第22話 砂漠横断
白猫亭の中は、砂漠の国にしては珍しく、客がほぼ満杯近くまで入っていた。この店でも水が貴重なのは同じなのだが、そこは流石に黒猫亭の店主の弟分。材料に水が僅かしかなくても、旨い料理を次々に作り出してくれる。
酒を蒸発させ、アルコール分だけを別枠にして煮込む肉料理や、サボテンをソテーしたもの、その他、商取引で仕入れた貝柱など、手元の具材を上手く組み込んで、まるでパズルでも完成させるかのように、舌をうならせる料理に仕上げていく。
「いやこれまじで旨いよ。知恵と工夫が詰まってるって感じ。ところでさ、店主さん、暗闇の塔って、何処にあるか分かるか?」
裕也は白猫亭の店主から情報収集を試みるが、店主はあまりいい顔をしなかった。
「悪いことは言わねぇ。観光気分で行くなら、他所に行きな」
うわぁ・・これもお決まりパターンの一つだ。数多の罠があるとか、強力なモンスター達が徘徊しているとか、碌な場所じゃないことだけは確からしい。別に、観光気分で行けるダンジョンや塔があってもいいと思うんだが。
それこそサキュバス温泉みたいに、行けば極楽が味わえる塔とか。きっとシスイ王国にとっても、大きな収入源になるだろう。と、妄想する裕也だったが、淡い期待は店主の身も蓋もない物言いに、あっけなく撃沈される。
「いいか、あの塔にはこれまで大勢の冒険者が・・」
はいはい。そういうのいいから。ああっ、もう。なんで、そんなメンドクサイことしなきゃならないんだ。俺はただ、ルーシィを母親に会わせてやりたい。ただそれだけなのに。罠もモンスターも及びじゃないんだよ。なんか楽できる方法ないのか・・
だが、現実は過酷だ。他の酒場の客にも、話を聞けそうなやつから情報を集めてはみたが、どれも回答は似たり寄ったり。
「やめておけって。あそこに行って生きて帰ってきた奴は、五割程度。さらに五体満足でってつけたら、三割にも届かねぇ。しかも、そいつらだって、塔の攻略に成功したわけじゃねぇ。命からがら逃げかえってきただけだ」
「あんたら、正気かよ。自殺願望でもあるのか?嫌なことがあったからって、自暴自棄になっちゃいけねぇよ」
「あんたら、まだ人生これからだろうが。そこのお嬢ちゃんなんか、せっかくの美人なんだし、兄さんだって、これから何度でもやり直せるさ」
途中から、人生を諭されてしまった。っていうか、なんで俺は人生やり直さなきゃならないような失敗したことが前提になってるんだ。いや、そりゃ大金稼いで成功した人生とは言えないけどさ。これでも、俺なりに真面目にコツコツと頑張ってきたんだぜ。
「ああもう、これ以上、話聞いてても埒が明かねぇ。幸い、塔の方角は分かったんだし、出発するか」
やけになる裕也だが、頼もしき連れである精霊リーアと護衛エリスが冷静な判断を下す。
「待って、マスター。日が照っている間はあまり砂漠を歩かないほうがいいよ。出発は夜にしよう。それに今日は長旅で疲れてるんだし、体を休めたほうがいいさ」
「リーアの言うとおりだ。大体、裕也はただでさえ、ひ弱なんだから、周囲の環境把握して、ちゃんと計画立てて行動しろよ」
・・おまえら、いつから俺のお袋になった?だが、彼女たちの言うことは至極、正しい。なんか散々だな、酒場では、勝手な人生相談されるし、連れの仲間には頭が上がらないし。まあでも、こうやって自分の至らないところをサポートしてくれてるんだ。恵まれた仲間に感謝しなきゃいけないのかもな。
気を取り直し、そういうことであれば、と裕也は白猫亭の料理を堪能し、今のうちに睡眠をとることにした。日が照っている時間に寝るというのも、後々、時差ぼけの原因になりそうなものだが、この地方で冒険するなら仕方がない。
