003 黒騎士は怒っていた
街の雑踏の中を、重い身体を引きずるようにしてセレネは歩いていた。
リベイラの街はぼろぼろだった。
街道はあちこちが欠け、建物は崩れ、道には負傷者が溢れている。魔物の死体の処理は終わったが、まだあちらこちらに黒い血痕が残されていた。
だが、人々の目には、絶望ではなく何かをやり遂げた達成感で満ち溢れている。
建物が壊れ、負傷者は多数出したが────死者はいない。魔物の大群に襲われたにしては、リベイラの被害は奇跡的と言えるほど軽微だった。
街の自警団や神聖教会の使者、それからセレネの奮闘の結果である。
「よう、姉ちゃん! あんた凄かったなあ。見てたぜ、こう、後ろから巨人を真っ二つ!」
「乾杯しましょう乾杯! リベイラの勝利に!」
「あの、もしお怪我が酷いようでしたら、教会までいらしてください。教会まで行くのも大変なら、人を呼びますから────」
「ああ、ありがとう。でも今は遠慮しとくよ」
身体のあちこちに包帯を巻き付けながら祝杯を上げる自警団員や、心配顔の神聖教会の使者。
彼らの誘いや呼びかけをやんわりと断りながら、セレネはふらふらと歩き続けていた。
強化魔法を使用してから、数時間。通りに溢れる魔物を力任せに斬り捨て、巨人相手に苦戦している自警団員の間に割って入り、吸血鬼と睨み合っていた使者の集団の中へ乱入した。
不意打ちとは言え、一撃で巨人や吸血鬼を斬り捨てたセレネを見て、引きつった笑みを浮かべた自警団員や使者もいる。我ながら結構人間を辞めていたような気がしているので、仕方がないかも知れない。
リベイラが問題ないのであれば、魔王を追いかけなければと思うのだが、そろそろセレネも限界だった。
今行ったところで足手まといにしかならないだろう。それ以前に、魔王がどこにいるのかセレネは知らなかった。
一人になれる場所を探してふらふらと歩き回り、結局宿屋で部屋を取ることにした。
部屋の中に転がり込み、ほっと一息つく。うっかり人前で死んで、埋葬されてしまったら大変だった。
革鎧を脱ぎ、剣帯も外して、壁に背を預けるようにしてずるずると座り込んだ。
「死ぬほど痛い、よな。多分」
教会魔法を使用してから数時間、ひたすら魔物と戦い続けていた。反動は凄まじいだろう。
少しでも楽になればと、服の胸元を緩めた。それから懐から引っ張り出した短剣の鞘を払い、自分の首筋に押し当てる。
骨が折れ、内蔵が握りつぶされ、筋肉が裂ける。早めに気絶出来れば良いが、運が悪ければ死ぬ直前まで強化魔法の反動による苦痛でのたうち回ることになる。
だから、長時間強化魔法を使用し、反動で死ぬとわかりきっている場合は、黒騎士たちは自殺を選ぶ。その方が、まだ苦痛が少ないからだ。
(ここで死んだら、あの子の夢に出ちゃうかな)
一度、大きく深呼吸をした。もし彼の夢に出られるのなら、目覚める頃には見つけてもらえるかも知れない。
「…………女神よ、感謝いたします」
強化魔法を解除するのと同時に、セレネは首筋に押し当てていた短剣を一気に引いた。
傷口から血が溢れ出す。座っていられなくなり、セレネは床に倒れこんだ。
「セレネっ」
(ああ、やっぱり見つけてくれた)
扉を蹴破るようにして飛び込んで来た少年を見て、セレネはそんなことを思っていた。
「お前は入るな。見るな。あっちに行け!」
「え、ちょっと、セレネさん大丈夫なんですか?」
「大丈夫じゃないけど大丈夫だ! とにかくお前は外にいろ!」
「い、痛い痛い! 蹴ることないじゃないですか!」
「いいから! 何かやる気あるなら布とお湯持って来い! できるだけたくさん!」
「えええええー」
何とかレオンハルトを蹴り出すことに成功した魔王は、一度大きくため息をついた。
扉をきっちりと閉め、念のために内側から鍵を掛けてから、部屋の中を見る。
血塗れの短剣を片手に握りしめたセレネが、血溜まりの中に倒れていた。
いつもの革鎧は脱いで、少しでも楽にするためか、胸元も大きくはだけていた。
レオンハルトには見せられない光景だ。あの幼い英雄には、刺激が強すぎる。
おそるおそる近付いてみると、まだ微かに息があった。
回復魔法を唱えようとは思わなかった。彼女はもう、助からない。
セレネの近くに座り込み、短剣を握りしめていない方の手を握る。
「…………ごめんな」
セレネが息絶えるまで、魔王はずっとそうしていた。
魔王の目の前で、何度もセレネは死んでいる。
セレネが息絶えるまで手を握り、少しでも苦痛が和らぐようにと尽力し、生き返って目覚める時まで傍にいる。
だから、この時も、きっと魔王はセレネが目覚めるまで待っていてくれるだろうと思っていた。
「…………え?」
思わず間抜けな声が出てしまったのは、目覚めた時にセレネ一人きりだったからだ。
床の上に倒れていたはずなのに、目覚めた時には寝台の上にいた。部屋は綺麗に掃除されて血の染みひとつ残っていない。血塗れになった服は脱がされて、楽な寝巻きに着替えさせられている。
誰かに世話をされていたのは間違いないようだった。だが、その誰かの姿が見当たらない。
意識を失う直前に、誰かに手を握られたのを覚えている。ああ、あの子だと思ったことも。
それでもまだ大丈夫だと思っていた。どこかに買出しにでも行ったのだろうと、呑気に構えていた。
