*兆しの至り

 アリシアは最近になって、何かがおかしい事に薄々気付き始めていた。他の専門家も同じ感覚なのかもしれない。

 国家機密に関わった事がないため、こういうものなのかと考えてはいるものの、やはり腑に落ちない。

 これだけ長く携わっていれば、ベリルに行われているものが単なる天才の研究というには違和感があった。

 一人の人間に施すには、あまりにも施設が巨大すぎる。それに見合う成果は望めているのだろうか。政府は何かを隠しているのではないだろうか。

 だからといって、どうにかなるものでもない。何を隠しているのか気にはなるけれど、それを暴きたいと思えるほどには勇気も力もなかった。

 何よりも生命と生活の保障はなされており、差別や虐げられているといったこともない。

 国家機密という部分において情報は厳守されなければならないことは当然ではあるし、それを了承してここにいるのだ。

 疑問はあれど、今のところは反抗したい要素は彼らにはなかった。第一に、教えたものを今も吸収し続けている天才が確かにここに存在するのだから、それが彼らの不満を小さくしていた。

「ベリル、今日は何がしたい」

 ブルーはトレーニングルームでベリルに尋ねる。

「そうですね」

 聞かれてしばらく考えたあと、

「お手合わせ、願えますか」

「いいだろう」

 ブルーは口角を吊り上げ、柔らかく造られた木のフローリングに向かう。

 二メートルほどの間隔を空けて向き合い、互いに構える。数秒の沈黙のあと、合図も無しに同時に駆け寄った。

 ブルーの体術は主にマーシャルアーツだが、ベリルはそれを自分なりにアレンジしたものだ。

 体術は他にも多数を学んでいて、そのなかで自分に合った動きを実戦向きに改良を加えているらしい。その柔軟性と応用力にはブルーも脱帽していた。

 体格差から考えて、小さいベリルが受け止める衝撃はブルーよりも大きい。それだけベリルが不利という事に他ならない。

 だけれども、ベリルはそれを軽減、あるいは己の力とするための動きを模索し身につけ始めている。

 ブルーとは違い、ベリルは柔軟な体を活かし流れるように打ってくる。そのしなやかな動きに、油断すると足下をすくわれそうになる。

 ベリルの体格はまだ細いながらも、充分に通用する体術を使いこなせるようになっていた。

「上達が早いな。俺が教えることが無くなって来たぞ」

 タオルで汗を拭い、十五歳とは思えないほどの身のこなしに自身の衰えを実感する。ベリルは成熟していく一方でブルーはただ年老いていくだけなのだ、体術の相手はそろそろ限界かもしれない。

