第7話 ウインドミルと過去の栄光

 コーヒーをもう一杯買って口をつける。

 買うと言った手前、買わないわけにも行かなくなったというべきか。

「はい、おごるわ」

「……どうも」

 躊躇ためらいがちに受け取る弥太郎は、一口飲んで顔をしかめた。

「……何? あなたコーヒー駄目なの?」

 苦そうにしている弥太郎を見て、信じられないとばかりに言った。

「ミソラはよくこんなモノが飲めるね」

「こんなの薄味よ。私の好みは脳髄が痺れるくらいの苦さ」

 味を想像したのか、「うげ」と嫌そうな顔をする。

「砂糖がいるなら取ってくれば」と声をかけるも、弥太郎も意地になったのか、そこから動こうとせず、「別にいい」と言いながらチョビチョビと舐めるように飲む。

 子供なんだから、と呆れるも、その仕草に少しだけ表情が緩む。

「さて、どこから話しましょう」

 本当のところ美空は話したくはない。

「……でも、気づいてるんでしょ?」

「……さぁ」

 とぼけたようにそう言ったが、何も分からないということもないだろう。

 何せを口にするくらいなのだから。

 ここで美空が口をつぐんでも、弥太郎はおそらく追及しない。

 だが、それでは借りを作ることになる。

 はたから見れば馬鹿馬鹿しい拘りだが、美空にはそれがどうにも我慢できなかった。

「あなたも知っての通り、一〇年前に私の父はこの展望台で紙ヒコーキを飛ばし、対岸に到達できず夢はくじけた」

 それは彼女の挑戦の大前提だったはずだ。

 だが、彼女は静かに首を横に振った。

「でも、本当は少し違う」

 弥太郎はその言葉の意味を図りかねる。

「あの日、私はあの紙ヒコーキは確かに私の目の前十五センチメートルをすり抜けていった」

「それは聞いてるよ。だからその十五センチに手を届かせるために頑張っているって……」

 そこまで言って固まった。

 十五センチ。

 手が届きそうな、と言う表現は決して比喩ではない。


「ねぇ、ヤタロー。あなたならどうする? 目の前の十五センチをすり抜けて言った時に、踏みとどまることができる?」


 なぜ五〇センチでは無かったのだろう?


「私はこの手でウインドミルを掴んでしまった。そしてウインドミルは到達することも成功することもなく、終わることになってしまった」


 せめてそれだけ離れていれば、彼女は諦めてもいたかもしれないのに。


 そこまで聞いて弥太郎は「だからなんだね」と呟いた。

「あんまし、楽しそうじゃなかったからさ不思議だったんだ。でも分かったよ。楽しくないんじゃない。ね」

 彼女の目的は父の果たせなかった夢を叶えること。それはおそらく嘘じゃない。

 しかし、それは第一目標ではない。

 美空の目的は自分への罰。

「でも、ダメだよ」

 そう言う弥太郎はらしくもなく、哀しそうで。

「そんな方法じゃ君は罪をつぐなえてない。自己満足だよ」

 弥太郎は正しかったのかもしれない。だが、残念なことに美空のことをどこか見誤っていた。常に落ち着き、冷静でドライな少女だと勝手に思い込んでいた。

「ヤタローに何がわかるの!」

 だから、弥太郎はその苛烈かれつな反応に一瞬だけ怯んでしまった。

 ほんの一瞬のことだった。

 だが、その一瞬の怯みは決定的な隙になる。

「どうして」

 そうして、彼女は夜の闇の向こう側へ消えた。

 ここに来て弥太郎は自分の失敗を悟る。

 それをどう表現していいものか分からず、数秒立ち尽くす。そして、絞り出すようにして唸った。

「ミソラ。君は時々さ、とても楽しそうにすることがあるんだよ」

 ポツリと言った言葉は、ただ闇に飲まれていくだけで、他の誰にも聞かれることはなかった。

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