*見えない心

「えーと、次の視察は~──あ」

 ベリルに会える日はいつだったかとカレンダーを眺めていたマークは、見えた日付にふと気がついた。

 確か人工子宮から出されたのは──

「そうだよ。うん」

 五月のカレンダーを確認するように指でトントンと弾き、笑顔で外に向かった。

「あら、どうしたの?」

 玄関で花を生けていたローラが尋ねる。

「うん、ちょっと出かけてくるよ~」

 振り向いた妻の頬に素早くキスをして足早に出て行った。



 ──視察当日、マークは持ち込む荷物の入ったバッグを手に格子扉の前にあるカウンターで男の一人と向き合っていた。

 ベリルのいる建物に入るためには、持ち物チェックをしなければならない。着替えなどの持ち込まない荷物は別棟にある宿泊施設に置いてくる事になっている。

 スマートフォンはここで預かりボックスに入れられ、手にあるものを渡して金属探知機を通る。

 中身を全てカウンターの上にまかれて一つ一つのチェックが入る。マークはその間も落ち着かない様子で時折目を泳がせた。

 一般の監視カメラの他に紫外線カメラと赤外線センサーなどがあちらこちらに設置されていて妙に緊張してしまう。

「これは?」

 検査員は持ち込む荷物の中にある包装されたものに目を落とす。

「プレゼントです」

「中身は?」

「カードと本です」

 男はそれにマークを一瞥し、白い紙で綺麗に包装され青いリボンでくくられた平たいものを手に持ち少し思案したあとレントゲン検査機に送り込む。

 中身は説明の通り、本の形を画面に映し出し無事に施設に入る事を許された。そうしてマークは長いチェックに溜息を一つ吐いて歩みを進めた。

 講義を終えて部屋に戻ってきたベリルは一年前と変わらず青年に笑顔を向ける。それに安心し軽く手を振った。

「やあ」

「一年ぶりですね」

 十三歳の少年は、一年前よりもさらに端正になった顔立ちに神秘性を漂わせていた。

「元気そうで良かった」

 そんなマークに応えるように笑みを見せ、次の講義の準備を始める。学びの数は一年前よりも増えていた。

「じゃあ昼食の時に」

「ああ、うん。無理はするなよ」

 会釈して部屋をあとにするベリルの背中を見送る。マークは手にあるプレゼントを見やり、監視モニターのある科学者たちのいる部屋に向かった。



 ──昨年と変わりない部屋は、マークの今の心情にはおよそ殺風景にも思えた。パソコンの画面を見ていたベルハースは青年を一瞥すると再び画面に視線を戻す。

 マークは室内をざっと見回し小さく溜息を吐くと監視モニターの前にある椅子に腰掛けた。

「どうだったかね」

「え、はい。まあまあです」

 今日までの一年間の事を問いかけているのだろう。だからといって友達とのパーティの事など聞きたいとは思えない。

 適当に受け答えをしたマークを再度見やり、デスクに置かれた物に無表情な視線を送った。

「それは」

「はい?」

「夕食にしてくれんかね」

 すぐにプレゼントの事かと気付いた。

「どうしてです?」

「昼からの講義に支障を来す可能性がある」

 すぐに答えたサイモンに目を向ける。ベリルに限ってそんなことはないと言いたかったけれど、渡すなとは言われていない。

「解りました」

 納得出来ないながらも了承し、いつものように談笑しながら昼食を取った。

 今日が何の日か知らないはずはない。なのに、チームのメンバーは誰一人として笑顔を見せない。

 所詮は研究成果でしかないのかと唇を噛みしめる。

「今日の夕食は二十時だそうです」

「え?」

 マークはベリルの言葉に眉を寄せた。いつもは十九時なのに今日に限って一時間遅い。

 つまりは一時間いつもより余計に講義があるという事だ。よりによってこんな日にしなくてもいいのにと苦い顔になる。

「好きな講義を受けていいと前日に言われましたので戦術を指定しました」

「またトレーニングかい?」

 マークの問いかけに小さく笑みを浮かべる。青年の怒りとは裏腹に、ベリルは学びたいものを選択出来る事が嬉しいようだった。