「じゃあ、エリス、一緒にお布団に・・」
エリスに冗談は通じなかった。白猫亭の前にいたチンピラへの待遇と変わらない蹴りが裕也を吹き飛ばす。なんでだろう。脈はあると思ったんだが。リーアが思いっきり白けた目で、裕也を見下す。
「クレア姉、今頃、マスターの身を案じながら日々を過ごしてるのかなぁ。早くお話、聞かせてあげたいな・・」
裕也は自分の使い魔である精霊に思いっきり頭を下げて媚びを売る。
「やだなぁ、リーアさん。ほんの些細な冗談じゃないですかぁ。ちょっとした茶目っ気ってやつでして・・」
「ボク、プリンだけじゃ物足りないなぁ・・」
リーアは情けない声を出す裕也の頭の上に、足を組んで両手をついて、女王様気取りで座る。
「くっ・・だったら・・」
そこまで言いかけて、次のスイーツの名をあげるまえに裕也はふと、リーアをからかうための名案を思い付く。
「だったら、リーアが夜まで一緒にいてくれるか?」
「え、えっ・・マスター、いきなり、何言いだすのさ」
それまで偉そうに、ふんぞり返った態度をとっていたリーアが、急に顔を赤くして、慌てだす。そんなリーアを見て、裕也は大げさすぎるぐらいに深い溜息をつく。
「あーあ、俺はこんなにもリーアのことを想っているのに、伝わってくれないのか。それじゃあ、残念だけど・・」
「待って、マスター。ボク、嫌じゃないよ。でも、ボクこの体だから、サキュバスみたいにサービスとかは出来ないけど」
「いいんだよ、リーアはそのままで」
「マスター・・」
目をウルウルさせるリーア。裕也はリーアを掌にのせると、そのまま白猫亭の主人に突き出した。
「こいつ、俺の使い魔でリーアって言います。夜まで店主と一緒に働いてくれるそうです。なので、宿賃まけてください」
リーアの動きが固まる。再び動き出したかと思うと、ゆっくりと指先を裕也に向けた。
「ファルナーガ!!」
裕也の体は炎に包まれ・・、リーアはそのままエリスの寝室に向かっていった。店主が慌てて、裕也に水をかける。
「お客さん、ここでは水は貴重なんですぜ。きっちり割増料金もらいますからね」
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「ほんっと、マスターって信じられないことするよね」
「ちょっとした冗談じゃないか。いい加減、機嫌治してくれよ、リーア。やめろ、髪を引っ張るな。まじで禿げるから」
一行は暗闇の塔へ向かって、ついに出発しだした。出発したはいいが、馬車の中で、リーアは裕也の髪を引っ張ったり、わざと服の襟に砂を入れたり、思いつく方法で裕也への復讐をこなしていた。
「リーア、もっと思いっきり、やっちゃっていいわよ。遠慮なんかしないで」
裕也とリーアのやり取りを見ていたエリスは、リーアの行動にさらに拍車をかける。
「ちょっと待てって、二人とも。これからどんな罠やモンスターが待ち受けるともしれない、おっそろしい塔に行くんだぞ。こんなとこで無駄な体力消費させちゃダメだ」
「それをさせたのは、あなたでしょ」
エリスの鋭い突っ込みに、リーアが大きく頷く。ダメだ、このままではモンスターより前に、味方に殺されてオウンゴールだ。何か打開策はないかとさぐる裕也だったが、ふと前の方に砂が不自然に上下に動くのが目に見えた。
「見てみろ。リーア、エリス。あそこ、なんか変じゃないか?」
「誤魔化そうとしても無駄だよ、マスター。ボク、本気の本気で怒ってるんだからね」
「いいから、見ろって。絶対におかしいだろ、あそこ」
裕也が指さす方向をリーアもエリスも、やる気なさそうに見る。途端に二人の顔色が変わる。砂が明らかに不自然な動きをしている。砂漠では竜巻や流砂の他にも、独特の自然現象で、砂が色々な舞い方をすることはあるのだが、それを考慮してもやはりおかしい。
