*視察

 ──数日後、通路を歩いているベルハースにスーツ姿の男が近づく。

「視察? 今日だったかね」

 以前に新しい視察を希望したがどうなっただろうか。施設の入り口に向かう歩みは心持ち足早になる。

「ん?」

 ベルハースは落ち着きのない青年に目が留まる。見慣れない青年だ。まさか、あれが今回の視察なのか。眉間にしわを寄せて頭を抱えた。

 三十代前の青年は、グレーのスーツに身を包み平静を装ってはいるようだがその手足は何かを待ちわびるようにそわそわしていた。

 赤みがかった短髪は清潔に整えられ、青い瞳は初めて見る施設をまじまじと見回していた。

「君が新しい視察か」

「はい」

 青年は驚いて振り向き、五十代ほどと思われる白衣の男に「初めまして、マークです」と手を差し出した。

「ベルハースだ」

 ぶっきらぼうに発せられたその名を聞いた途端、青年は目を輝かせた。この研究チームのリーダーである彼を羨望の眼差しで見つめた。

 それにさして関心もなく歩き出すベルハースをマークは慌てて追いかける。

「君のような者が送られて来るとは、この研究所は店じまいかね?」

「これでも博士号を持っています」

 皮肉混じりの言葉に声色を低くした。

「ほう」

 初めて関心を示したベルハースに鼻を鳴らして本題を切り出す。

「そ、それでですね。No.6666フォーシクスについてですが──」

「ベリルだよ」

 男は好奇心の眼差しを向ける青年に冷たく言い返した。今まで聞き慣れたものだが、やはりその言い方は気に入らない。

「え?」

「ベリルだ。我々が名付けた」

「はあ」

 ひとまずの納得を示した青年を確認して再び歩き出した。

「キメラでも良かったのだがね、俗物的な名前は気にくわない。やはりそれなりの名を付けるべきだ。そう思わんかね?」

 どうしてそんな名前を? 口元だけで笑うベルハースにマークは怪訝な表情を浮かべた。

 それを察したのか、ベルハースは立ち止まりゆっくりと青年に向き直る。

「フルネームもあるのだよ」

「フルネーム?」

 ずいぶんともったいぶった物言いに片目を眇める。

「ベリル・レジデントという。良い名だろう」

「それは──っ」

「そうでない事を願うよ」

 あの子が本当の悪魔の器とならないために、私がすべき事はなんなのか──この青年になら託せるかもしれない。マークが見せた表情にベルハースは何かの予感めいたものを心中に湧き上がらせた。

