第一話 佐藤一郎は、静かに暮らしたい。 一
年間千冊の書籍を読破していると常々公言して憚らない少女は、私に向かってこう言い放った。
「貴方の小説は、文章が硬くて、前置きが長くて、展開が暗くて、説明がくど過ぎるのよ。そんな物語は誰も読まないわ。もっとライトな感覚で読者を悦ばせなさい。特に私を満足させることね」
思わぬ上から目線の正論に一瞬たじろぎはしたものの、私は背筋を伸ばしてこう答えた。
「宜しい。ならば全力でラブコメだ」
***
べリス地方の城砦都市ポルラックスは、古来より別名「王国の美しき楯」と称えられた戦略上の重要拠点であり、同時に風光明媚な景勝地でもある。
早朝の靄の中、黒々とした城砦が湖面に移り込む静謐な姿は、人の目を捕らえて離さないほどに美しいと言われている。
それが今や、炎燃え盛る
時刻は日没寸前。辺り一面に肉の焼けるいがらっぽい匂いが立ち込め、至るところから叫び声が上がっている。それは時に人の泣き叫ぶ声であり、時に魔物の断末魔の咆哮であった。
私の見る限り、現時点で戦況は見事に拮抗していた。
勇者率いる魔王討伐軍は、城砦に向かって依然として血気盛んな突入を繰り返しており、対する我々魔王軍の防御は堅固である。
しかしながら、そもそも突入が専門の魔王軍であるから、拠点防衛の側に立たされたところで勝敗は目に見えていた。
篭城戦では、戦術ではなく戦略が重要な鍵となる。しかして現在の魔王軍に、その戦略に長けた人材は私以外にはいない。
――アマンナが健在であれば、このような事態は避けられたものを。
私は思わずそんなことを考え、苦笑した。後悔する魔王なぞ、絵にならない。
今回の最終決戦の序盤、私にとって最も面倒な相手である王国筆頭大神官のキルヒャを、謀殺することに成功したところまでは順調だった。
悪戯に支配領域を拡大することなく、陥落させた都市の治安維持に専念したことで、兵站を確保することも出来ていた。
ところが中盤に起こった勇者達による反攻作戦で、魔王軍三将の一人である妖婦アマンナを失ったところで風向きが変わってしまった。
稀代の戦略家を失ったことで、軍団のあちらこちらに小さな綻びが生じ始める。それでも何とか優勢を保ってはいたものの、矛盾が顕在化するのは時間の問題であった。
もともと魔物に領地運営は向かない。基本的に、自分の住処を確保するだけの単純な生き物である。指導者が強力な指導力を発揮しないと、集団を維持することすらままならない。
実際、少し前に、
「城砦の外で防衛線を維持していた魔王軍三将の魔獣ゲルヒンが、派手な爆死を遂げました」
という報告が入って以降、戦線はじりじりと後退する一方である。
それでも、魔獣ゲルヒンが勇者ゴストナを道連れにしてくれたからまだましなほうなのだ。この状況では、先に指導者を失ったほうが敗北するだろう。
そして、敵側には勇者キルシェと魔道士ク・ミスが残っていた。
現在、魔道士ク・ミスは魔王軍三将の背徳者エルフェンと交戦中。城砦の外では派手な爆焔の音が鳴り響いている。
そして、私の前には勇者キルシェが一人で立っていた。
「よくぞここまでやってきたな――とは言わないのか? 魔王ギヴァルディス」
勇者キルシェが生真面目な声でそう言う。
「お前は馬鹿か。先にそう言われたら、私はどうしようもないではないか」
と、私はうんざりして言った。
この女には流れを読む能力が先天的に備わっていない。代わりに、見事なまでに場の空気をぶち壊す能力に長けている。
「馬鹿とは何だ! 失礼ではないか、取り消せ!」
キルシェが顔を真っ赤にして怒り出したので、私は取り敢えず反論を試みた。
「馬鹿でなければ阿呆だよ。何処の世界に殺し合いの最中に、罵詈雑言の謝罪をする者がいるというのだ」
まあ、私の言い方も悪いのだが、案の定キルシェは議論を吹っかけてきた。
「いてはいけないのか!」
「いていいか悪いかの問題ではないのが分からんのか」
「いや、いるのが当然だ。それが正しい。誤りは自ら正すのが筋というものだ」
キルシェが真面目な顔でそう言い切ったので、私は心の底から思った。
――ああもう、面倒臭い。
筆頭大神官キルヒャが厳格な育て方をしたのが悪いのであって、この娘はそのおかしな教育の犠牲者なのだが、それを知っていても面倒臭いことに変わりはない。
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