第5話 お炊き上げ

 それから土曜日が来るまでかなり長く感じたと思う。

 そういえばお互いに名前も聞いてないし、かといってなんとなく電話もしづらくて。

 仕事はいつも通り。

 会社の仕事は単調だけど特になんの問題もなく、元カレとも険悪な雰囲気ということもなく通常運転みたいな感じ。

 それでもいつものように日に一度はそのもやもやとした空気の塊みたいなものは何らかの瞬間に目に映るようになった。

 さすがに人の姿は目の端にスッと映り込むだけなんだけどそれでも次の土曜になるまでには二回くらいは見えたと思う。

 先日は夕方の暗くなり始めた空に浮かんでいるのが見えたりした。

 まるで風に運ばれる風船のようなんだけど、実態がないのでなんというかどうしていいかわからなくなる。

 また、そういうときに限って周りにだれも居なかったりするんだから。

 誰かに相談しようにもなかなか相談に乗ってくれそうな人がいなかったし。

 そこいらの人に相談しようものなら宗教の勧誘とかされそうだから怖くて相談できなかった。

 だからかな。

 彼のようにおそらくは同じ感覚を持っている人なら話をしたかったのかもしれない。


 土曜日の夕方、天気はちょっと曇っていたけど雨が降るような感じはしなかった。

 でもこの地方は日照時間が少ない土地でもあるので晴れ間は冬に向けて少なくなってきている。

 ほんのちょっと前に一度携帯に電話がかかってきたけど、すぐそばだったので取らないで早足でお寺の敷地に駆け込む。

 お寺の駐車場にワゴン車が止まっていた。

 境内に入るとまた彼は灰色の作業着姿で何かの箱を出していた。

「ああ、きたんだ。さっき電話したんだけど。」

 彼はあたしを一瞥し、そのままお堂の中から箱を出していた。

「手伝う?」

「もう終わるからいいよ。」

 今回は箱一つで終わったみたいだ。

 彼は駐車場まで抱え込むほどの大きさの段ボール箱を持ち、あたしはそのあとをついていった。

 ワゴン車の所につくと箱を荷台に乗せ、助手席にあったと思われる缶コーヒーを取り出した。

「はい。」

 また缶コーヒーをあたしに投げて、運転席に座る。

「乗りなよ。ちょっとドライブしよう。」

 あたしはちょっと嫌な感じを受けた。

 だって、ワゴン車だよ?

