*ベルハースの決断
ベリルが十四歳になった頃には、マークとはうち解け合う仲となっていた。視察としては逸脱しているが、マークは公私を上手く使い分けた。
ここから出ることが許されない少年に、せめてもの献身だと慎重に行動していた。上からの指示は絶対だ、視察を変更すると言われれば従うしかないマークにとって、毎日が緊張だった。特に視察後の報告には気を揉んだ。
報告内容によって、いつ担当から降ろされるか解らない。それはある意味、友達で居続ける事への執着ともとれた。
それほどに、ベリルに対する想いは強かった。マークに子供がいない事も理由にあるのかもしれない。
子供をほしがっていた妻のローラは生殖機能に難があり、やむなく諦めていた。それによって夫婦仲が悪くなったという事はなく、妻をより大切にしようとマークは決意を固くしていた。
マークには兄がいて、弟を持つとはこんな感覚なのかとも考えてもいた。だが、そんな心の奥ではこの感情はもしや傲慢なのではと思う事もあった。
自分はただの、普通の人間だ。友達になろうと持ちかけた感情の裏には、実験動物としての哀れみは本当になかったのだろうか。
僕は、本当に彼に誠実に接しているのだろうか。そこに欺瞞はないのだろうか。考えは頭の中をぐるぐると回り、繰り返しても結論は出ない。
──溜息を吐きつつ、マークはベルハースたちのいる研究室でコーヒーを傾けていた。
ふと、パソコンを睨みつけているベルハースに目が留まる。彼はいつも仏頂面をしていて、なんとも話しかけづらい雰囲気を漂わせている。
意図的なものかもしれないが、性格的なものだろうとも思える。
「教授」
「なんだね?」
「どうして僕に彼の名を?」
今までずっと尋ねたいと思っていた事に意を決した。施設にいる人間を覗いてベリルという名を知っているのは自分だけだ。彼は初めから僕に少年の名前を告げていた。そして、それを伏せて欲しいとも言わず……。
「そうだな──賭けだよ」
しばらく沈黙していた教授が低く発する。
「賭け?」
ベルハースは監視カメラから送られてくる映像を一瞥したあと、片目を眇めた。
「あの子は死ぬまでここを出られない」
ぼそりと発した言葉にマークはハッとした。それは初めての声色だった。威厳に満ちたものではなく、どこか不安を抱えたものだ。
「我々は彼が生まれた瞬間、歓喜した。そしてその後の事を考えた」
「教授」
「人間で言えば感受性の強くなる年頃だ。それまでは年に数日の輩など気に懸ける対象ではなかったが、これからはそうはいかん。友達もいないのではな」
相手は誰でもいい訳ではない──そう言って教授はコーヒーを一口味わいマークを見据える。
伏せろと言われれば人は言いたくなる。君がどんな人間かも確かめたかった。
ベリル・レジデントはあの子の人としての名だ。学ばせる事が政府の実験だとしても、勉強はあの子のためにならなければならない。
「我々は君に賭けたんだ」
人間関係もまた、大切な学びの一つでもある。我々は機械を育てている訳ではないのだ。
「ありがとうございます」
マークは本当に感謝したい気持ちだった。教授たちもまた、公私を別けてベリルに接していたのだ。それは実に巧妙に、隙を見せればそこからほころびが生まれる。
ベリルは誰にも教わらずにそれらを感じ取り、同じく上手く対応してみせている。互いが理解し合えたからこそ、悟られずに今まで来られているのだろう。
まさに奇跡とも言うべきかもしれない。
「あの子に憎まれたとしても、それは甘んじて受け入れるつもりでいた」
それだけの事をしてきたのだから。
「私は己の責任から逃れるつもりはない」
無骨で不器用な男の唯一の誇りだった。
「それもまた、私の生きてきた功績なのだよ」
誰にも認められる事もない、賞賛される事もないだろう。人間の歴史の汚点だと言われても仕方がない。
多くの命は生まれては消えていった。
「それでも、私はベリルという存在を誇りに感じている」
「はい」
それはマークも同じだった。彼を守るためならば、僕は祖国にだって嘘を貫き通す。
弄ばれて生まれてきた命かもしれない。けれど、ベリルはそんなものは関係ないと生きていることに感謝をしている。
だったら僕たちがそれを踏みにじってはならない。
解っている。何度、踏みにじられようとベリルは立ち上がることを──小さくても僕なんかより、とても大きい。
そんな彼だから、みんな守りたいと思うんだ。
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