◆赤黒い景色

*意味のなさないもの

 さらに一年が経ち、十五歳になったベリルは落ち着き払った仙人のような貫禄を見せていた。

 少年の頭脳は未だ知識を吸収し続けている。研究者にとって、各々の専門家たちにとって、そして政府にとって、それがいかに驚愕であるかはそれぞれ異なる見解だろう。

 ベリルはただ、自身が求める知識を学んでいるに過ぎない。そうでなければ、閉鎖的な空間において精神が病んでもおかしくはないだろう。

 そんなマイナスの変化を見せない部分にも、周囲は驚きを隠せないでいた。

 ベリルから学びたいと希望した戦術関連についても目を見張るものがあり、環境が環境なら優秀な暗殺者にも仕立て上げられる。

 しかし、ベリルはそれを望まない。彼が学んでいるのは人を傷つけないための方法だからだ。

 ブルーは一般的な武器だけでなく、日常にある多くの物にもどれだけの殺傷力があるのか、それをどう使えば武器となるかなどを教えていった。

 物の強度や形を瞬時に把握し、一定の状況下でどう持てば有効な武器になるのか。それらは戦闘になったとき武器がない、あるいは出せないといった考慮出来うる限りの状況を想定し進められる。

 驚くことに、ベリルからなされる想定状況はブルーが考えている数を遙かに上回り、むしろブルーの方が大いに学ぶこととなった。

 一度も外の世界を肌で感じた事のないベリルだからこそ、なんの先入観も持たずにあらゆる状況を考えられるのかもしれない。

 それはブルーにとって胸の痛くなるものではある。しかし、こうして学びの中で楽しむものがあるのならば、俺が嘆く意味などあるのだろうか。

 今は自分もベリルと同じく外に出られない状況だが、始まりが異なる時点でなに一つとして計れるものじゃない。

 この歳になってもベリルの身長は大幅に伸びる気配を見せない。それはデータからも明らかであり、せいぜい百七十三か四で止まるだろうと研究者たちは予測していた。

 身体能力についてはさらに伸びる事が示され、プロジェクトチームの面々も驚きを隠せない。政府からは続けて人工生命体の作成を続けるようにと指示を受けているがベリル以降、成功する兆しはまるで無い。

 数ヶ月前に報告したベリルの身体データを見てから政府の命令が強くなった事をブルーも知っている。政府はこれまで以上にベリルの教育に熱を入れる事だろう。

 その全てをどう使うつもりなのか。ブルーもベルハースも不安を心に抱えた。



 ──そうして一年に一度の友達が施設を訪れる。彼は大きな荷物を検問員のテーブルに乗せて額の汗を拭った。

「こりゃまたでかいな」

「誕生日プレゼントだよ」

「一体、何が入ってるんだ」

 黒い制服を着た検問員は大きな腹を揺らしてバッグのファスナーを開いていく。

「なんだいこりゃ?」

「ぬいぐるみだよ。可愛いだろ」

 マークは白い犬のぬいぐるみを引っ張り出して抱える。ベリルの部屋は質素で殺風景だと青年はいつも感じていた。

 邪魔だと嫌がるだろうかとも考えたが、それならそんな表情が見られるのだからいいじゃないかと奮発した。

 次に友達から借りてきたアルバムを示し、許可を貰うとひとまず荷物を部屋に預けてすぐにベリルの元に向かった。

「ベリル!」

 マークは少年を見つけると嬉しそうに手を振り、ベリルもそれに手を挙げて応えた。

「元気だったかい?」

「はい」

 微笑む少年を確認するように肩を掴む。マークはブルーだけには真実を話しているとベルハースから聞き、会って色々と話し合っていた。

 彼の真実を知る我々だけは、彼の友で居続けようと──秘密を共有することで二人の間には何かしらの絆が生まれたかもしれない。そんな事はどうでも良かった。

 それでベリルを守れるならば、マークは大抵の手段を選ばないと決めていた。それはブルーも同じだったのかもしれない。

 合わせた視線は同種のものを感じさせる輝きを宿し、交わす握手に力がこもっていた。

 ベリルは誰も憎んではいない。僕なら、生み出した科学者たちを憎んでいたかもしれない。

 だけど、彼は逆だった──

「憎む? 何故」

「何故って、生まれなかったらこんな所に閉じこめられなくても済んだだろう?」

「それは違う。彼らがいなければ、私はここに存在することすら出来なかった。あなたとも出会わずにいた。この記憶も無い」

 全ては同時に起こっている、どの未来が現実になるかは解らない。ほんの少しズレれば、私は存在する事も出来なかった。

「私がもし、あなたと同じ人間として産まれていたならば、それは私ではない」

 君は強いね。僕は君を生み出した科学者たちに少し憎しみを抱いていたのに、君はそれをあっさりと消し去った。

「ただ──」

 ベリルはふと、

「私の持つ知識が意味を成さない事に多少の悔しさは感じます」

「……ベリル」

 どれだけ学ぼうとも、それを活かせる場所は無い。それでも少年は学ばなければならない。それが彼に与えられた仕事なのだ。

「学ぶ事自体はとても楽しい。けれど時折、虚しくなる事もあります」

 そんな言葉にどう返せばいいのか解らない。どんな言葉もベリルを慰めるものにはならない。

 誰にも応えられないものに彼も期待はしていないのだろう。誰かを困らせたい訳でもない。だからすぐに、「大丈夫だよ」と言うように小さく笑みを見せる。



 ──その夜、誕生日はとっくに過ぎていたけれど、差し出したぬいぐるみに驚いた顔を見せたベリルにマークは満足した。

 そのあと、友達のアルバムをいつものように時間をかけて見つめるベリルを眺め、報告書作成のために数日を過ごす。

 来年も再会を果たすために怠ってはならない。もう、彼を実験動物のような目で見る人間に任せてはいけない。

 視察期間を終えたマークは施設を見下ろす。次は彼と何を語ろうかとヘリの中で来年の事を考え、再び出会うその日が待ち遠しかった。

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