*学びのなかにあるもの
──子供というものは日増しに成長していく。
「やあ。さすがに大きくなったな」
一年に数日だけの再会は十二歳になったベリルを昨年より大人びて見せていた。鍛えているという事もあり、やや筋肉質になったとも感じる。
しかし成長期にはあまり無理をさせない方がいいため、ブルーは筋力の重視はしていないようだ。
もちろん、本人もそれについては充分に学んでいるのでブルーも教えやすいとは言っていた。
ベリルは一般平均に比べて成長が遅いというデータが出ている。それが精神的によるものか、遺伝子的なものなのかまでは解らないとの事だった。
「そうですか?」
ベリルは言われるほどの変化があるのかと自分の体を軽く見回す。どんなに気がつく性格でも、自分の変化にはやはり気がつきにくいのかとマークは小さく笑んだ。
ベリルはまだ幼いといえど周囲にはよく気がついた。無理な気遣いという訳ではなく、自然な動作でこなしていく様子には驚嘆する。
「今日は友人のアルバムを持ってきたよ」
示されたアルバムに無表情なベリルの瞳がかすかに輝く。きっと少年にとってはこれでも大きな表現なのだろう。
暇があればアルバムに目を通し、マークは解る範囲でベリルの質問に答えた。こうして見れば普通の少年に映る。
しかし、その現状はとても普通ではない。国家機密であり続ける理由は今や国際的な倫理面からが大きい。
人工生命体という存在自体に倫理的な観点を捨て去る事は出来ず、それが人となれば尚更だ。
どうあがいてみても、ベリルがこの場所から解放される要素は一つも見あたらなかった。
彼が学んだものは彼自身に活かされる場がどこにも無い。それでも学び続けなければならない。
ただ人工生命体の学びの限界を知りたいというだけでとは、なんて残酷なのだろうか。救いなのは、ベリル本人がそれを苦痛だと感じていない事だろう。
彼にとって、学びは外の世界を知る断片である事を知った。それらは全て人間が生きてきた証に他ならない。学ぶ事は接する事のない人とその世界を知る唯一の方法なのだ。
マークは締め付ける胸の苦しみに顔をしかめた。しかし、自分が苦しんでも仕方がない。
彼に心配をかけないようにしなくては、彼は相手の感情をすぐに読み取ってしまう。彼の傍にいる間だけは、楽しくしていよう。
決まっている自分の運命に他人が嘆くことをベリルは嫌う。言わなくても自然とそれは伝わってくる。
自分のために誰かが悲しむ事に憂う、それだけの優しさをその小さな体に満たしているのだ。
ならば、僕が出来る限りの喜びを与えようじゃないか。マークはそうして、壁に囲まれた敷地内にある芝生にシーツを敷いてサンドウィッチの入ったバスケットを広げた。
ベリルは、そびえ立つ緑の壁を一瞥し芝生を見やったあと空を仰いだ。雲は流れ頬をかすめる風に目を閉じる。
そんな少年の様子をマークは柔らかな笑みで見つめた。
マークが上を言いくるめて可能にしたのだが、人工生命体のデータ収集のためだと言えば意外とすんなり承認が得られたのだからほくそ笑むしかない。
当然もっともらしいデータを出し、報告をする必要がある。そんな苦労も、ベリルの表情を見れば安いものだった。
少年は高い空に視線を投げて、囲まれた中にある広大な空気を大きく吸い込み口元を緩ませた。
「ありがとうございます」
ふいに放たれた礼の言葉にマークは軽く手を上げて応える。
今日は晴れで良かったと青年も空を見上げ、いつまでも大気を感じるように動かない少年に食べようと促した。
こんな時くらい少しは雑に食べてもいいのにと、相変わらず上品に食べるベリルに溜息を漏らす。
それでも、いつもと違う食事に嬉しそうな表情のベリルを見つめて再び思考を巡らせる。
十二年という年月にも関わらず、未だベリルからの不満は上がっていないという。どれだけの納得と妥協を内包すれば、そんな事が可能なのだろうか。
子供なら我が儘を通したがる事もあるはずだ。自分が造られた存在だという認識が遠慮させているのだろうか。
それとも本当に不満が無いのか、全てはマークの推測に過ぎない。そもそもが異例の存在であるベリルを一般的な子供と比較する事自体が無理な気もしている。
それでも人となんら変わりないのだから、同じように扱う事に何の躊躇いがあるというのか。
「やっぱり外で食べると気持ちいいね」
「はい」
心持ちベリルの声も弾んでいるように思える。昆虫学者の部屋に行けば沢山いるというのに、芝生の上で飛び跳ねるバッタを初めて見るようにじっと目で追っていた。
「本当にいるのですね」
「え? ははは、当たりま──」
そこでマークはハッとする。考えてみればベリル自身、造られた生命体じゃないか。人間で成功しているんだから、バッタだって造られていると思っていても不思議じゃない。
「どうしました」
「あ、ううん。なんでもないよ」
表情を曇らせたマークに小首をかしげたベリルに笑顔で応え手にあるサンドウィッチを頬ばった。
いくら実物を見ていたって、それはこの世界を体感出来るものじゃない。身近にいるはずのものなのに、それすらも酷く遠い。
僕は本当にベリルに良いことをしているのだろうか。これじゃあ、返って彼を悲しませているだけじゃないのか。
余計に孤独にさせているだけなんじゃないのか?
「マーク」
「なんだい?」
部屋に戻る途中に少年がマークを見上げた。
「今日はありがとうございます」
「あ、いいや」
マークは胸がちくりと痛んだ。
「あなたのおかげです」
この世界をいくつか知る事が出来ました。そこには、純粋な感情だけが見て取れた。
「そうか。良かった」
少年の無邪気な瞳にホッとした。そして、ほんの小さな事でもベリルが望むなら僕はそれを出来る限り叶えていこう。
彼の喜びは僕の喜びでもあるのだから──遠ざかる研究施設をヘリから見下ろし目を吊り上げた。
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