第6話 塊

「うちにあがってきなせ。」

 お婆さんの言葉に彼が反応した。

「いいって。俺が説明するから。」

 彼の声を制してお婆さんはあたしに向かって声をかけた。

「男衆はせっかちでいかんでなあ。ここは年寄りにまかせなせ。」

 お婆さんは竹ぼうきを持ちながらゆっくりと道路のほうに歩き始めた。

 道路には等間隔で蛍光灯の明かりがついていて、その周りの田んぼでは秋の虫とカエルの鳴き声が大合唱。

 お婆さんの家はアスファルトの道路を隔てた向かい側の数十メートルほど先の一軒家。

 しばらくついていくと急に犬の吠える声。

「ウチの子だ。犬っこは恐(こ)えかね?」

 お婆さんが振り向きながら聞いてきた。

「あまり大きくなければ大丈夫です。」

「じゃあ、大丈夫だ。」

 玄関脇の犬小屋に繋がれた柴犬のような中型犬が吠えまくる。

「おしおし、静かにせ。」

 玄関のそばまで来ると犬はあまり吠えなくなってお婆さんに甘える仕草をする。

 あたしを見るとその犬は警戒したように低くうなったけど、お婆さんに小さく叱責されるとその場をぐるぐると周り、やがて犬小屋に戻った。

 そう大きくない家だけどそれでも田舎の一軒家なのでそこそこの広さはあるようだった。

 家の中は灯りが点いているようで、引き戸の擦りガラスが明るい。

 玄関をくぐると土間のような感じで、泥のついた玉ねぎやサトイモなどが無造作に隅に転がっている。

「あがんなせ。」

 入ってすぐの居間の蛍光灯をつけながらお婆さんはそのまま奥の台所に向かう。

 あたしがも少し躊躇してもじもじしていると、後ろから彼が背中を押した。

「いいから。」

 あたしは押されるまま靴を脱ぎ、居間にあがった。

「お邪魔します。」

 中はいたって普通の家というか、やや物が多い感じの一般家庭というか高齢者の一般家庭という感じ。

「麦茶でわーりろも。」

 お婆さんがお盆に飲み物を持ってきた。

 背は小さいけど、背中が伸びてしゃんとしていることに初めて気づいた。

「ごめんなさい、お手伝いしなくて。」

「いいて、いいて。遅くなるすけ、早よ話をしんと。」

 お婆さんはそれからいろいろとお話をしてくれた。

 かいつまんでみると

 お婆さんは昔、「塊」が見えた人であること。

 昔はそのためにいろんな苦労をしたということ。

 苦労のおかげでいろいろわかったことがあるということ。

 見えるものは悪いものばかりではないということ。

 いずれ見えなくなることのほうが多いということ。

 実は意外と見える人は多かったということ。

 一時間ほどずっとお話を聞いていたけどなんとなくそういうことなのかと思えてきた。

「怖く見えるのは、あんたが怖いと思うを勝手にみてるんだて。」

「でもお父さんの時は優しくみえました。」

 あたしの言葉にうんうんと頷いて

「それもあんたがうんと思ってたもんがそこに見えんだ。」

 つまり強く思うことが力となってその空気の塊のようなものに反映されるということらしい。

 不安に思ったり、なにか別の働きでもそういうことは起こるらしく、その時の感情によって反映されるとか。

「じゃあ、結局あれは何ですか?」

 それまでずっと黙って話を聞いていた彼がふと口を開いた。

「昔からずっとある。空気のようで、そうでない。何か気持ちや心の塊というか。」

「魂とか霊魂とかいうのは?」

「そういういい方もあるけど、それだとちょっと違うな。もっと広い感覚だから。思念とかが近いけどそれだけではないから。」

「お婆さんはあれを何て呼ぶんですか?」

「あれはあれだね。」

 その瞬間柱時計が九つ鐘を鳴らした。

 あたしは核心から外された気持ちになって少しがっかりな気持ちになった。

「あれは結局なんなんですか?あたし、いつまであれを見なければならないですか?」

 ちょっと声がうわずってしまったけど、あたしもここをきちんとしておかなければ帰るに帰れないと思った。

「いつか見えなくなるといってもいつになるのか。それでも見えちゃうのは」

 と言って急に胸が苦しくなった。

 ふいに目が熱くなった。

 喉が震えて声が出ない。

 あたしは泣いていた。

 そうか。あたしは我慢していたんだ。とその時、やっと、気が付いたのだ。

 わからないことばかり起きてそれを誰に話していいかわからず、それでやっとそれをわかってもらえる人がいたということに安心したのと同時に

 それでもこれからどうなるかわからないということの不安が急に込み上げたのだと思う。

 お婆さんはあたしに向き直りあたしの手を両手で握った。

「だいじょうぶらて。おめさんに悪いことはなんもねし。なんかあったらうちとこさけばい。」

 うちに来たらいいと言っているんだろう。

 涙がぽろぽろと落ちてくる。

 これからどうなるんだろうと、考えてみるけど何も思いつかない状態。

「だども悪いことばっかじゃねすけ。」

 お婆さんはあたしの手をしっかりと握りしめて何度も言った。

 ただ時間が過ぎていく感じがする。


 しばらくして柱時計の鐘がぼーんと一つだけ鳴った。

「そろそろ帰らないとまずいだろ?」

 彼の声にあたしはいまの状況にはっとした。

「寮に電話しなくちゃ!」

 夜十時を過ぎる際は同室の子に一度電話しておかないといろいろと問題が起きる。

 女子寮だとそういうところで手間が必要になってくるから。

「ごめんなさい。電話します。」

 あたしは携帯電話を手に玄関に出た。

 幸い同室の子がすぐに電話に出てくれて、帰りが遅れるということを伝えることができた。