砂はまるで、それ自体がひとつの意志を持っているように、裕也たちがのっている馬車の周りを旋回する。こんな動き、風に舞い散ってるというだけじゃない。するとあたりを舞い散る砂から女性の笑い声が聞こえてきた。
「ふふふ・・ふふふふ・・」
だが聞こえるのは声だけだ。そうしている間にも砂は旋回速度を速めていき、次々と裕也たちの体にまとわりついてくる。鼻や口に砂がどんどん入ってきて、想うように呼吸が出来ない。しかもそれだけではなかった。砂が体にあたる部分から耐え難いほどの激痛が走ってくる。まるで砂の一粒一粒に毒でも入ってるようだ。
やばい、このままじゃ、何をされたかもわからないまま窒息死してしまう。いや、それよりも痛みで死ぬほうが先か。砂が相手ではエリスも手の出しようがない。リーアの魔法なら、使いようによっては打開策もあるかもしれないが、当のリーアも砂で口を塞がれており、魔法の詠唱どころか、普通の会話も出来ない状態だ。
まずい。このままでは下手すれば全滅しかねない・・裕也は内心で焦りながら、必死で打開策を考える。リーアとエリスの方を見ると、二人も砂の嵐に息も出来ないほど、攻撃されている。
裕也は二人の様子を見て、咄嗟に体の位置を、砂風から、二人の盾になれる方向に入れ替える。しかし、それが精いっぱいだ。もう眼を開けることも出来ない。万事休すかと焦る裕也。と、思わぬ形で救援が入った。
「我が国を訪れし客を脅かす邪悪な精よ。立ち去るがよい」
どこからともなく凛とした透き通る声がしたかと思うと、裕也たちは一転、黄緑色の光に包まれた。裕也たちにまとわりついていた砂が次々と地面に落ちていく。
「ひぃぃぃぃ あぁぁぁぁぁぁ」
先ほど聞こえた女性の笑い声は、今度は悲鳴となって拡散していく。気が付くと、目の前に全身を布で覆った、一人の人物がたっていた。
「また、会ったようだな。裕也とその仲間たちよ」
その声には聞き覚えがある。パトラ女王。いや、ここでは、ラートパだ。
「ラートパさん!助かりました。でも、なんでこんな場所に?」
「わけあって、しばらく街から身を隠す必要が出来てな。これも何かの縁だ。少しの間、お前たちの旅に同行させてはもらえないか?」
ええっ、うっそー。憧れの王女様と一緒の旅行。これで七面倒くさいモンスターやら、塔の罠なんてものがなければ、言うことなしの最高の観光になるのに。しかし、これは非常に残念ながら観光ではない。
「俺は構わないですけど・・でも、危険ですよ。俺たちこれから暗闇の塔に行こうとしてるんです」
ここは正直に打ち明けるべきだろう。女王様とご一緒できるなんて、まさに光栄の至りではあるが、危険と分かっている場所に、一国の主を連れて行くわけにはいくまい。だが、パトラ、いやラートパはしばし顎に指をあて考え事をした後、裕也たちに同行を申し出た。
「暗闇の塔だと?すると、お前たちは天空城を目指しているのか。ふむ。もしかしたら、天空人なら、ビネガーのことも何かわかるかもしれんな。いや、これは私の方から頼む。お主らに同行させてほしい」
そういって、ラートパは深々と頭を下げる。慌てる裕也だが、慌てているのは裕也だけだ。エリスもリーアも逆になんで裕也がこれほど取り乱しているのか、分からない。
「いいじゃないか、裕也。危険な塔に行くんだ。心強い味方は一人でも多いほうがいい。ラートパさんなら安心できる」
「うん、ボクもラートパさんが白猫亭の前で、暴漢を見事に撃退するところ見たからね。ラートパさんの力は確かだと思うよ。マスター、いいんじゃないかな」
