第2話 聞いたことがあると思うよ

 大学受験をあきらめ、就職をし、一人暮らしを始めることになった。

 母と祖母に引き留められたけど

 就職を決めた時点で「いずれ一人暮らしするつもりだし」ということであたしは半ば強引に決めてしまった。

 就職先は実家から各駅停車の電車で2時間くらいの海に近い県庁所在地。

 そこは電気部品を作る大きめの工場で、そこの寮に住まわせてもらった。

 しばらくは仕事に慣れるために忙しい日々が続いた。

 それでも仲が良くなった子も何人かできて、それなりに充実した感じだった。

 そんなある日、そんな同僚の女の子から買い物付き合って欲しいという誘いを受けた。

 特に断る理由もなく、ショッピングのついでに喫茶店でお茶でも飲もうという話になった。

 そしてその週の終わりの休日、天気にも恵まれてあたしたちは街で買い物をしたり、おしゃべりをしたり、普通の女の子のようにショッピングウインドウを眺めたり。

 午後2時を回ったあたりだったけどお昼ご飯を食べてなかったあたしたちは同僚の「何か食べようよ」という一言に同意した。

 そして彼女はすぐ近くの小さな喫茶店に入った。

 ちょっと薄暗い感じはするけど清潔そうでポップな印象の喫茶店。

 個人経営っぽいけど、スタッフが数人が忙しそうにしていて、数人のお客さんがご飯を食べたりお茶を飲んだりしている。

 ちょっと狭い感じで細長い店内、壁に小さなテレビが埋め込まれていて、ちょうど競馬中継があったせいか数人のおじさんがそこのテーブルに張り付いていた。

 ウェイトレスさんは一人しかいないのか、あたしたちを見るなり

「お好きな席へどうぞ~」と声をかけた。

「どこに座る?」

 彼女はそういって見回すと店の一番奥を指さした。

「あそこ空いている。」

 え?とあたしは思った。

 彼女の指さした一番奥の4人掛けボックス席は男の人が座っていたから。

 うつむき加減で出口側に向かって何かを書いているようにテーブルに両手を出していた。

 でもその手前のテーブルが空いていたのであたしはその席のことかと思って彼女の言葉に

「あそこね」と歩き出した。

 その際に狭い店内の椅子にひっかけたのか何か躓いた感じがして目を足元に落とし、再び奥の席に目をやると

 もうそこは誰もいなかった。

 彼女はその一番奥の席に向かう。

 あたしは自分の目を疑った。

 あの男の人はどこに行ったのだろうかと思ったけど

 彼女はその男の人が座っていたところに何事もなく座った。

「何食べる?なんかいろいろ食べるものありそうだけど。」

 彼女は何事もなくあたしに語り掛けた。

「さっきここにだれかいなかった?」

 あたしは彼女に前に座るのを少しためらいながら言ったら

「誰もいなかったじゃない?」

 彼女は普通に答えて、暗に一つ入り口側の席と間違えたんじゃないかというような仕草で入り口側を見た。けど、そんなことは彼女にとって興味をそそることではないようで、

「あたしピラフにしようかな?」と手書きのメニューに手を伸ばした。

 あたしは何とも腑に落ちない感じがしたけど多分見間違いだったんだと思って

 彼女からメニューを受け取りつつ席に座った。


 4人掛けのボックス席にあたしと彼女は向かい合って座り、メニューを見ながら今日の買い物のことや仕事のことを話してたんだけど

 やはりちょっとどこか腑に落ちない気がしていた。

 そのことに気付いたのか彼女はちょっと声を落としながら

「どうしたの?なにかあった?」と聞いてきた。

「ううん、たぶん何か勘違いしたのかなあ」

 と答えたときにやっとウェイトレスさんがお冷をもって来た。

「お待たせいたしました。」

 水の入ったタンブラーを三つテーブルに置く。

「ご注文はお決まりですか?」

 といった瞬間、ウェイトレスさんがはっとした表情を見せた。

「すいません。お二人様でしたね。」

 とお冷を一つお盆に戻した。

 同僚の彼女は何も感じなかったのか普通に注文をしたんだけど

 あたしはその瞬間に「ああ、そうか」と妙に納得してしまった。

 そしてあたしも普通に注文をして食事をした。

 紅茶とサンドウィッチ。


 食事を終えて店を出るときに会計を済ませながらさっきまで座っていた奥の席を見ると

 そこには男の人が座っていた。

 まだ片付けられていないテーブルにうつむいたまま両手を揃えた状態で。


 それからしばらくして地元に住んでいる会社の同僚から聞いた話だけど

「あそこの喫茶店、出るって聞いたことないの?」


 あれから数年してその喫茶店はつぶれちゃったけど

 あたしはあの時以降その喫茶店に入ったことはなかった。

 でも街での買い物の時に外からたまに中をのぞくとあの男の人はまだあの席にいた。


 あれは誰だったのか、なんであそこにいたのか

 今となっては全く分からないけど

 怖いとか全く思わなかったのは不思議だった。

 ただあたしにとって「幽霊」は怖いものではないと思えた。

 ただそれだけ。

 その喫茶店はどこにあったかというと、地元の人には有名ということなのできっとそういう場所ってどこの町にでもあるんじゃないかな。

 たぶんみんな聞いたことがあると思うよ。

 言えばきっと「ああ、あそこか」と答えるんじゃないかな。

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