第一話 佐藤一郎は、静かに暮らしたい。 二

「大体、魔王に道理を説く意味が何処にある」

「魔王であっても道理は大切だ。それが人の道というものだ。それに、道理を知っていれば戦争は避けられたはずだ」

「私は人ではないから人の道は知らぬ。ただ――道理を知っていたら戦争は避けられたであろうな」

 私の言葉にキルシェが怯む。

「なんだ、急にどうした? なぜ私の言葉を肯定した?」

 相手の想定外の反応に弱いのが、真面目な人間の弱点である。

 私は大きく息を吐いてから、言った。 

「そもそも、この戦争の発端は人間が魔物との盟約を破棄したことではないか」

 そこでキルシェが口を挟もうとしたので、私は右手を挙げてそれを制する。

「まあ聞け。私は王国からの密使に対して、和平条約の調印に関する同意書を渡した。それは今でも王国のどこかに保管されていることだろう」

「そんな嘘は――」

「では、生きて帰ることが出来たら探してみるのだな。それに我々魔物が、どうして王国に侵攻しなければならぬのだ? あんな乾燥して紫外線の強い平野部なぞ、魔物にとっては住みにくいだけの最低な環境ではないか」

「……ああ、それは確かにそうだ。お前達には住みにくい環境だ」

 キルシェが渋々ながらそう言ったので、私は微笑んだ。

 生真面目であるからこそ、間違いを認めることに対しても極めて誠実である。

「我々は、森の奥や洞窟や水底という静かな環境で、のんびり快適に過ごしていたのだよ。それを奪おうとしたのは人間ではないのかね。資源を探して我々の環境に先に土足で踏み込んできたのは、人間のほうではないのかな」

「……それも、その通りだ」

「それでも我々は和平ということで譲歩した。ところが、我々が気を許している間に『魔物気持ち悪い、絶対何か悪いこと考えている、怖い』と、主に外見的特徴から生じる先入観を浸透させて殲滅を正当化したのは人間のほうではないか」

「……それは、そうかもしれません」

「人が道理を弁えていれば戦争なぞ起こらなかったのだよ」

「……」

「キルヒャから聞いていなかったのか?」

「……伺っておりません」

 そして、キルシェは横を向いて拗ねた顔をした。

 私は大きく溜息をつく。

「そうか。では、そういうことだ」

「そういうこととは、どういうことでありますか」

「そんなことは自分で考えたまえ」

「……」

 キルシェは本気で考え込む。私はその姿を黙って見つめていた。

 元は聡明な女だ。一方的な情報で偏った考え方を植え付けられていても、それによる無神経な発言で周囲を怒らせてしまっても、根気良く説明すれば最終的には自分で正しい解答に至ることが出来る娘だ。

 しばし沈思黙考していたキルシェが、静かに頭を上げて私に真っ直ぐに視線を向けようとした、その時――


 空から背徳者エルフェンの生焼けになった身体が落ちてきた。


「……魔王様、申し訳ございません」

 半分炭化したエルフェンが弱々しい声でそう言う。私は大きな溜息をついた。

 もはや時間切れである。

 頭上では魔道士ク・ミスが、火焔術式最終奥義――以下、正式名称は長いので省略――の呪文詠唱を終えていた。周囲の空間から魔素が一点に向かって凝縮しているのが分かる。

「キルシェ様ぁ、下がってくださぁい!」

 ク・ミスが震え声でそう叫んでいる。

「待て、ク・ミス! まだ話が途中で……」

「そんなぁ、魔王の言語論理術に惑わされないで下さぁい。それに、もう止まりませぇん」

「いや違うんだ、今回はヴァディスではなくてだな――」

 キルシェはク・ミスを懸命に止めようとしているが、言っている内容は的外れだ。

 私は小さく息を吐くと、足元で虫の息になっているエルフェンに言った。

「すまぬ。間に合わなかったようだな」

 エルフェンは小さく微笑んだ。

「いえ、魔王様はやれることをやりましたとも」

「そうか――では、最後は一緒に」

「お供します」

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