床の上に放っていた荷物から服を引っ張り出し、着替えてから部屋の外に出る。ちょうど、窓の拭き掃除をしていた宿屋の主人と出くわした。
「おはようございます。おや、お身体はもう大丈夫なんですか?」
「ええ、ありがとうございます。あの、私の連れのことなんですが…………どこへ行ったのか、聞いてませんか?」
「お連れ様ですか?」
「黒の長衣を着た男の子なんですけど」
セレネがそう言うと、宿屋の主人はぽんと一つ手を打った。
「ああ、あの方ですか。お連れ様なら、二日ほど前にリベイラを発たれましたよ」
「え?」
「何でも急ぎの用があって、リベイラを離れる必要があるとかで。茶髪の少年と一緒に出て行かれました」
「どこに行くって言ってました?」
「さあそこまでは…………随分急いでいたご様子でしたので」
「そんな…………」
また置いて行かれた。いつもなら、セレネが目覚めるまで傍にいてくれるのに。
茶髪の少年というのは、おそらくレオンハルトのことだろう。幼い英雄を連れて、魔王はどこへ行こうと言うのか。
「あの、お客様? 大丈夫ですか? 顔色が悪いようですが」
「いえ、大丈夫です。ありがとうございました」
心配そうに顔をのぞき込んでくる宿屋の主人に一礼してから、セレネは宿屋を飛び出した。
とにかく、魔王がどこへ向かったのか、突き止めなくては。
☆☆☆
「なあ、お前知ってるか?」
「ん?」
「英雄様だよ英雄様。ついにアスタロスタまで来たらしいぞ」
「本当かそれ」
「聖都に参拝に行った従兄弟が言ってたから間違いねえよ。何でも、もう英雄の剣も手に入れてるらしい」
「まーたお前の従兄弟の話か。それ、本当かどうか怪しいんだよな」
「嘘じゃないって。英雄様にはどうも使者っぽい連れがいたんだけどよ、前の奴を無視して門番のところに行ったらしくて、順番を抜かされたおばさんがぎゃーぎゃー騒いでたんだと」
「女ってのはこれだから駄目だよな。アタクシは清く正しく生きてますの、なんて顔をしやがる癖に、自分の思い通りにならなきゃすぐに喚き散らす」
「まあおばさんなんて皆そんなもんだろ。その使者、黒の長衣だから聖都の人間じゃないらしいけど、あの強面の門番相手に堂々としたもんだったらしいぜ。まだ十五、六あたりらしいけど」
「それ」
「あ?」
「その話、いつの事なんだ?」
「何だよ、女。ここはお前みたいなのが来るとこじゃねえぞ」
「まあまあ、抑えろって。ええっと、そうだな。昨日従兄弟から聞いたから、二日ぐらい前なんじゃないか」
「…………二日前か。ありがとう、助かったよ」
「どういたしまして」
「…………ちっ。なんだあの女。あー、やだやだ。女がいるとせっかくの酒がまずくなるな」
「そう言うなって」
「女は男の言う事聞いてりゃ良いんだよ。守られてばかりで何もできやしないくせに、口だけは一人前にぎゃあぎゃあぎゃあぎゃあ騒ぎやがって」
「そうそう、お前の言う通り。俺たちゃ女子供を守るために命掛けてるからな」
「リベイラを守ったのはこの俺だ!」
「よっ、男前!」
「守られてるだけの女子どもは、男に服従しろ!」
「…………なーんでまたこうなっちゃうかな」
「あ? なんか言ったか?」
「いやいや何でもない何でもない。まあとにかく、英雄様がアスタロスタに到着したんなら、ちょっと安心したよな。魔王さえ倒してくれれば、魔物も大人しくなるし。リベイラみたいなことが何回も続いたら、いくら命があっても足りやしねえ」
「なんだ、お前腰抜けだなあ。俺だったら何百回魔物の襲撃を受けても、リベイラを守りきってみせるね。なんだったら魔王を倒してやっても良い」
「あーはいはい。すごいすごい」
「なんで教会は俺を選ばないんだ? 十六やそこらのガキより、俺の方がよっぽど有能なのに────」
☆☆☆
「まったく、何やるつもりなんですかね、うちの坊ちゃんは」
酒場から出たセレネは、そのままリベイラの街の出口へと向かっていた。
既に日は沈み、月が高く上っているが、夜だからと言ってためらってる場合ではなかった。時間が惜しい。
魔王に置いて行かれたと気付いてから、もう三日が経っていた。その間、セレネは魔王の行方を求めて、街の酒場へ足を運んだ。
酒場には様々な噂が溢れていた。リベイラのこれからの復興計画や、南の森が跡形もなく消し飛んでしまったこと、今回の被害を重く見て、聖都から復興支援のための使者団が送られること。
そして────ついに英雄が、聖都アスタロスタに到着したらしいという噂を聞いた。
英雄が連れていた従者は、黒い長衣を着た十代半ばの小柄な少年だ。英雄よりも年下に見えるのに、彼よりも堂々と落ち着いて見えたらしい。
あの子だ。何故かわからないが、あの子は聖都アスタロスタに、英雄と共にいる。
その英雄は、既に英雄の剣を手に入れているのだとも聞いた。後は魔王を倒すだけだ。
嫌な予感がした。あの子の元へ、一刻も早くたどり着かなければならないと思った。
「見つけたらお説教だ。一時間は覚悟してもらわないと」
今のセレネは一人きりだ。聞いてくれる者は誰もいない。
それでも、ぼやかずにはいられなかった。
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