003 襲撃
「この辺りに吸血鬼の住処はないし、旅人や村人が襲われたこともないらしい」
「そうですか、上手くいかないものですねえ」
翌日。
情報収集から戻ってきた魔王は、不機嫌にそう言った。セレネはそれに肩を竦めてみせる。
夜中の騒動のせいで、魔王から留守番をするようにと命じられてしまったセレネは、今回の情報収集には同行していない。
魔王が治してくれたので、首筋の傷は綺麗に消えていた。解毒するのも早かったので、一晩寝ればもういつも通りだ。
だからセレネも同行すると言ったのだが、魔王はひたすら宿で大人しくしていろと繰り返すだけだった。
部屋の周りに結界を張って、自分が戻ってくるまで外に出るなとまで言い出した。
それでもまだセレネが口を開こうとすれば、
「…………寝台に縛り付けられたいのか、貴様は」
わざわざ荷物の中からロープを引っ張り出し、地を這うような低い声でそう言う。
たとえ魔王が実力行使したところで、素直に捕まってやるつもりはなかったが、彼の目がこれ以上ないほど真剣だったため、大人しく留守番することにした。
おかげで今日は思う存分昼寝ができた。
「これからどうしましょうか? 向こうが出てくるのを待ちます?」
「それしかないだろう。連中は俺様の血を狙っているし…………セレネ、もう動けるか?」
「さっきも言いましたけど、元気ですよ。いつも通りです」
魔王は相変わらず顔をしかめたままだったが、その中に少しだけ何かに縋るような表情が混ざった。
セレネはそれに気付かない振りをして、手をぱたぱたと振りながら軽い口調で言う。
「大丈夫です。私が頑丈なのはご存知でしょ? そんなに心配しないでください」
「そうか。なら良い。すぐにここを出るぞ」
そう言うなり、魔王は荷物をまとめ始めた。
何故彼がそんなことを言い出したのか、大体の予想はつく。
だが魔王の口から直接答えが聞きたくて、セレネはあえて尋ねてみた。
「どうしてですか?」
「他の連中を巻き込みたくない」
荷物をまとめる手は止めず、魔王はきっぱりとそう言った。
「村の中じゃ思い通りに暴れられないだろう。足手まといは要らん。ましてや人質に取られたら厄介だし…………おい、何がおかしい」
「ああ、失礼」
小さく笑みを零したセレネに、魔王は拗ねたような表情を浮かべた。
セレネは緩みそうになる頬を引き締めるのに、やや苦労しながら、
「魔王様って、良い子ですよねえ」
「なっ」
魔王が絶句した。首から上が、熟れた林檎のように真っ赤になる。
(こういうところが、可愛いんだよねえ)
何か言おうとしては失敗し、口をぱくぱくと開閉させる魔王を見て、そんなことを思う。
昨日の吸血鬼に、ひとつだけ同意できることがあった。
神聖魔法を自在に操り、怪我人や病人の心配をして、周りの人間のことを大事に考えるこの幼い少年が、世界を滅ぼす魔王だなんて、セレネも未だに信じられない。
☆☆☆
吸血鬼を誘い出すために、セレネと魔王は先ほどの村からやや離れた森の中へと向かった。
近くに人里はない。森の中央を横断する街道は、昼間は旅人や商人で賑わっているが、夜になればそれもなくなる。
それでも万が一のことを考えて、街道から外れて森の奥へと向かった。
少し開けた場所を見つけて、そこに荷物を下ろす。日が傾いて夜が近付いてきても、吸血鬼達はやって来なかった。
太陽が完全に姿を消し、月が昇る。
全てを呑み込む闇が森を包んでいた。頭上で輝く夜の女神と、目の前で揺れる焚き火の光だけが、その暗闇に抵抗している。
(さて、と)
魔王ほどではないが、受身が性にあわないのはセレネも同じだった。
腰を上げて、自分の正面でぼんやりと焚き火を見つめる魔王に声を掛ける。
「ちょっとその辺見てきますね」
「え、ああ、いや、あの、それなら俺様が」
我に返ったらしい魔王が、慌てたように腰を浮かせる。そんな彼に軽く手を振って、
「大丈夫です。もしピンチになったら目一杯引き連れて戻りますから、神聖魔法の準備をお願いします」
「セレネ」
「大丈夫」
彼の目を真っ直ぐ見据えて、セレネはそう言い切った。
魔王が口をつぐむ。
「少ししたら戻ります」
魔王が口を開く前に、セレネは闇の中へと踏み出した。
☆☆☆
ひとつ、予想していたことがある。
あの吸血鬼は、魔王ではなくセレネのところへ夢魔を送り込んできた。邪魔な君は消えないといけないと、そう言っていた。
ならば、次に現れるのも、まずは自分のところなのではないか。セレネはそう考えていた。
「彼から離れて良いのかい?」
振り返っても焚き火の光が見えなくなった頃。闇の中で、若い男の声が響いた。
冷たい手が身体にまとわりつくような感覚がする。セレネの目はもう闇にすっかり慣れていたが、吸血鬼の姿は見えなかった。
声がしたのは、背後だ。吸血鬼はセレネのすぐ後ろに立って、長い爪を伸ばして首筋を狙っている────
前を向いたまま、手だけを伸ばして吸血鬼の爪をつかんだ。
吸血鬼が反応するよりも早く、力任せにそれをへし折る。
「…………っ!?」
「ご心配どうも。うちの坊ちゃんには神聖魔法があるから、大丈夫だよ」
吸血鬼の爪を投げ捨てて、セレネは振り返った。
片手の爪を一本失った吸血鬼が、呆然と立ち尽くしている。
「僕は君の心配をしてあげたつもりだったんだけどね…………どんな魔法を使ったんだい?」
「秘密だよ。それよりも、こっちも聞きたいことがあってね────」
トトの古城に現れた吸血鬼について話す。
その間に、吸血鬼は落ち着きを取り戻したようだった。
「ふうん。血に狂った吸血鬼ね。その間抜けな雑魚は、魔女の血でも舐めたのかな」
「魔女の血?」
「知らないのかい? 魔女の血を舐めると、正気を失う代わりに凶暴化するらしいよ」
吸血鬼の背後から、小さなコウモリが現れた。
一匹、二匹と少しずつその数が増えてくる。
「僕とは何の関係もないね。まあ、その自称魔王の言いたいことも少しはわかるけど」
「言いたいことって?」
「世界を滅ぼす魔王が人間なのはおかしいってことさ。目立ちたがりな魔物の中には、自分の力を見せつけるために魔王を名乗る奴もいるらしいよ」
吸血鬼の背後から、次から次へとコウモリが現れる。
野生のコウモリではない。吸血鬼の使い魔だ。
剣を抜いて、セレネは吸血鬼に斬りかかった。吸血鬼の胴を狙った一撃は、主を護るように現れたコウモリに阻まれた。
視界が、コウモリで埋め尽くされる。もう吸血鬼の姿は見えない。
どこからか、吸血鬼の声がした。
「ただの人間にしてはやるようだけど────やっぱり邪魔だよ、君」
次の瞬間。
セレネはコウモリの大群に押し潰された。
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