002 死を望まれて

 聖都アスタロスタはこの大陸の中心、世界の中心にある。

 正義の神アスタを讃える神聖教会の本部がある場所で、最初の英雄が見出された場所でもあった。

 敬虔な使者にとっての憧れの地であり、一目この地を見るために故郷を捨てて旅人になった者までいると言う。

 レオンハルトにとっても、ここは憧れの場所だった。

「ここが聖都…………」

「おい、急に立ち止まるな。轢かれるぞ」

 聖都アスタロスタは巨大な壁に囲まれている。北と南に大きな門があり、旅人や商人はそこから出入りしていた。

 南の門をくぐってすぐの道で、レオンハルトは呆然と立ち尽くしていた。

 今まで見たどの街よりも大きい。今立っているこの道も、四頭立ての馬車が三つ横に並んでも問題ないほど幅が広い。

 間抜けに口を開けてぽかんとしていると、横から腕を引かれて道の隅に押し込められた。

 昼下がりの穏やかな空気の中、小さな馬車がのんびりと通り過ぎていく。

 聖都アスタロスタの建物は、基本的に正義の神アスタの色で統一されている。青い屋根に白い壁が整然と並ぶ様は壮観だった。

 まだ街に入ったばかりなので旅人や商人の姿が目立つが、青や白の長衣に身を包んだ使者の姿もある。

「初めてなのか?」

「え?」

「ここに来るの。ずいぶん感動してるみたいだな」

「え、ええ…………街の教会で、聖都のお話は何度も聞きましたけど、来るのは初めてです。僕が英雄に選ばれたっていうのも、聖都からの使者様が故郷の教会に伝えてくれて」

 故郷の教会の使者から伝言を伝えられただけで、実際に聖都の使者を見るのは初めてだった。

 青と白は正義の神アスタの色だ。そのため、アスタに最も近い聖都アスタロスタの使者だけが、青や白の長衣を着ることを許されている。それ以外の使者は、黒や灰色の長衣だ。

 そこで、レオンハルトは気づいた。

 黒い長衣は神聖教会の使者が着るもので、神聖魔法も神聖教会の使者が使用するものだ。

 目の前で苦笑している少年は、神聖魔法を自在に操り黒い長衣を身につけている。

「君、もしかして使者だったんですか?」

「ああ。昔に、な。なりたくてなったわけじゃないから、不良もいいところだったが」

 ────レオンハルトがトトの古城で英雄の剣を引き抜いてから、三日が過ぎていた。

 自分が魔王だと言った少年は、それまではぐらかしてきたことをぽつりぽつりとレオンハルトに語っていた。

 魔王は先代の英雄なのだ。魔王は力を封じるための器のことであり、力が解き放たれた時、世界がどうなるのかはわからない。

 英雄の剣で斬られない限り、魔王が死ぬことはない。だが、やがて身の内に秘めた力を押さえ込むことができなくなり、次の器────次の魔王となる英雄が必要になる。

 少年は十年前の英雄の従者で、志半ばで病に倒れた英雄の代わりに魔王を倒した。十年間、自分の代で終わらせるための方法を探していたのだと言う。

 先代の魔王たちも、きっと同じようにしただろうと少年はいった。歴代の魔王たちは、世界を救うために立ち上がった英雄だったのだ。

「教会に行くぞ。馬車に轢かれたら大変だからな」

「…………いいんですか」

 おどけた調子で言う少年を、レオンハルトは睨みつけた。

 少年は自分の代で魔王を終わらせる方法を見つけたのだと言う。だが、その方法が本当に確実なのかどうかわからないから、他の方法も探していたと言っていた。

 他の方法を探していたのは、何か迷う理由があったのではないか。そんな気がしてならないのだ。

「教会に行ったら、もう戻れません。他の方法があるなら、それを探してからでも」

「十年探してこれだけだったんだ。他の方法なんて無いんだろう」

「じゃ、じゃあ、せめてセレネさんに話してからにしましょうよ。セレネさんが目を覚ますのを待ってから────」

「時間が無いんだ。あの魔女のこと、お前も覚えてるだろう?」

 静かな口調で言われて、レオンハルトは言葉を詰まらせた。

 あの魔女。魔王になることを望み、魔王の力によって命を落とした少女。首から下の身体は消し飛んで、目を血走らせ引きつった笑顔を浮かべた頭部だけが残っていた。

 大木はへし折れ、草花は燃え尽き、土は灰に変わる。魔王の力が漏れてしまえば、あれと同じことが起きてしまう。