 業務用の。

 おまけに結構錆も浮いているし。

 会社の同僚にも「人にとって車の扱いは異性の扱いと同じ」と言われてたから。

「別に取って食ったりしないよ。人に聞かれると困る話もあるだろ。」

 なんとなく見透かされたのか彼がちょっと怒ったように言った。

 あたしはしぶしぶ助手席に座ると助手席は開いてない缶コーヒーがまだ3本もあった。

「どんだけ飲むの?」

「煙草吸わないから、ついね。」

「カフェイン中毒?」

「だったら他のドリンクを飲むよ。」

 彼は車を走らせた。


 車の中で彼があたしに訊いてきたのはどんなものが見るのかとか、それらが何をしてくるのか、害があるのかどうか。

 考えてみるとそれらはあたしが気持ち悪く思っているだけで特に何をしてくるわけでもなかった。

 色々な話は全て「気のせい」ではないかもしれないが見えない人にしてみれば気のせいにしかならないものだ。

 なぜなら「害を及ぼしてない」から。

 考え方の相違と言われるとそうかもしれない。

「俺も本当にヤバいのはやっぱりあると思うし、感じることもあるけど、そうそう滅多にはないもんだよ。」

 と彼は神妙に答える。

 どんなことがあったのか聞いたけどその時は特に答えてくれなかった。

 そしてあたしもそこまで深く聞く気はしなかった。


 車は結構長い時間走っていた。

 だいたい一時間くらいかな。

 たまに二人とも黙ってしまうタイミングもあったりで

 ワゴン車の中はラジオくらいしかついてないオンボロ。

 唯一たばこ臭くないというのが救い。

「そろそろ到着。」

 ここはどこだろうと思ったけど町からは遠いけどもちょっとした田園風景の広がる田舎という感じの道を走っている。

 アスファルトの道だけど周りは田んぼが広がっている。

「S町?」

 時折出てくる行先表示の標識を見ながら聞くと

「そう。あと5分くらいかな。」

 彼はまっすぐ前を見ながら答えた。

 気づくと缶コーヒーはすべて空になっている。

 しばらく田んぼの一本道の先の右側にこんもりとした林が見えた。

「あそこ見える?」

 彼は指さした林の頭にお寺のお堂のような形の屋根が見えた。

「あそこで焼くから。」

 あたしは近づいてくる林に妙な胸騒ぎを覚えた。

 なんか、変な感じがする

 あたしが彼にそうつぶやくと彼は黙ってその林の中に車を入れた。

 林の中には砂利の狭い駐車場があり、彼はそこに車をバックで入れた。

「降りて。」

 促されるままあたしは車を降りた。

 曇っているせいか、林の中ということもあってだいぶ暗い感じ。

 砂利道の奥にお寺のお堂が見えた。

 変な感じは今でも続いていて、でもそれは不思議と嫌な感じではなかった。

 荷台から抱え込むような大きさの荷物を降ろしながら彼は奥へ進むように言った。

「奥に本堂があって、その後ろでお炊き上げをするから。」

 あたしは足元の石ころに気を取られつつも彼の後ろについていく。

 木と木の間から刈り取りを待つ金色の稲穂が揺れるのが見える。

 その隙間からちょっとふわりとした空気の塊が見えた。

「あ。」

 思わず声が出た。

 その瞬間彼が後ろを振り向いた。

「気にしないで。悪いもんじゃないから。」

 彼はじゃりじゃりと奥に向かって歩く。

 ほんの数十メートル先なのに妙に長く感じる。

 本堂はそんなに大きいものではなく、おそらくはお堂の中は人が10人も座れるかどうかの広さしかない。

 正面の奥に小さな観音様のような仏像が置かれているみたい。

 本堂の前で彼は段ボールを置き、数秒の間、手を合わせる。

 あたしも真似をして手を合わせた。

 彼は再び段ボールを持ち本堂の裏にむかう。

 あたしもすぐについて行ってみると

 ちょっとした広さの土の広場になっていて、中央部の地面に黒く焦げた跡があった。

 広場、と言っても十数メートル四方程度の広さしかないのだけど、よく見るとコンクリートのような敷石のようなものの上だけが黒く焦げているようだった。

「これからお炊き上げするから。」

 彼は段ボール箱を焦げた地面の近くに降ろし、箱を開けた。

 近づいて中を見ると中にはお札やぬいぐるみがたくさん詰まっている。

「ちょっと手伝って。」

 彼はそういって広場の奥に指を指すと、そこには焚き木が積まれた小屋がある。

 あたしたちは何度か往復して焚き木を抱えて広場の真ん中に積み上げる。

 その合間合間に彼は箱から人形やお札を焚き木と一緒に並べていく。

 箱の中身がなくなった時は明らかに空は暗くなっていた。

 ちょっと気になって携帯電話で時間を確認すると19時になろうとしてた。

「じゃあ、火をつけるから後ろに下がって。」

「え?お坊さんとか来ないの?」

「いちいち来ないよ。」

「それでいいの?」