 彼にとって勉強は苦痛じゃない。そういう環境にいるからかもしれないが、それを悪だとしていた自分に恥ずかしさを感じた。

 ブルーは未成年のトレーニングには詳しくはない。そのため、対術を行う際には事前に別にいるスポーツトレーナーと話し合う。

 とはいえ、ベリルの身体能力は一般的な同年代の人間とは比較にならず、最終的には医学や生物学といった学者たちとも連携を密にしなければならなかった。

 もちろんブルー以外の者たちは少年の正体を知らされてはいない。ベルハースたちの持つデータはほぼ彼らに開示されてはおらず、自分たちで調べたデータのみでベリルの教育を行っているのだ。

 例を見ない対象であるだけに、多くのデータを必要とする以上はそれもやむなしなのかもしれない。

 ベリルの成功以降、いくつか実験を繰り返したが結局は一つも成功を見ていないのだから。研究にかけられる費用は安くはない。

 そういう事もあり、人工生命体の研究はベリル一本に絞られる事となった。



 ──マークは視察員としての職務に励むため、監視モニターを見入る。しっかりしないとベリルと友達でいられなくなる。

 彼を実験動物のように扱われてたまるものか。ベルハースたちにも任せられない。

「そろそろ終わる頃だ、迎えにいってやってくれんかね」

「え? はい」

 初めてそんな事を言われたことに首をかしげつつトレーニングルームに向かった。到着する頃にはベリルは通路に出ていた。

「終わったかい?」

「はい」

 ここからは自由時間だ。とはいえ、予習と復習をベリルは自分の意思でやっている。

 マークは見つからないようにバッグにプレゼントを入れて持っていた。いつも持っているバッグだからか、少年は気がついていないようだ。

 部屋に戻ると、何故かベルハースたちチームのみんながそこにいた。さすがに全員がこの部屋に揃うのは珍しい。

「どうしたんですか?」

 無言のベリルを一瞥してマークが尋ねる。

「今日は特別なディナーを用意してみた」

 そう言ってテーブルを見せるように散らばると、中心に置かれたケーキを囲むように二人分の料理が並べられていた。

「これは──」

「たまにはいいだろう」

 目を丸くして見つめるマークにベルハースはぶっきらぼうに応える。ケーキには数本のロウソクが立てられていた。

「それと、以前に希望していたものをデスクに置いてある」

 無表情にサイモンが応え、二人を残して部屋から出て行った。

「これって──」

 マークはテーブルとデスクを交互に見やった。

 包装こそされていないが今日に限ってベリルが希望していた物を複数一度に持ってくるなんて、この日を意識していない訳がない。

「食べようか」

「はい」

 ベリルは変わりない声色で応えたが、今日は朝からいつもと違っていた事に気がついていたようだ。

 いや、事前に講義が一つ増えた時点で何かおかしい事に気がついていたのかもしれない。

 そうか、教授たちはベリルをちゃんと愛していたんだ。ベリルもそれを感じている。僕がそれを見ていなかっただけなんだ。

 本当は、とても小さな欠片があったはずなのに自分の感情に囚われて見つけられなかった、見ようとしていなかった。

 みんな不器用なんだなと口角を緩めて料理を堪能する。キャビアやフォアグラが使われていてマークは幸せな気分になった。

 ケーキに目をやると、柔らかなスポンジに真っ白な生クリームがコーティングされていて、赤い苺が均等に乗せられている。

 さらに琥珀色の飴細工が綺麗にケーキを飾っていた。シンプルなのに、とても特別に感じられる。

「ベリル、誕生日おめでとう」

「ありがとうございます」

 渡されたプレゼントに少年はやや戸惑いながら笑みを浮かべた。こんな風に、面と向かって祝われるのは初めてなのかもしれない。

 マークは、ようやく今日のこの日を実感出来た。

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