*燃えさかる

「なんですって!?」

 上司に呼び出されたマークは、受けた報告に目を見開いた。襲撃を受けたのは一昨日だと言うじゃないか。

 たかが下っ端には知らせる義務はないとはいえ、担当である自分まで後回しにされるのは勘弁ならない。

「攻撃を受けているなら早く軍を──」

「簡単には出せない」

 最重要機密であるが故の事だが、落ち着き払った様子の上司に苛つく。腰掛けている本革の椅子さえも忌々しく思えてしまう。

「見殺しにするおつもりですか!?」

「そんなつもりは無い!」

 語気を荒げた上司に返す言葉がなく、喉を詰まらせた。彼とて使われている身だ、その立場はマークとなんら変わりはしない。

「くそっ!」

 部屋から出たマークは、自分の力ではどうにも出来ない悔しさに思わず口調が乱暴になる。どんなに考えても、いい案が思いつかない。

 襲撃の目的は一体、なんなんだ? まさか、生物兵器かなんかと勘違いしているんじゃないだろうな。

 小さめの会議室で一人、動向をじりじりと窺う。

「いつになったら軍は動くんだ!」

 襲撃を受けたという報告の時点で、もとより政府は諦めていたのかもしれない。人工生命体は倫理的にも問題があり、奪われたところでその公表は難しいだろう。

 生物兵器に転用できる要素もあまりない。暗殺者に仕立て上げるなら充分かもしれないが、わざわざ造り出すほどのメリットなど皆無に等しい。

 ベリルそのものを暗殺者に仕立て上げることはこのうえもなく困難であることを、マークはよく知っている。彼は出来る限りの抵抗を試みるだろう。薬で従わせれば、持っている能力はそれだけ低下する。

 襲撃した手前、こちらを脅すことも出来ないはずだ。成功例がベリルのみという事は、政府にあの施設を維持し続けるだけの理由はほとんどない。

 自分たちの科学力の高さは、キメラの成功という形で実証されたのだ。

 しかし、呼び集められた人たちはどうなる。何も知らされずに殺されていくのか。むしろ政府は口封じとして願ったりなんじゃないだろうか。

 施設で戦闘経験があるのはブルーだけだ。軍が動けない以上、彼が一人で全員を守らなければならない。

 相手の人数は解らないが、一人や二人な訳がない。

「そんなこと、無理に決まっている」

 人々の安否を思いながらも、やはりベリルを一番に考えてしまう。

 これ以上、彼を苦しめないでくれ。どうか、人間に絶望させないでくれ──僕は、こうして祈ることしか出来ないのか!



 ──ベリルは体に伝わる振動や音から状況を確認しつつ、教授たちを誘導しながら進んでいた。

 しかしふと、その足が止まる。この通路の先に、言い表せないプレッシャーがある。

「どうしたんだね。早く逃げないと」

「だめです。戻って」

 五人ほどがベリルの言葉も聞かずに通路を曲がった。本当なら連れ戻したい所だが、体が先に進む事を拒んでいる。

「こちらへ」

 連れ戻す事を諦めて背を向ける。

「彼らはいいのかね?」

 一人が問いかけた刹那、連続した破裂音と叫び声にその場は凍えた空気をまとう。あの向こうには何があるのか、何者がいるのかなんて考えたくもない。

「ま、待ってくれ!」

 遠ざかるベリルの後ろを慌てて追いかける。アリシアたちは少年の感覚に信頼感を強めると共に、自分たちに刻一刻と死が近づいている事を実感していた。

 十数メートル進んだ所で十字路を右に曲がる。すると、

「ブルー」

「ベリルか」

 部屋からテーブルをかき集めてバリケードを築いていたブルーと出会う。

「他は?」

 少年の後ろにいる人数が思っているより少ない事に眉を寄せた。ベリルが苦い顔で首を横に振ると、ブルーは目を伏せて悔しげに口の中で舌打ちした。

「そうか」

 ゆっくり哀しんでもいられない。ブルーは西の方角を指し示す。

「監視カメラの映像で、西に敵影が多かったように思う」

 お前ならどうする? いつもの訓練のように、ブルーはベリルに問いかけた。

「西……」

 しばらく思案するように目を泳がせる。西には大した施設はない、そして軍の基地があるのは東だ。

 バリケードを張ったこの地点は建物の中心から南寄りにあり、通路は少なく大体はここを通らねば奥には進めない。

「それでここに防衛戦を張ったのですね」

「上出来だ」

 褒めたあと、ブルーは歯ぎしりした。おそらく、すでにかなりの数が入り込んでいるだろう。

「どうする」

 どうする? ブルーは持てるだけの知識と経験を思い起こし、打開策を見い出そうとした。

 何か、何かあるはずだ──!