「もうお経は上げているから。後は焼くだけ。」

 彼はそういってポケットから何か書いてある紙を取り出しそこにライターで火をつける。

 あたしはただその姿を後ずさりながら見つめるだけ。

 紙についた火は思いのほか大きく燃えてすぐに焚き木に燃え移った。

「気をつけて。」

 彼があたしのそばに来て、本堂のそばまで下がるように言った。

 火がどんどん燃え上がっていく中であたしに少しずつ不思議な感覚が広がる。

 なんていうかスーッとする感じ。

 火の勢いの中になにか燃え弾けるような音が聞こえる。

 たぶんぬいぐるみとか、お札がもえてパチパチと音を出しているのかも。

 ふと気づくと火の勢いどんどん増すのだけどそれは上の方にだけ向かって、横には広がってこない。

 ちょうど黒く焦げた敷石の外に火が出ていかないように何かに囲まれている感じにも見える。

「あ、また。」

 火の中からもやっとした空気の塊が出てきて、すうっと火の勢いと一緒に上に立ち上って消えていく。

 それも小さいものがいくつもいくつも。

「やっぱり見える?」

 彼は火の勢いを見ながら言った。

「あれは何?」

 あたしは尋ねるしかなかった。

「塊」

「カイ?」

「そういっている。」

「何なの?それって。」

「たぶん、想いとか念とかいろいろ。」

「・・・上にどんどん上がっていくみたい。」

「いろんな思いがモノに込められるんだよ。そのモノがなくなることで解放されるということ。俺にはそう感じる。」

「その思いはどこへ行くの?」

「消えてなくなるだけ。」

「本当に?消えてなくなるの?」

 あたしは彼の方を見た。

 炎の照り返しで彼の顔が赤く見える。

 15分ほどで火の勢いは収まって、その時になって本堂の屋根の下に蛍光灯が点いているのを初めて気づいた。

「忘れるが正しいかもしれない。だから思い出したら見えるのかも。」

 虫の鳴き声がうるさいくらい響く。

 火がだんだん落ち着いて、彼はまた広場の中央に近づく。

「こいつらは良し悪しなんかわからないんだよ。ただ、そこにあるだけか、漂って流れているだけだから。」

「でも、気持ち悪いよ?いないものが見えたりするのは。」

 あたしは彼の背中に向かっていった。

「お姉さんはさ、ヒトって気持ち悪い?」

「え?」

 振り向いた彼は不思議な質問をした。

「人間(ヒト)でも良い人もいれば悪い人もいる。街で道を歩いていて誰がいい人で誰が悪い人かわかる?」

 彼はまた軍手をはめて炭化がすすんで赤黒くくすぶっているぬいぐるみと思しき影を指さした。

「たぶん、こいつについていた思いは持っていた人によって変わるもんだよ。人に害をなすものもあればそうでないものもある。」

 そしてあたしの後ろを指さす。

「え?」とちょっとびっくりしながら後ろを振り向くと竹ぼうきを持ったお婆さんが立っていた。

 背骨を上に抜き取られるような、あるいは心臓が背中から押されて胸から飛び出すくらいびっくりしてしまい、逆に声も出なかった。

「きとったんかね。」

「ああ、少なかったんでもう終わるよ。」

 割烹着を来た背の小さいお婆さん。

 お婆さんはあたしに小さく笑いかけた。

 あたしは思わずお辞儀をした。

 お婆さんはにこやかな表情をしているけど、少し警戒しているのか、目はあまり笑っているようには見えなかった。

「おやおや、お嬢さんも一緒かね。」

「ただの見物だよ。」

 お婆さんから竹ぼうきを受け取って彼は無造作に周りの土と砂を炭に向けて掃き寄せる始める。

「ここは初めてかね?」

 お婆さんはあたしに向けて言った。

 あたしは声も出せず首を二回縦に振った。

 いろいろ話を聞こうとしたけど鼓動がまだ収まってなくてなかなか話を切り出せない。

 そのうち彼が掃き寄せた砂と土がちょっとした山になっていた。

「さ、終わり。帰るよ。」

 彼は竹ぼうきをお婆さんに渡してからの段ボールを折り畳み片付ける。

 やっとあたしも動悸がおさまってなにか話そうとするんだけどうまく言葉にできない感じがした。

 ただ、言えたのは

「なんかよくわかんないんだけど。」

 同時に彼とお婆さんはあたしの顔をみた。

 あたしにしてみると二人に小馬鹿にされているような感じにも思えた。

「あたしにわかるように教えて!」

 ふり絞って出てきた言葉はそれだけだった。

 でもその言葉でお婆さんの表情がすごく優しく変わった。

「まあ、うちにあがってきなせ」

 お婆さんはそういってあたしに笑いかけた。

 一瞬林の中を風が通り過ぎ、そのあいだ虫の声が途切れた。

 ふと林の木々の間からこちらに視線を感じたのだけど夕方の時より気にならなくなっていた。

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