 あの時は人気のない森の中だったからまだ良かった。だが、もしあれと同じことが、村や街で起きてしまったら。

「俺様はもう決めたんだ。お前の方こそ、引き返すなら今のうちだぞ」

 少年がレオンハルトを連れて来たのは保険なのだと言う。

 もし、少年の見つけた方法で魔王を封印できなかった場合、英雄の剣で自分を斬って欲しいと言っていた。

 それは、レオンハルトに次の魔王になって欲しいと言ったも同然だった。

「いいえ。引き返しません。僕は英雄ですから」

 逃げても良いと少年は言った。

 失敗する可能性はあるが成功する可能性だってある。英雄に選ばれたからと言って、もしかしたら次の魔王になるかも知れないとわかっていて、一緒に来る必要はないと言った。

 選択肢など最初から無いも同然だ。

 もし失敗したら、世界はどうなるのかわからない。一瞬で消し飛ぶかも知れないし、真綿で首を締められるようにじわじわと滅びていくのかも知れない。

 万が一のことを考えれば、英雄は、次の魔王候補は、逃げるわけにはいかなかった。

「だったら、さっさと行くぞ。もし気が変わったら遠慮せずに言ってくれ」

「────その言葉、そっくりそのままお返しします」

 ────きっと、歴代の魔王えいゆうたちもそうだった。

 拳を固く握って、唇を引き結ぶ。覚悟はできた。できたはずだ。



☆☆☆


 神聖教会の本部は、聖都アスタロスタの中心にある。

 街をぐるりと囲む外壁よりもやや低い壁が、同じように教会を覆っていた。

 北と南に大きな門が設けられ、青い長衣に身を包んだ使者が二人、その前で目を光らせている。

 もし不届き者がこの門を通り抜けようとしたら、使者の手に握られた槍が容赦なく振るわれることになる。

 巡礼者たちは門の前の使者に入場の許可を得るために、南北の門の前に長蛇の列を作っていた。

 南の門の列に並んだレオンハルトと少年は、じりじりとした焦燥を押さえつけながら自分たちの番を待っている。

「えっと、ここで合ってるんですか? 参拝の列ですよね、これ」

「お祈りだけして帰るか?」

「君も一緒に帰るんならそうします。ところで、これからどうするんですか?」

「白の君に目通り願う」

「白の君…………って無理ですよそんな!」

 さらりととんでもないことを言われて、レオンハルトは目を丸くした。

 白の君は神聖教会の使者の最上位だ。正義の神アスタに最も近い人間で、アスタからの神託を下される唯一の人間である。庶民ではその姿を見ることすら難しい。

 しかし、少年は得意げに言った。

「無理じゃないだろう。なにしろ英雄様が一緒なんだぞ」

「あ」

 すっかり忘れていた。

 英雄はここで白の君と青の君────白の君に次ぐ地位の使者であり、神聖教会を守る神聖騎士団の団長でもある────から祝福を受け、英雄の剣を探す旅に出るのだ。

 レオンハルトも、最初は祝福を受けるために聖都アスタロスタを目指していた。

「ここには俺様の知り合いもいるからな。そいつを頼れば何とかなるだろう。まあ任せておけ」

 少年は胸を張って見せた。その様子は、むしろ楽しげですらあった。

 じりじりとした焦燥を抱えていたのは、レオンハルトだけだったのかも知れない。

(本当に良いのかなあ)

 胸中の思いを吐き出せないまま、その時が来るのを待った。

 列はゆっくりと前に進み、少しずつ門に近付いていく。

 あと三人ほどでレオンハルトたちの番というところで、少年がふらりと列から離れた。門の右手に構えている使者の前に、まっすぐに向かう。

「ちょっと何なの! あたしの方が先だったでしょ!」

 少年の前にいた女が金切り声を上げた。怒りの矛先は、何故か少年ではなく一緒にいたレオンハルトに向けられる。

「す、すみませんっ。えっと、これには事情がありまして、順番抜かしとかそんなつもりはないんです」

「でもあたしのこと抜かしたじゃない! どういうことよ!」

 慌てて頭を下げても女の金切り声は止まらなかった。

 あたしはアスタ様に恥ずかしくないよう、常に正しくあろうと努力してきた。それなのに順番を抜かされるなんておかしい。あたしが女だからって馬鹿にしているのか。そんなことアスタ様がお許しになるはずがない。うちの夫や息子だって───