 居間に戻ろうとするとふと玄関の引き戸の擦りガラスが明るく感じられた。

 車が近づいているのかと思ったけど、一瞬で違うと感じ取った。

 犬が激しく吠えている。

 小さなメロンくらいのサイズの揺らめきのような「塊」が玄関を抜けて、すうっと一直線に向かってくる。

 あたしは後ずさりながら居間に戻ると、彼とお婆さんはすぐに何があったのかを理解したようだった。

 お婆さんは立ち上がってあたしの手を握った。

「なんも怖ぐねから、まかせときな。」

 というが早いか、とき同じくして立ち上がった彼がすたすたとあれが漂うところに近寄る。

 そして右手を横と縦に小さく振り、両手でその「塊」を包むように覆い隠す。

 その瞬間、

 本当にその瞬間そこにはなにもなくなった。

「あれ?」

 お婆さんはにこやかにあたしの顔を見て言った。

「あのあんにゃの力だ。」

「え?」

「ここさ、通り道になっててな。たまにあれが勝手に通るすけ。」

 お婆さんがいつものことというように言った。

「一日に二、三度は通るらしいからな。」

 彼も特別何ともないような顔をして居間に戻ってきた。

「一般的にはおそらくこういうのを浮遊霊とかここに霊道がとかいうんだろうけど、それは違うよな。」

 彼は何事もなかったようにサーバーの麦茶をコップに次いで飲んだ。

「何ともないの?」

「え?何ともないよ。」

 あたしの問いかけに彼はこともなげに言った。

「俺はなんとなく感じられるから、できることをやっただけ。それだけ。」

「何をしたの?」

「普通に。こうしろと言われたことをしている。」

 あたしはただびっくりしてしまってしばらくどうしていいかわからなくなってしまった。

「何度か言ったけどあれはただ、風や川の流れのようなもんだから。そこに自分の思うものを当てはめるから勝手に怖いもんになるんだよ。」

 お婆さんはあたしに座るように促して、麦茶を注ぎ足した。

 あたしは座布団に座り麦茶をいただいてから、ちょっとでも落ち着くように大きく息を吸ってそして吐いてみた。

「結局、何をすると消えるの?」

「ガキの頃、誰かに教えてもらったんだよ。こうしろって。」

 彼はまたさっきと同じような仕草をする。

「これは無理にやってはいけないことなんだけど」

「なんで?」

 あたしが聞くと彼は腕を組み、ちょっと考えた仕草をした。

「あまりやらないほうがいいって言われたなあ。理由はわからないけど。」

「あたしも出来るの?」

「俺にしかできないことだからお姉さんにはできないよ。」

 彼はそういって、今度はちゃぶ台の真ん中の煎餅のはいった籠に手を伸ばし勝手に袋から取り出して食べ始めた。

「ぶっちゃけて言えば怖いものは自分の中にあるんだよ。」

 煎餅をぼりぼりと頬張りながらいうのだけどあんまり説得力ないよ。

 あたしはなんだか拍子抜けした気持ちになってきた。

「でも、それが俺の普通。お姉さんにはそれが見えるのが普通。多分昔はもっと見える人や感じることができる人がいっぱいいたはずだから。」

 お婆さんが台所から梨を切ってきた。

「昔はいっぺことみたんだろも、今はとんとみえねなったから。」

 三人で梨を頂いてからふと気づいた。

「お婆さん、一人で住んでいるの?」

「もうなげことひとりやってっから。」

 聞くと二十年も一人ぐらしで社を守っているという。

 あの社もこの地域の社で神社なのか寺なのかというとよくわかってなくて、便宜上神社ということになっているらしい。

 長い間いろいろあったらしく結局放置された社をお婆さんがずっと守っているというニュアンスだった。

 すごく方言が強くておそらくそんな感じだったと思う。


「またきなせ。ごっつぉこしらえっから。」

 お婆さんの家を出たのは十時を回る時間になったと思う。

 駐車場まで彼と黙って歩き、ボロいワゴン車に乗り込むと彼が口を開いた。

「無茶なことして悪かった。」

「え?特にそんなこと思ってなかった。」

 あたしが答えると車は走り始めた。

「仲間だと思ったから。だから平気だと思ったんだけど。泣かせてごめん。」

 ああ、そのことだったのかと

 車を走らせながら彼はいろいろと話すのだけど

 なんとなくどういうことなのかがわかってきた感じがしてたんだ。

 幽霊とか妖怪とか現在でもいわれている怖いものって、つまりは見えたり見えなかったりあやふやなものだったんだ。

 だから自分がおかしいと思うから怖くなるんだ。

 みんなと一緒じゃないという不安とかがその正体なんだと思った。

 もしかしたらそう思っているのもあたしだけなのかもしれない。

 でも、それであたしが特殊というわけではなく、それで何か特別なことをしない限りはそれは普通なんだと思えた。

 彼も帰り道の車の中で同じような話をした。

 彼が子供の頃の話も聞けた。

 色々あったんだと思えた。

 寮の前に着いたのは十一時。携帯で連絡しておいたので玄関で同室の子が待っててくれてた。

「送ってくれてありがとう」

 車を降りるときそう言って礼を言ったら

「なにかあったら連絡して。」

 と彼はあたしを見た。

「なにかって?」

 意地悪に訊いてみると彼はちょっとあきれた顔をして笑って見せた。

 あたしはたぶんもう彼には連絡しないと思う。

 だから名前を聞かなかった。


 そしてあたしの普通の日がまた変わりなくつづくのだと、

 そう思っていた。


 でも、ちょっといろいろあってまた彼と出会っちゃったんだ。

 その話はまた今度。

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