフェミニンな姿からはちょっと違和感のある、なんだかひどく地味なというか、無骨なデザインのキャリーバッグだった。僕はなぜだかそのことが少し不思議に思えて、その前からそっと観察していたので、細かな部分までよく覚えていたのだ。
「しの、りん……?」
僕が恐る恐るそう訊いたら、「男の子」はきゅっと唇をかみしめて、途端に泣き出しそうな顔になった。
僕は慌ててその子に駆け寄ると、その背中を押して、人目につきにくい柱の陰へ連れて行った。
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