 女は顔を真っ赤にして、いかに自分が正しく神聖教会を信仰しているかを語り始めた。これほど清く正しく生きている自分を軽んじるなど言語道断だと言うのだ。レオンハルトはひたすら頭を下げるしかない。

 叫んでいるうちに過去のあれこれを思い出したらしく、割り込んできた少年の無礼を非難することよりも、浮気性で頼りない夫や出来の悪い不良息子の悪口や、ひねくればばあの姑への罵詈雑言の割合が増えてきた。

 ここまで来たらもはやレオンハルトには何の関係もないのではないかと思うのだが、それを口にするだけの勇気はなかった。

 頭を下げたまま、そもそもの元凶の方へちらりと視線を向ける。少年は門番の前に立ったまま、何も言わずにじっと前方を見つめていた。門番の方は、順番を無視して現れた少年を咎めもせずに、驚いたように大きく目を見開いている。

 そうこうしているうちに、怒鳴り散らしていた女の順番が来た。

「あんたたちみたいなクズには、きっとアスタ様から天罰が下されるわ。覚えておきなさい!」

 鼻息荒く言い捨てた後、女はそれはそれは綺麗な愛想笑いを浮かべて門番の元へ歩いていった。

 あれだけ口汚く怒鳴り散らしていれば、門番にも聞こえていたと思うのだが…………やはり口にする勇気はない。

 ようやく女から解放されたレオンハルトは、憐れむような視線を送ってくる周りの巡礼者たちに愛想笑いを振りまきながら、そそくさと少年の元へ向かった。

 今回はきちんとレオンハルトの番だったので、順番を抜かされたと激怒する者はいなかった。

 少年と門番は、まだ見つめあっていた。レオンハルトが少年の横に並んだ時、ようやく門番が口を開いた。

「お前…………まさか」

「お久しぶりです。テイラ三番隊隊長殿。思い出して頂けましたか」

「あ、ああ…………だが、しかし」

「驚かれるのも無理はないでしょう。魔王の呪いを受けて、私は成長することがなくなりましたから」

「そ、そうだったのか。何はともあれ、元気そうで何よりだ。それで、今日はどうかしたのか?」

「白の君様にお目通りを願いたく参上いたしました。お取次ぎをお願いします」

 何とか調子を取り戻しかけた門番だったが、白の君と聞いて再び言葉を失った。

 門番が立ち直るまで待たずに、少年はレオンハルトの腕をつかんで門番の前に突き出した。

「彼は英雄です。魔王を倒す前に、ぜひ白の君様と青の君様に祝福をして頂ければと」

「あ、あの、レオンハルトと申します。英雄に選んで頂きありがとうございました。精一杯頑張りますので…………」

「厚顔無恥であることを承知の上で申し上げます。先代英雄として、白の君様にお願いしたいことがございます」

 引きつった笑みを浮かべてしどろもどろに挨拶をしようとしたレオンハルトを遮って、少年は流れるように言葉を続けた。

 門番は目を見開いたまま石化している。額から冷や汗が滲み出ていた。

「ま、待て。待ってくれ。申し訳ないが、俺一人では判断が出来そうにない────」

 少年は一切容赦しなかった。門番の制止に耳を傾けることなく、一気に言い切る。

「彼は既に英雄の剣を抜き、後は魔王を封印するのみとなっております。魔王封印の手助けを、ぜひ皆様にお願いしたいのです」

 目を見開き、額から冷や汗をだらだらと流した門番は、ついに熱病に掛かったようにがたがたと震え始めた。

「テイラ隊長殿は武力だけではなく知力にも恵まれた方だと伺っています。十年前から何一つ変わらぬ私の姿を見れば、もうお気づきでしょう────今の魔王は、私です」

 少年はにっこりと、実に人の良さそうな笑顔を浮かべて見せた。

「白の君様へお取次ぎを。この世界を魔王の脅威から救うため、私どもには皆様のお力が必要なのです」

「わ、わかった! わかったぞ! 白の君様だな!」

 悲鳴のような声で叫んで、門番は教会の中に駆け込んで行った。

 その背中を見送って、少年が長いため息をつく。愛想笑いは、門番が背を向けた瞬間に消えていた。

「君、あんな風に喋れるんですね」

「まあな。汚い大人の処世術というやつだ。回りくどいしたまに舌を噛みそうになるが、それらしく話すと頭が良さそうに見える」

「汚いんですか…………」

「大人なんてみんなそんなもんだ」

 がくりと肩を落としたレオンハルトを慰めるように、少年は幼い英雄の背中をぽんぽんと叩いた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る