 無言のまましばらく歩くと、ガラス張りのドアが見えてくる。人を感知して音もなくスライドドアが開き、見慣れた背中に近づいた。

「ベリル、元気にしているかね?」

 ベルハースが声を掛け振り向いた少年にマークは息を呑んだ。青年はその名前の全てを理解した。

「はい。ベルハース教授も」

 ベリルは無表情に二人を見上げる。

「新しい視察の者だ」

「あ、こんにちは。マークです」

「こんにちは」

 差し出した手を握り返す少年をじっと見下ろす。九歳とは思えない物腰がマークの思考を混乱させた。

「何か希望はあるかね?」

 ベルハースの質問に少年は思案するようにしばらく宙を見つめた。見れば見るほど子どもらしくはない。

 もしかすると自分よりも落ち着いているのではないかとマークは呆然とした。

「そうですね、銃を扱ってみたいです」

「ふむ。君が十歳になったら戦術を学ぶ。その時にでも扱えるだろう」

 少年の言葉に驚いたマークはベルハースの返事にも驚いた。閉じこめている子どもに銃を扱わせるだって? なんの冗談なんだ。

「解りました」

 やはり無表情に応えて部屋を去る二人の背中を眺めた。

「いいんですか?」

「何がかね」

 とぼけているのか、あごひげをさする。

「武器を扱わせるなんて」

「ああ、心配ないよ。彼はああ見えて我々の事をちゃんと考えている」

 そんなベルハースの言葉にマークは眉を寄せた。まるで、完全にコントロールしているとでも言いたげな言葉だ。

 あの子は自分の扱いに疑問を持ったことはあるのだろうか。それとも、初めからある環境に少しの疑問も感じないのだろうか。

「彼は自分のことを──」

「もちろん知っている。三歳の時に話した」

「何故です──!?」

「その方が実験はスムーズに進む。理解しない子どもほど厄介なものは無い」

 険しい表情のマークを意に介さず、淡々と応えて歩き出す。後ろから小さな溜息が聞こえたが、ベルハースはそれにもさしたる反応は示さなかった。

「他に、何かありますか?」

 ここで言い合っても仕方が無いとマークは仕事を優先した。自分は所詮、ただの視察員に過ぎない。

「特には無い。感情の起伏があまり見られないが問題は無いだろう。あとは生殖能力が欠如しているくらいだ」

「生殖能力の欠如? 問題ないのですか?」

「その部分について彼を対象に研究は出来ないが、その他の部分についてはデータを見てお解りの通り、大成功だよ」

 それから科学者たちが集まる部屋に案内される。そこには、ベリルを監視しているカメラのディスプレイがいくつも並べられていた。

 ディスプレイの上部には部屋の名前が書かれていて定期的に画面を切り替えていることから、一つの部屋にいくつものカメラがあるようだ。

「こうして目の前で見ても信じられない」

 青年は吸い込まれるように近づきディスプレイを凝視する。

「造った我々も九年たった今でもまだ実感が湧かないよ。何せ我々とどこも変わらないのだからね」

 ぽつりと口にしたマークに一人の科学者が快活に笑って応えた。もうかなりの高齢のようだが、目だけは輝いていた。サイモンという名の科学者は頭頂部の状態に今までの苦労が窺える。

 どこも変わらない──それは研究が成功した事を意味している。生殖能力の欠如など、この結果に関しては何ら問題は無いからだ。

「しかし、どうしてあのような口調なんです? 子どもには見えません」

 マークの問いかけにベルハースが苦笑いを見せる。

「それは言わんでくれ、招いた言語学者のせいでね。今更どうにもならん」

「その言語学者は?」

「心臓発作で他界したよ。わしの知人だったのだが変わった男だったね。『世界は一人の独裁者がいればいい』などという説を唱えた事があった」

「なんですかそれは」

 マークはそれに眉間にしわを寄せた。

「わしにも解らんよ。それ以外では、とても良い学者だったのだが」

「あの、彼をまた見に行っても?」

「滞在している間はスケジュールの合間を縫って会うといい」

「これは──っ」

 ベルハースから手渡された少年のスケジュール表を見て思わず言葉を失う。

「こんな歳でここまでのスケジュールは問題ないのですか」

 さすがに声を上げた。睡眠時間は余裕を持って八時間ほど取られているが、講義の間は移動を含めて十分程度しかなく、食事は常にマナーの学びとなっていた。

「上の人間にとってあの子は実験の対象でしかない」

 無表情に語られた言葉に、そこにいた者たちの顔が強ばる。少なくとも、ここにいる人たちはそう思っていないという事なのか。

「講義の様子を眺めるのも構わんよ」

 それから青年は何度か少年の様子を観察し数日後迎えのヘリに乗り込んだ。見送るベルハースの瞳は、何故だか複雑な色を浮かべているように青年の目からは見えた。



 マークが帰った数日後、

「次の視察も彼だそうだよ」

「そうですか」

 ベルハースがその事をベリルに伝えると、少年は少し嬉しそうな表情を浮かべた。男はそれを確認すると、緩やかな面持ちで少年の頭を無骨な手でゆっくりと撫でた。

 その行為に少年は年相応の感情を見せる事は無い。それでも、少年なりの愛情をベルハースは感じていた。

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