この二人はラートパの正体を知らないから、気軽にそんなこと言えるんだ。もし、女王の身になにかあれば、責任を取るどころの話じゃすまされない。文字通り、国の一大事に発展する。しかし、裕也はラートパの表情を一瞥する。
さっき、街であったときはお忍びの街の散策ぐらいに考えていたが、護衛もつけずに女王様がこんなところに一人でいること自体が既におかしい。いくら、正体を隠しているからと言っても、シスイ王国には盗賊も奴隷商人もいる。
モンスターだって、この地方には厄介なものが多い。大体、砂漠はそれ自体が危険な場所だ。砂漠の国の女王なら、砂の扱いには慣れてるのかもしれないが、だからこそ、自然の驚異は身に染みているはず。
それでも一人でいる理由。きっと、俺達には話せないような、事情があるってことだ。それも一国の女王でも手に余るほどの厄介事。
・・ああ、くそ。頭の中では面倒ごとなんて全否定したいのに、心のどこかが拒絶する。畜生、仕方ない。なんでこう、俺はめんどくさがり屋のくせに面倒ごとを引き受けちまうんだろうな。裕也は内心で自分を嘲笑う。
「行こう。ラートパさん。リーア、エリス。ラートパさんのこと、何があっても守ってやってくれ。頼む」
裕也は、自分の最も信頼する仲間たちに頭をさげる。裕也の態度に驚くリーアとエリスだったが、裕也の真剣なまなざしを感じ取り、仕方ないわねと一息つく。
「まったく、マスターは人として最低の行動をとったかと思ったら、今度はそんな目をするんだもん。本当に反則さ」
「だけど、それが裕也なんだろ。ラートパさん、私には状況さっぱりだけど、何か事情があるんだってことくらいは、流石に嫌でも察しが付く。けど、暗闇の塔はマジで危険なところらしい。いいんだね?」
エリスはラートパに覚悟を尋ねる。ラートパは迷いなく、力強く頷く。その返答にエリスは満足し、ラートパに手を差し出す。ラートパがエリスの手をがっちりと握る。そして一言、付け足すように、裕也たちに告げる。
「あなたたち、一つだけ勘違いしてることがあるわ。私はただ守られるだけの人間じゃない。むしろ守る側。だから、あなたたちこそ、大船に乗った気になっていいわよ」
パトラは女王になる前の異名を思い出す。砂漠の女剣士。今では各地の吟遊詩人の間で歌として語り継がれるほどの功績の数々。今の自分は、女王パトラではない。一介の女剣士ラートパだ。開き直った自分が、どれだけ頼りになるかを、まずこの者たちから分からせてやる。
裕也たちをのせた馬車は女王パトラをパーティーメンバーに加え、暗闇の塔を目指して、ひたすら闇夜の砂漠を走り続けた。
ふと、リーアは、馬車に落ちている砂の量の違いに目が行く。明らかにリーアやエリスのいる場所よりも裕也の周りに落ちている砂の量が多い。そこでリーアは気づいた。
裕也は何も言わないが、砂の攻撃を受けたとき、身を挺してリーアとエリスの身を守っていたことに。あの時は、不意打ちだったうえに、皆が咄嗟の対応を出来ず苦しんでいた。なのに裕也だけは自分よりもリーアとエリスの身を率先して案じていたのだ。
しかも、先ほどの砂の攻撃はただ鼻や口を塞いで窒息させるというだけではなかった。砂を受けた体の箇所には鋭すぎるぐらいの痛みが走っていた。それを自分とエリスをかばって、より多くの攻撃を受けたのだ。裕也の感じた痛みは、想像を絶するものだったはず。
リーアは何食わぬ表情を浮かべる裕也の横顔を見る。リーアの裕也に対する怒りはもうなくなっていた。代わりにある感情が芽生える。
・・本当、厄介なマスターを持っちゃったな。ボクを散々、からかったかと思えば、こんな風にボク達を守ってくれてるんだもん。扱いに困るよ、まったく・・
リーアは馬車から上を見上げる。空には、都内では考えられないほどの、万天の星空が広がっていた。リーアの様子に気づき、裕也とエリス、パトラもそれに倣う。
