親
桜子の妊娠が分かった夜、浅草で八代になる畳屋「三河屋」の黒電話が鳴った。
「はいはい」といって桜子の母である鈴木洋子が受話器を取った。
丁度夕飯時でちゃぶ台の前に桜子の父辰治と兄洋平が食事をとっていた。
「あら、桜子どうしたの?」
「え、、ええ。。えーよかったじゃないの~~」
洋子の声に聞き耳を立てていたのが辰治だ。
「で、戻ってくるの?え?来週とりあえず、わかったわ、お父さんには伝えとくわ」といってガチャンと電話を切った。
洋子は何食わぬ顔をしてちゃぶ台の前に座った。
「ど、どうしたんだ?桜子になにかあったのか?」
「ああ、桜子、妊娠したんだって。。まだ4か月だけど順調らしいわよ」
「な、なにぃ~~」と辰治はちゃぶ台を返そうとするがその前に洋子の拳が辰治の頬にめり込んでいく。
「グッ、、、な、なにしやがんでぇ」
「おとうさん、孫が生まれるのよ。初孫、、、うふふ」
「あのロリコン野郎とうとうやりやがったな、今度こそぼこぼこにしてやる」
「なにいってのよ。嫁に行った娘でしょ。めでたい事じゃない。魚半の大将のところなんで4人目よ。上の子はもう小学生早いわよね」
「フッ、魚半の野郎はスケベなんでぇ。あいつのスケベの遺伝子が孫に移らなきゃいいがなぁ」
「そんなこと言っちゃ失礼よ。それに翔太さん慶応出てるし、実家だって鶴屋さんじゃないの。桜子にはもったいないくらいよ」
「ヘッ。うちの洋平も慶応でぇ。桜子だって日本女子大じゃねぇか。それにな、鶴屋って言葉俺の前で二度というんじゃねぇ。聞いただけで虫唾がはしらぁ」
洋子は辰治の言葉を無視して食事をとっている。
「洋平。明日お父さんとちょっと鬼子母神様にお参りに行ってくるけど大丈夫?」
「ああ、大丈夫だよ、大きな注文もないしね」洋平は答えた。洋平は桜子の3つ上で慶應義塾の大学院まで進み研究者の道が開けていたが突然実家を継ぐことにした。
三河屋は家康公に三河の国からついてきて商売を始めたため近くの寺社仏閣の畳の修理等を扱っている。しかし洋平はそれだけでは先細るのを見越しネットで畳マットや濡れてもいい畳を販売した。そのおかげで三河屋には二人の弟子が入門してくるようになった。
「じゃあ、明日鬼子母神行くわよ」
「けっ。あんなところは女子供がいくとこでぇ」
洋子は辰治のほっぺたを引っ張る。
「いててて」
こうして辰治夫婦は翌日雑司が谷の鬼子母神に行くことになった。
鬼子母神(きしもじん)はもともと人の子供を食らう鬼であった。鬼子母神には千人の子供がおり溺愛していた。
そのことを知った仏様は千人の子供の内の一人をそっと御隠しになった。
鬼子母神は狂喜乱舞した。
その前に仏様が現れ隠された子供を出し御諭しになりそれ以降子宝子育ての神様として祀られるようになった。
ちなみに雑司が谷の鬼子母神には「鬼」という文字に上の点がない。これは「かつて鬼であったが今は神になった」という事を意味している。
快晴で実にいい天気だった。
「さ、お父さん行くわよ」といっていやがる辰治の腕を引っ張り雑司が谷に向かう。鬼子母神はさすがに子育ての神様だけあって小さな子供たちの姿が多くみられる。
とりあえずお参りをする。洋子はお賽銭に「5千円」を入れた。
「お、おい。」と辰治が止めようとしたが無駄であった。
「さてと、お守りを買って帰らなきゃね。」
洋子の目の前に老夫婦の姿が見えた
「ほら、あのご夫婦だってきっとお孫さんの誕生をお願いにしたのよ」
見ると男性の方はうれしくてたまらないようでスキップをしているみたいだった。
「ケッ、いけすかねぇ野郎だぜ」
そして社務所に向かう。
洋子はお守りを見ていると先ほどの老夫婦の男性が「あの安産のおまもり全部ください」と言っていた。
「む?」どこかで聞き覚えのある声。
男性の顔を見るとなんと、翔太の父であり鶴屋の主田代祐司である。
「て、てめぇ鶴屋じゃねぇか?」
「あ、てめぇは三河屋」
というと二人はまるで喧嘩をしている犬のように「う~~~」とにらみ合う。
祐司の頭に婦人用のバッグが飛んでくる。
「うっ」と祐司はうなった。
バックの主は祐司の妻さなこだ。つまりは翔太の母に当たる。
「すみませんね、うちの主人が、、、ところで洋子さんも聞いたんですか?桜子さんがおめでたですってね、うちも初孫でしょ。楽しみで楽しみで今日は鬼子母神様にお参りに来ちゃいましたわ」
「ええ、ええ。うちもそう。」と母親同士は実に仲が良い。
「てやんんでぇ~」と言おうとした辰治の腹に洋子のボディーブローが入った。
「ところでさなこさん、せっかく雑司が谷まで来たんですから、これからお茶でもしていきません?」
「いいですね、じゃあ、参りましょうか」といって二人は亭主を置いて鬼子母神を出ていった。
残されたのは辰治と祐司が「う~~」とうなりながら倒れている。
鶴屋という店は神田にある。元々は堺で鉄砲鍛冶をしていた家らしいが金属を扱う技術を生かして煙管やかんざしをつくっていたらしい。明治になってかんざしに仕事を絞り東京に移って商いを始めた。
翔太の弟の健太が後を継いでいる。健太も翔太と同じく慶応を卒業したが洋平と同じく実家を継いだ。今は日本橋の店に修行に出ている。
「ケッ、女ってやつはどいつもこいつも」
辰治はちびちびと日本酒を飲みながら愚痴をこぼしていた。
ここは辰治いきつけの料理屋「若か菜」である。
「大将、どうした?元気がねぇな」というのはこの店の主人笹尾健司である。健司は43になる筋肉隆々な男だ。
「おめぇんとこにも娘がいたな?」
「ああ。若菜か。まだ中学生だよ」この店の名前は娘から取ったものである。
「あーあ。嫁になんぞやるんじゃなかった」辰治は盃を開けた。
「桜子ちゃんかい?最近どうしてる?元気かね?」
「げんきだよ、おまけにガキがうまれるらしい」
「へえ、よかったね、じゃあ、辰さんもおじいちゃんだ」
「ケッ、うれしくなんかねぇや」
「若菜が生まれた時さ、うちの親父は喜んだっけな。毎日のようにおもちゃを買ってきちゃあして困ったもんだった」
「へぇ、あの源ちゃんが」
健司の父源三は辰治と仲が良かった。もともとこの店は「成しま」という料理屋だったが健司に代を譲ってリフォームして若か菜という名前でスタートした。
「職人気質」を絵にかいたような人間ですぐ拳が飛んだ。
しかし、昨年ぽっくりと亡くなった。なんでも心筋梗塞だったらしい。
「孫かあ」といって辰治は帰路に就いた。
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