005 竜の仔

 首を失い、灰となって崩れていく吸血鬼の遺体を蹴飛ばしてから、セレネは友人の元へ向かった。

 返り血を頭から被ってしまった。気休め程度にしかならないが、剣を持っていない左手で、何度か顔を拭ってみる。

 友人と青年たちの周りには、半透明の結界が張られていた。

 セレネがこちらに向かっていることに気付いた友人が、指を鳴らす。彼らの周りを覆っていた半透明の結界が、硝子が砕けるような軽い音を残して消滅した。

 結界がなくなったのを確認してから、セレネは友人の隣に移動する。

「終わったか」

「ええ。口だけの小物でした」

 短く報告をして、剣を持ち主に返した。

 友人は何とも言えないような複雑な表情で──途方に暮れているようにも見える──それを受け取った。

 彼のすぐ近くを見て、その表情の理由を何となく察した。おそらくセレネも似たような表情になってしまっただろう。

 ぐったりと気絶した子どものすぐ近く。子どもを守りながらここまで逃げて来た青年がいるはずの場所に、暗褐色の鱗を持つ小さな竜が転がっていた。

 猫か、あるいは小さな犬程度の大きさしかない竜だ。どう見ても成体には見えず、まだ幼い仔竜だろう。

 子どもと同じように気絶してしまったのか、目を閉じ、時折翼をぴくぴくと痙攣させる他は、何の動きもない。

「えーと、この子がシリル…………ですかね」

「多分な」

「ここに転がってる竜は」

「傷を治してる間に気絶して、なんか急に光ったと思ったら、こんなことに」

「…………。もしかしたらなんですけど、この古城に棲みついてる魔物って」

「あの吸血鬼じゃないだろうな。多分こいつだ」

 沈黙。

 しばらくして、二人は同時にため息をついた。

「これからどうします?」

「とりあえず、トトに戻るぞ。子どもを届ける」

 セレネが仔竜を拾い上げ、友人は子どもを背負った。

 後のことは、とりあえず子どもを村に届けてから考えようと決めた。


☆☆☆


 トトに着いた時には、もう真夜中になっていた。

 それでも、青白い顔をした宿屋の主人と、土気色の女は、彼らの帰りを待っていた。宿屋夫妻から事情を聞いたらしい村長も一緒にいる。

「シリル!」

 眠ったままの子どもを寝台の上に下ろすと、女が悲鳴のような声を上げて子どもに飛びついた。

 少年の頬を両手で包み、髪を撫で、何度も名前を呼びながら息子が呼吸をしていることを確認する。

 やがて、土気色だった女の顔に、赤みが差してきた。少年に頬ずりをしながら、幼い子どものように泣きじゃくる。

 宿屋の主人も、目に涙を浮かべて喜んでいた。彼の手を固く握りしめ、ありがとうございますと何度も礼を言う。

 宿屋夫妻の隣で、硬い表情を浮かべていた村長は、一歩こちらに踏み出してきた。

「あの古城の魔物を退治されたようですな。私からもお礼を申し上げます。これでもう生贄を出さずにすむ」

「…………いや、俺様は古城の魔物を倒してないぞ」

「え?」

 村長の顔が引きつった。息子の無事を喜んでいた宿屋の主人も、目を丸くする。

「聞こえなかったのか。俺様は古城の魔物を倒していない。魔物はまだあの古城にいるぞ」

「そ、そんな…………それじゃあ、まだ」

 魔物の脅威が去っていないことを告げられ、村長の顔が青くなる。

 しかし、彼は不敵な笑みを浮かべて続けた────



☆☆☆



 仔竜が目覚めた時、そこはよく知った古城の中ではなく、古城の近くにある森の中だった。

 食べ物を取りに行く時によく通るので、ここもよく知ってはいる。だが、気絶する前は森ではなく古城にいたはずだった。

「気がついた?」

 耳元で、女の声がした。

 声がした方に頭を向けると、鼻先がつきそうなほど近くに女の顔があった。

「うきゃあっ」

 慌てて距離を取ろうと仰け反るようにしたのがまずかったのだろう。ころころと地面を転がる。変な声が出てしまった。

 そこで、仔竜は自分が元の姿に戻っていることに気がついた。どうやらつい先程まで、女の膝の上にいたらしい。

 ここで野宿でもしているのか、すぐ近くに焚き火が起されている。炎が女の白い肌を、赤くぼんやりと照らしていた。

「こ、ここは? それに、何で」

 声が、甲高い子どものようなものに戻ってしまっている。

 急に心細くなって、仔竜は翼に力を入れた。その途端、背中に引きつれるような痛みが走って、仔竜は思わず顔をしかめた。

 女が苦笑する。

「あんまり無理しない方が良いよ。治して貰ったばっかりだから、まだ痛むだろうし」

 仔竜は女を睨みつけた。

 女は気分を害した様子もなく、穏やかな調子で続ける。

「あの子なら大丈夫だよ。今、私の連れが村まで送りに行ってる。君が守ってくれたから、怪我もなかった。吸血鬼は私が退治したから、もう何も心配しなくて良いんだ」

 あの子が無事だと聞いて、気が抜けそうになった。

 何とか険しい表情を保ったまま、できるだけ低い声で仔竜は言う。

「おれを、殺さないのか」

「どうして?」

 質問に質問が返ってきた。首を傾げた女は、本当に不思議そうな顔をしている。

 挫けそうになりながら、仔竜は声を絞り出した。

「言ってたじゃないか。古城の魔物を倒すって。あの城に住んでるのは、吸血鬼なんかじゃなくておれなんだ。お前、おれを殺しに来たんだろう!」

「それなら心配ないぞ」

 仔竜の叫びに答えたのは、女ではなく少年だった。

 黒い長衣を着た少年が、薮をがさがさと踏み分けながらこちらに向かって歩いて来ている。彼が女の「連れ」なのだろう。

 お帰りなさいという女に横柄に頷くだけで応えて、少年は真っ直ぐに仔竜を見据えた。

「この俺様がしっかり話をつけておいたからな。…………一応念のため万が一のことを考えて聞いておくが、お前、生贄に捧げられてきた子どもを食らったりしてないよな?」

「ないないないない、絶対ない」

 仔竜は首をぶんぶん横に振って否定した。

 子どもは大好きだ。大好きだが、仔竜が好きなのは子ども達と一緒に遊ぶことで、食べたいと思ったことなど一度もない。

 村に帰りたいと言った子どもを、トトまで送り届けたことならある。もう村には帰れないと言った子どもは、他の村や街の孤児院まで連れて行った。

「そうか。なら良い。もう大丈夫だ」

 優しい声音でそう言われて、仔竜は思わず泣きそうになった。何とか我慢する。

「ところで」

 少年の声が、不意に調子を変えた。何かを面白がるように、

「助けた礼…………というのも何だが、ひとつ頼まれてくれないか?」





 ────不敵に笑った少年は、青ざめた村長にこう告げた。

「あの古城には、寂しがり屋で甘えん坊で子ども好きの幼い仔竜がいる。たまに遊びに行ってやれば、そのうちこの村の守り神になってくれるかも知れないぞ」

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