裕也たちは馬車の中から一斉に空を見上げて、砂漠の夜の空に見とれていた。
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「それでは、あなたは私にあくまでも背くとおっしゃるのですな。マダム」
「当り前よ。なんであんたみたいなのの妾にならなきゃならないのさ、ビネガー」
「一介の市民風情が、気安く俺を呼び捨てにするな!」
ビネガーは激高して、目の前の女性を平手打ちにする。脇に抱える黒頭巾マントに鉄の爪を身につけた者たちが、女性の胸を爪で貫いた。哀れな女性は、小さくうめき声をたてて、その場に倒れる。死んではいない。だが、もう眼はうつろで口をパクパクさせるだけだ。
「とっとと、片付けろ」
ビネガーは、つい先ほどまで自分の妾になるように勧めていた女性を、まるでゴミでも扱うかのような目で眺める。黒頭巾マントの一人が女性を肩に担ぎ、そのまま城の外に放り出した。まだ幼い少年が女性のもとに駆け寄り、ママ、ママと泣き出す。
これでいい。ビネガーは内心で密かに自分の振る舞いを称える。ただ殺すよりも、僅かに命を残して生かし続けるほうが、自分の存在をより、巨大なものとして周囲にアピールできるはず。ビネガーの考えは、道徳だとか倫理などのまえに、もはや人としてのものではなかった。一種の狂気。心のどこかが壊れた考え方。
ビネガーは、これまでの全てに不満を抱いていた。自分の好意に気づいていながら、ないがしろに続けてきた女王パトラ。そんな女王を、民を導く立派な指導者としてあがめるシスイ王国の民や兵たち。
砂以外に何もないシスイ王国を類まれなる商才と戦略で、ここまで発展させてきたのは自分だ。なのにパトラは偉大な自分を、ただの側近の一人としてしか扱わなかった。それに加えて、砂漠の兵たちは元々、細かいことを気にせず、どちらかというと男気に溢れるような者が多い。
計算高さで勝負することを得意とするビネガーとは、性格的にも合わなかった。だから、ビネガーは悪魔と契約した。全てを見返すために。悪魔の名はゼウシス。数ある悪魔の中でも、その凶暴さと残忍さから最上位種として恐れられる存在だ。契約はゼウシスの方から持ち出してきた。
ある夜、ビネガーが寝ていると、ビネガーの夢の中にゼウシスは現れた。ゼウシスは、あることと引き換えにビネガーをシスイ王国の王にすることを約束した。ビネガー自身、朝、目が覚めた段階では全てが夢だったと思った。だが、そんなビネガーの脇に数名の黒頭巾マントのものたちが控えていた。
具体的にどうやったのかはビネガーにも分からない。ただ日に日に周囲の兵たちのパトラへの羨望は薄まっていき、代わりに憎悪が生まれだした。そうしていると、今度は、何処からか、ビネガーを王にせよという声が上がった。アストレアの戦争は只のきっかけにすぎない。気が付いたらビネガーはパトラを失脚させ、シスイ王国を手中に収めていた。
「やっと・・やっと、物事が正しく動き出した。長かった。本当に長かった」
ビネガーは自分の中に湧き出た勝手な正義に酔いしれる。城下から見下ろせば、まだ事態を何も把握しておらず、今まで通りの生活を送っているシスイ王国の人々が目に入る。ビネガーの中に笑いがこみあげてきた。衝動が抑えきれない。
「く・・くく・・くくく・・ははは・・はははははははは・・」
ビネガーの狂気に満ちた笑い声は、いまなお平和なシスイ王国の中に、いつまでも木魂していた。
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「ほへぇー、やっと辿りついたー。ばんざーい、ばんざーい」
