*ただ願い、ただ祈る

 ──ベルハースは実験棟の一室、並べられたパソコンを見渡し、もしもの時にと設定していたデータの消去を行う。

 素早く消去を済ませ、部屋を出るときに扉の脇にある赤いレバーを倒した。すると、スプリンクラーから水の代わりに可燃性の液体が降り注ぎ、途端に炎が上がる。

 とにかく全ての部屋を破壊しなければと、ベルハースたちは重い足を引きずる。

 きっとベリルなら、ここから逃げ出せると信じて力を振り絞る。自由になったときにデータが残っていたら、彼をまた引き戻してしまう。

 我々がいなくなったあと、どういった実験や研究が行われるのか考えたくもない。

「もう、充分に貢献したはずだ」

 これ以上、私たちの子供を苦しめないでくれたまへ。

 少しでもデータが残っていそうな部屋を探して破壊していく。聞こえてくる銃声に怯えながらも、投げ出すことなく消去作業を続けた。

 他の者とは連絡はつかないが、自分がどこを担当すればいいかは解っていた。

「ここで最後だ」

 ベルハースは、自分の担当する部屋は終えたと安堵する。きっと、他の者も成し遂げてくれているだろう。

 背後から迫る足音を聞きながら、ゆっくりと振り返った。

「貴様たちはなんだ」

 無言で銃口を向けられても、ベルハースは険しい表情を崩さず男たちをめ付けた。

 私が死ぬのは当然の報いだ。今まで未来のためだと、どれほどの命を犠牲にしてきたか。しかし、ベリルだけは我々の犠牲にはさせない。

 親らしいことなど、なに一つしてやれなかった。お前は我々と何ら変わらないのだとも言ってやれなかった。

 最期くらいは息子のために胸を張りたいじゃないか。

「貴様たちが求めるものなどここにはない!」

 威厳のある声は額を貫いた銃弾で途絶え、倒れた老人の死体を男たちが無表情に越えていく。



 ──ベリルは聞こえた爆音に振り返らなかった。懸命に気持ちを奮い起こし、立ち止まらずに出口に向かう。

 ふいに、真っ直ぐに走るベリルの右脇から黒い影が飛び出した。近づく足音を耳にして待ちかまえていたのか、殴られた勢いで壁に叩きつけられる。

 男は、痛みに小さく呻く人物にライフルの銃口を向けた。

「ガキ?」

 まさか子供がいるとは思っていなかったのか、覆面越しでも解るほどいぶかしげにしていた。

 いや、これは違う。ベリルは自分を見る男の動きに、死とは別の危機を感じた。

 持っているライフルでは間に合わない。かと言って、体格差だけでなく武装している相手に生身の打撃は通じない。

 ハンドガンも無理だ。明らかに防弾ベストを装着している。頭を狙えるほど大人しくはしてくれないだろう。

 相手は躊躇なくベリルにライフルの銃口を向けている。子供という事だけではない、銃口を向けられれば戦えないと見越している。

「動くな」

 その瞬間ベリルは素早く近づき、銃身を掴んで自分から狙いを外し引鉄ひきがね近くに手をかけた。

「きさま!?」

 ガシャンという音がして男が視線を落とすと、黒い物体が落ちていた。男はそこで、弾倉マガジンが抜かれたと気付き咄嗟にライフルを振り回す。

 当たればダメージは大きい。ベリルは男の動きを注意深く見て攻撃を避けていくが、全てを避けられるほど甘くはない。

 重たい衝撃に体勢を崩しそうになりながらも、痛みで判断を鈍らせないよう気をしっかりと持ち、攻撃してくる相手の動きを見逃すものかと見据えた。

 動けなくなるほどの致命傷は受けてはいないものの、このままではこちらの体力が持たない。

 一旦、距離を離すと男はハンドガンを手にした。すかさず銃口がどこに向いているかを見極めてどうにか交わす。

 数発は体をかすめ、走る痛みに己の未熟さを噛みしめる。だけれど、もう教えてくれる者はいない。ベリルはナイフを抜き、男の手元にその刃を走らせた。

「っ!?」

 熱い痛みに男は思わずハンドガンを手放し、予想しなかった反撃に目を丸くする。

 闘えない子供と侮っている今なら勝機はある。一気にその懐に飛び込むと、驚く男の腰にナイフを突き立てた。

「ぐおっ!? ──っがふ!」