「まだまだ教わる事はあります」

 相変わらずの無表情に少しの笑みが浮かぶ。格闘技や武術の専門家はブルー以外にも呼び寄せられているが、こと実戦にかけてはブルーに教わることの方が多い。

 技術だけなら他の専門家も引けを取らないどころかブルーは兵士だ、それのみに特化した相手とやりあえば勝てる見込みはあまりない。

 しかしそれは、あくまでもルールのうえにのっとったもので、それが崩れたときの素早い対処と考えれば実戦経験のあるブルーに軍配が上がる。

「そう言ってもらえると嬉しいけどね」

 ベリルがそれを重要視するのは今後、経験するかどうかも解らない実戦に向けてのものではないことはブルーは知っている。

 受け継がれてきた伝統を内包する体術は、人の営みを感じさせてくれる。しかし、広がる可能性を体感出来るのはそういった経験からなる動きだ。

 あらゆる手段で人というものを知ろうとするベリルに、ブルーはその出自を恨めしく思った。人というものを造り出すことがどれほど大きな罪なのか。

 いつか、それが当たり前の世界となるときが来るのだろうか。しかし、そんな世界はベリルが生きている間に来ることはないだろう。

 そして、それが普通の世界になることを、ブルーはあまり良いとは思えなかった。



 ──二人はトレーニングを終えてシャワールームで汗を流し、そのままスポーツドリンクを手に会話を交わしていた。

 次の講義までは少し時間がある、ベリルは休むことなくブルーに戦術について教えを請うていた。

 もっとのんびりやりゃあいいのにと苦笑いが浮かぶ。

 しかしふと、

「どうした」

 ベリルの様子に眉を寄せる。気配を探るように険しくした目尻は初めて見る表情だ。

「空気が違う」

 それにブルーも辺りを窺う。やや張り詰めた気配が感じられる。まだ遠いが、これは明らかにこの施設に向けられているものだ。

 戦場の緊張感が蘇る。

 胸の奥底から込み上がる得体の知れない気持ち悪さと、汗ばむほどの高揚感──こんな感覚はもう来ないと思っていた。

 互いに顔を見合わせたあと、ベリルは専門家たちがいる建物に、ブルーはモニタルームに駆け出した。

「警報を鳴らせ!」

「ブルー教官? どうしたんです」

 勢いよく入ってきたブルーに警備員は怪訝な表情を浮かべる。

「敵が来るぞ」

 ブルーは荒い息を整えながら監視カメラを注視する。

「異常はありませんよ。外には警備兵がいますし」

「それを突破されると何故思わない」

「まさか。よほどの戦力でなければ、小さくても軍の隣にある施設を襲撃しようなんて考えな──」

 途端に、けたたましく警報が鳴り響き言葉を切る。何が起こったのかと警備員は戸惑い、ブルーを見つめる。

「来たか」

 舌打ちし、これからどうすべきかを思案した。

「ここは危険です。速やかに軍の敷地に移動してください」

 専門家たちが集まる部屋に飛び込むように入ってきたベリルは、語気を強くして外に促した。その手にはライフルが握られている。

「なんだね?」

 部屋にいた教授たちは避難訓練か何かだろうかと、やや息の荒いベリルを見やる。しかし、そんな連絡は受けていない。

「どうしたの?」

 アリシアはいつもと違うベリルをいぶかしげに思いながらも、表情を険しくしている彼に尋常ではない事があったのかと体を強ばらせた。

「良くないものが来る」

「え?」

 その刹那、警報が五月蠅く鳴り響き、一同はようやく事の重大さに気付いた。

「一体、何が来るというんだ?」

「詳しくは解りません。しかし、好意的な相手でないことは確かです」

 実感が湧かずに問いかけた教授は、ベリルの言葉にゴクリと生唾を呑み込んだ。冗談をあまり言ったことのない少年が、こんな大がかりな嘘を作り出すはずがない。

「誘導します。なるべく静かに移動してください」

 二十人ほどが大人しくベリルの後ろを追う。警報は鳴り止む気配を見せず、不安が募るばかりだ。

 しかし、実戦を知らず外に出たことすらもないベリルが、これほどまで冷静に行動している姿には驚きを隠せない。

 十五歳の少年が大人しくしているというのに、こちらが騒いでいては恥ずかしい。そんな感情が彼らを抑制しているのだろう。

 それにしても、なんと手慣れたように武器を持っているのだろうか。まるで、戦い慣れした兵士のようではないか。

 嫌悪を示す人間も数名いたが、今はそれに安心させられていた。


<どういう事だね?>

 実験室で科学者たちを見つけたブルーがスピーカーを通して避難を呼びかけると、ベルハースは警報に負けないように口調を強く問いかけた。

「敵ですよ」

<敵とはどういう事だ>

「ここは何の研究所ですか」

 そうだ、軍の隣にある施設をわざわざ襲う連中の目的など解りきっている。

「データを!」

 ベルハースは目を吊り上げ、部屋にいた仲間にそれぞれデータのある部屋に向かうように指示をした。我々の研究を悪用される訳にはいかない。

 そうしてベルハースは部屋を見回し、少しでも関係する情報をまとめて金属のゴミ箱に放り込んだ。

「奪われる訳にはいかん」

 ジッポライターを手にして炎を見つめ、おもむろにゴミ箱に落とすと次はパソコンに飛びついた。

 警報が鳴り続けるなか、『侵入者多数、いずれも武装しているもよう。ただちに避難もしくは、対抗措置をとってください』と放送が繰り返される。

 ブルーは、いくつもの監視カメラの映像を見つめて舌打ちした。顔を隠し、暗いミリタリー服に武装した連中があちこちから侵入している。

「くそっ、囲まれている。救援は──無駄か」

 国家機密の施設に大々的な救援を送り込む訳にはいかないだろう。隣が軍の施設とはいえ、上からの命令がないかぎり動けない。

 しかも運の悪いことに、今日は兵士のほとんどが出払っている。要人が祭典に出席するとかで、その警備にあたっているのだ。

 他の基地からもここは離れている。あえてこの日を選んで襲撃してきたのだとすれば、ある程度の内情を知っている相手ということになる。

 森の中に隠されているということは襲撃する側にも有利に働く。当然だが、国はこの施設についておおやけになることを嫌っている。

 救援がくるのは──

「終わったあとだな」

 かすれた声でつぶやいた。どう思案しても勝算が見い出せず、悔しさが込み上がる。

 ならば、せめてベリルだけでも無事に逃がしてやりたい。目的が彼とはいえ、その年齢や容姿まで刻銘に知っているとは限らない。

 そもそも、襲撃してまで手に入れなければならないものなのかという違和感がブルーの脳裏に過ぎっていた。

 確かに、人工生命体はとんでもない研究成果だろう。しかれども、ベリルは人となんら変わりない。

 これが生物兵器というのなら、襲撃してまで奪う価値はあるのかもしれないが。

「全てが遅すぎた」

 こうなってしまっては施設を放棄し速やかな撤退が最善の策だ。だが、それすらもすでに手遅れだろう。

 とにかく動け──ブルーは奥歯を噛みしめてモニタルームをあとにした。

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