裕也は目の前に見上げる暗闇の塔を見て、これまでの砂漠の旅を乗り越えたことに、一人はしゃいでいた。
「もう、マスター、分かってる?本番はここからなんだよ。緊張感持って行かないと」
「いや、俺も分かってはいるんだけどさ。あの辛い砂漠を乗り越えてきたんだと思うと、こう、なんていうか感慨深いものが・・」
「まあ、裕也の言うことも分からなくはないけどね」
言い訳する裕也に助け船を出したのはエリスだ。彼女は砂漠の旅を、本当によく頑張ってくれた。ラートパと二人で、数多の砂漠の怪物たちを次々と屠り去り、ここまで辿り着いたのだ。裕也とリーアはほとんどが馬車でお留守番状態。
これは別に戦闘をサボろうとする怠惰な気持ちからではない。裕也の実力では、下手に手を出せば、二人の足手まといになるだけだ。リーアも軽く援護ぐらいはするが、基本的には先頭に手を出さなかった。
当初、ラートパは、裕也がさぞかし手練れの冒険者か何かだろうと思い込んでいた。このため、中級クラスのモンスターにさえ、まるで歯が立たない裕也を見て、かなり幻滅した表情をみせてしまうというデメリットはあったものの、なんとか無事に暗闇の塔まで辿り着くことが出来た。
浮かれる裕也に、幻滅するパトラ。思いはそれぞれだったが、さすがに塔についてすぐに中に入るような愚は冒さない。塔に入る前に、交代で見張りを立てながら、ゆっくりと休養を取る。塔に入るときは、皆が万全の状態で臨むためだ。
テントは持ってきていないため、馬車の中で寝ることになるが、砂漠の夜は冷える。焚火をたいて、凍えた体を温める。ラートパはエリスと意気投合して、二人だけの女子会に話の華を咲かせていた。
「それにしても、裕也さんって、びっくりするほど戦いには向いてないのね」
「まぁ、あいつは戦闘経験をちゃんと積んでないから、仕方ないと言えば仕方ないんだがな。本当はあいつにも戦わせて訓練させてやりたいんだが、砂漠の魔物は、戦いにあまり慣れてないやつの訓練相手としちゃ、きつすぎるし」
「でも、エリスはそんな裕也さんに惚れて、ここまでついてきたんでしょ?」
途端にエリスは赤面し、慌てて首を横に振る。
「な・・なんで、そんな話になるんだよ。私があんなやつ、なんとも思ってないなんて、見てれば分かるだろうが」
「ええ、見てれば分かるわ。よーくね。ふふっ、エリスは逆に戦闘では頼もしいのに、こういう話題には可愛いのね」
「その可愛いは、明らかに私を褒めてでた言葉じゃないよな」
当の裕也は少しでも体力を回復させておこうと、馬車の中で眠っている。裕也の腹の上にリーアも大の字になって寝ていた。
「私のことより、ラートパさんはどうなんだよ。誰か気になる人とかいないのか?」
「私?私は残念ながら、今まで、そういうのが許されない立場だったから」
「許されない立場って?」
エリスの問いに、失言に気付いたパトラが慌てて取り繕う。その様子を勘違いしたエリスは、今度は逆にパトラをからかいだした。
「なぁんだ、ラートパさんにも本当はいい人いるんじゃん」
「あ、いや、そういうのとは・・」
ラートパは戸惑いながらも、そんな状態だったらどんなにいいだろうと思う。現実の自分は違う。一国を担う女王。大勢の民たちの生活が自分の肩にかかっている。そして、その民たちは、今は見えない脅威に脅かされようとしている。
ビネガーの狂気は、どんなことをしても止めなければならない。そのためなら、自分はなんだってする。パトラは眼前にそびえ立つ塔を見上げながら、自分の中に込み上げる決意を、改めて抱きなおした。
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