 斜め上に沈めたナイフをねじる。男と目が合い、痛みと驚愕の眼差しがベリルに降り注がれた。

 ベリルは手元に伝わる気持ちの悪さに顔をしかめ、ナイフを引き抜く。

「ぐ、ごふっ……。き、さま」

 倒れる男が伸ばす手に心臓を掴まれるような苦しみを覚え、止まらない体の震えを抑えて遠ざかる。

 ブルーがせき止めてくれたせいか、ここはほとんど手つかずだ。この場所は今までもあまり使われていないエリアだった。

 ベリルはそれにやや違和感があったが、ひとまず脱出しなくてはと扉を目指す。見えてきた金属の扉は自動ではなく丸いノブがあり、掴んでひねれば軽く開いた。

 本来は閉じられているはずなのにと眉を寄せ、もしやブルーが遠隔操作で解錠してくれていたのだろうかと、暗くなった辺りを見回し思考を巡らせる。

 建物から出て、十数メートル先にある高い壁を見やる。壁の近くには軍の大型車が駐まっていた。

 ハンヴィーという軍用車両だ。横長の平たい車には、屋根ルーフに機関銃などを装備する事が出来る。

 この車両には何も装備されていないようだ。近づいて見上げると、壁はハンヴィーよりもまだ二メートルほど高かった。

 見回すと、扉らしきものがある。さすがにこれは解錠されていない。どうしたものかと思案して、ハンヴィーの中を探った。

 積まれている大きなプラスチックケースを開けると、銃や弾薬の他に爆弾が幾つか入っていた。

 それを二つほど手にしてバックパックに詰め込むと、一メートル四十センチほどのライフルを抱えて屋根に上る。

 壁と車両は少し離れていたが、これくらいならと重たいライフルを立てかけて勢いを付けて片足を乗せた。

 そうしてなんとか壁に登る事は出来たが、さすがにこの高さから飛び降りるのはいささか抵抗があった。

 それでも、ここにいる訳にはいかない。登った弾みでライフルが壁とハンヴィーの間に落ちている事を確認してバックパックを放り投げ、安全に高所から飛び降りる訓練を思い起こして意を決した。

 降りるとすぐにバックパックを拾って森に駆け込む。茂みに身を潜め、施設から聞こえてくる音を注意深く聞き入った。

 しかし、いつの間にか寝てしまっていたようだ。気がつけば夜も明け、外では初めての朝陽を浴びた。

 昨晩は緊張していたせいか、壁の外に出たのだと実感する暇がなかった。改めてその場の空気に触れる。

 緑の香りと朝露に湿った草木は、ベリルの頬を自然と緩ませる。しかしすぐ、壁を見据えて中の様子を肌で窺う。耳を澄ましても何の音も聞こえない。

 どうやら敵は諦めて撤退したらしい。ベリルは慎重に壁に近づいて爆弾を取り出すと、それを頑丈そうな扉に仕掛けた。



 ──十五年を過ごした施設は静まりかえり、人の気配はまるで感じられない。微かに感じていた電子音も消え、少年の足音だけが小さく響く。

 何をいくら反芻しても、侵入された時点でこちらの負けは決まっていた。気付くのが遅すぎた。

 どう考えても、施設についてよく知る者が相手にいたとしか思えなかった。しかし、それを確かめる術もベリルにはない。

 ブルーたちがどうなったかを知っているはずなのに、足は自然とそちらに向かう。そうして、その現実を眼前にして声もなく立ちつくした。

 痛む胸を押さえ、逃げてはならないのだと目を開く。ここに、何人がいたなんて解るわけがない。

 だけれど、ベリルは覚えている。決して忘れはしないと拳を強く握りしめた。

 待っていれば、いずれ軍が来るだろう。それからどうなる? ベルハースたちがいなくなっても、また同じことが続くのだろうか。

 それとも──?

 ベリルは顔を伏せ、強く目を閉じた。そのあと、ふらりと施設内の庭園に足を向ける。

 それからおよそ一時間後、缶詰と飲料水にエマージェンシー・キットの入ったバックパックを背負い、えぐれた地面を再び見下ろす。

 目を眇めて瓦礫を見やり、大きく息を吸い込んで顔を上げた。ベリルは紡げない言葉を呑み込み、その場から静かに姿を消した。

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