「ベルハース博士は」

「実験棟だろう。データを消去するつもりだ」

 その言葉にベリルの目が見開かれた。ブルーは苦々しく笑みを浮かべ、近づく足音にライフルを構える。

 博士たちのいるフロアはここから遠く、助けに向かう間に敵に出会う確率が高い。戦える者がいない現状では、彼らの無事を祈るしかない。

「相手が何者にせよ、データが渡ることは避けたいだろうさ」

 お前のことも知られるのは痛いだろうしな。ベリルは小さく紡がれたブルーの言葉に、いぶかしげな目を向けた。

 どうして自分の事を知られる事が痛いのか解らないといった顔つきに、ブルーは苦笑いを見せる。

「相手は研究成果が目的だ。重火器を使うことは無いだろう。ここに戦力が集中しているため、奴らはここに目的のものがあると踏む」

 これで多少はベルハースたちの時間を稼ぐことが出来る。そして、もし可能ならば逃げのびて欲しいと願った。

「ベリル」

 ブルーは深く息を吸い込むと、バリケードの後ろを指差した。

「行け」

 驚くベリルにさらに、

「お前の存在が善か悪なんて、俺にはどうだっていい。だが、お前は死ぬな」

「しかし──っ」

「お前は人類の理想であり、象徴なんだよ。だから、死ぬんじゃない」

 他人にはお前がどう映っているのかは解らない。だが、俺にはそう見えている。ブルーは諭すように、ゆっくりと発した。

「ブルー……」

 ベリルは全身から力が抜けていくのを感じて、胸の苦しさに戸惑う。

 ただの実験成果だと思っていた己に、そんな意志が向けられていたとは露ほども考えていなかったベリルにとって、初めての衝撃だった。

「出来れば最後まで守ってやりたかったがな」

 ベリルは、血に塗れた左足を見やる。そして、バリケード内に積み上げられているやや色味のある白い粘土状の物体に目を眇めた。

 そこからつながっているのは起爆装置だろう。これはC-4シーフォーと呼ばれるプラスチック爆薬の一種だ。取り扱いが容易で信頼性が高い。

 施設にあるのはせいぜい、百キログラムほどだが、ブルーはそれをかき集めてきたのか。

 不安げに見つめるベリルにブルーは、足手まといになるのはごめんだと不敵に笑い、それは他の教授たちも同じ意識だった。

「楽しかったよ。我々の知識を受け継ぐ者がいるんだ。それで満足だ」

「どうして──」

 私の真実を知らないあなた方が、どうしてブルーと同じ事をしようとするのか。

「君が特別な存在だという事は薄々、気付いていた。何者かは今も解らないがね」

「こんな老いぼれどもに何の目的があるんだね」

 どう考えても、狙いは君じゃないか。

「彼女も連れて行け」

 ブルーはアリシアを示した。

「私?」

「この中じゃあ、あんたは一番若い。外のことを教えてやってくれ」

「で、でも。私は戦えないし、彼の足手まといになります」

「俺が気付いてないとでも?」

 言われてアリシアは顔を赤らめた。

「年の差なんて気にするな」

 言っている事がよく解っていないベリルを一瞥し、ブルーは準備を促す。

「合図したら走れ」

「は、はい」

「アリシア立つな!」

 思わず腰を浮かせたアリシアに叫んだが、頭部を銃弾が貫きくずおれる姿に誰もが声を失った。

「アリシア!」

 突然のことにベリルは、ブルーの声を耳にしながら倒れていくアリシアを見つめていた。

「ベリル……。一緒に行けなくなっちゃった」

 喉を詰まらせる血に咳き込みながら笑みを浮かべる。痛みを感じていないのだろう、安らかな表情で少年を見上げる。ベリルは静かに彼女を抱きかかえた。

「ああ……」

 ベリルの腕に中にいる。なんて嬉しいんだろう。アリシアは間近にある少年の顔に口元を緩めた。

「温かい」

 そんなこと解るはずもないのにと、ベリルは震える自分の手を必死で抑えた。彼女の体が少しずつ冷たくなっていく。

 けれど、どうする事も出来ない。床に広がる赤い液体に声を詰まらせる。

 どんなに酷い映像を見せられても動揺する事がなかったベリルだが、初めて目にした光景に鼓動が速くなる。

 脈打つ傷口とあふれ出る血液は、アリシアから少しずつ体温を奪っていく。

「こんな、おばさんが……あなたに、恋するなんてね」

「まだ三十だろう?」

 頬に添えられた手を握り、安心させるように微笑む。

「三十五よ」

 アリシアは深く息を吐き目を閉じたあと、

「行って、ベリル。ここにいてはだめ」

「しかし」

「行ってくれ」

「一人でも生き残って欲しいんだ」

 躊躇うベリルにアリシアは力を振り絞り、その唇にキスをした。ベリルは口の中に広がる鉄の味に、眼前の死を受け入れる。

「さあ」

 こんな所で立ち止まらないで。

 ベリルは、ブルーたちの顔を記憶に焼きつけるように見回したあと、銃撃が止むと同時に駆けだした。

「そうだ、行け」

 施設から出たことのないベリルに、一人で生き抜けと追い出したのは間違いかもしれない。しかし、あいつならきっと乗り越えられるだろう。

「すまなかったな」

 息も絶え絶えのアリシアに、ブルーはぽつりとつぶやいた。

「あなたは……何も、悪く、無いのに?」

「もっと早く気付くべきだった」

 教え子に先に気付かれるとは俺もヤキが回った。あいつ一人を逃がすのが精一杯だとはな。

「悪いが、ここで足止めさせてもらう」

 敵が距離を詰めてきた事を確認し、起爆装置のスイッチを握りしめる。少しでも多く巻き添えにしてやるさ。

「十分に集まって来たな」

 我ながら情けない作戦だよ──笑ってスイッチを押し込んだ。

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