004 英雄の剣

「お、おい、大丈夫か!?」

 魔物のことはセレネに任せた。剣の腕なら彼よりも彼女の方がはるかに上だ。

 それでも万が一のことを考えて、自分と青年と子どもを覆うように結界を張る。

 床に転がった青年は、何とか起き上がろうともがいていた。その肩を抑えて囁く。

「動くな。大丈夫だ。すぐに治してやる」

「きゅ…………け、きが…………」

「ああ。わかっている。今俺様の連れが相手をしている。すぐに片付くだろう」

 早口に呪文を唱え、青年の背中に右手を押し当てた。少しずつ、傷が塞がっていく。

 一番深いのは背中の裂傷だろう。それ以外にも小さな傷があちこちにあるが、それらはしばらく放っておいても大丈夫だろうと判断した。

 それよりも解毒する方が先だ。吸血鬼の爪や牙には毒がある。

 傷を癒す回復魔法の中に、解毒のための魔法を混ぜる。背中の傷が塞がった頃には、体内に入り込んだ毒も綺麗に消えているはずだ。

「…………こども…………は…………?」

 青年がしっかりと抱え込んでいる子どもの方を見る。

 まだ十になったかどうかぐらいの、幼い少年だった。特に目立った外傷はないが、ぐったりと目を閉じたまま動かない。

(この子がシリルなのか?)

 空いている左手を子どもの胸元に押し当てた。ゆっくりと上下している。心臓の鼓動も感じ取れた。

 子どもの方はただ気絶しているだけだ。ほっと息をついて、青年の治療に専念する。

「気絶しているだけだ。よく守り抜いたな」

 そう囁いてやると、それまで強ばっていた青年の肩から力が抜けた。

 子どもを庇いながら、必死にここまで逃げて来たのだろう。茶髪に緑色の瞳の、二十代半ばあたりの青年だった。

 自分たちの他に生贄になったシリルを助けに行った者がいるという話をトトでは聞かなかったが、腕に自信のある若者が黙ってここに来たという可能性は充分考えられる。

 荒い呼吸の中で声を絞り出す青年を安心させるために、空いている左手でその肩をぽんぽんと叩きながら、彼は告げた。

「大丈夫だ。この古城の魔物は、必ず倒す」

 青年の喉から、引きつった呻き声が漏れた。


☆☆☆


「我ニ勝負ヲ挑ムトハ、愚カ、愚カ、愚カナリィィィッ!」

「やかましい」

 振り下ろされた長い爪を、剣で打ち払う。

 受け止めるつもりは最初からなかった。単純な力勝負では魔物に勝てるわけがない。

 がら空きになった吸血鬼の腹に向かって剣を突き出す。だが、不自然に折れ曲がった左の爪に阻まれた。

 舌打ちをひとつ残して、大きく後ろに跳ぶ。鼻先を掠めるようにして、右の爪が襲いかかってきた。

 硬い石の床に突き刺さった爪を引き抜き、吸血鬼が哄笑する。

「我ヲ倒ス事ハ叶ワズ! 魔王様ヨリ授ケラレシチカラ、我、無敵ナリ!」

「魔王に授けられた…………?」

 それは絶対にありえないはずだった。魔王が魔物に力を授けるなど、絶対に。

 だが同時に納得もしていた。本来誇り高く気品があるはずの吸血鬼がここまで狂ってしまったのは、魔王と名乗る何者かに力を授けられたからなのだろう。

 吸血鬼は、普通の剣では倒せない。その肌はどんな剣でも跳ね返すほどの強度がある。

 何より効果的だと言われているのは、神聖教会の使者達がよく使用する神聖魔法だが、セレネはそれを習得していない。

 吸血鬼の言葉は、魔王に力を授けられたということ以外は、全て事実だった────今、セレネが手にしている剣が、普通の剣であれば。

「我ヲ倒ス、英雄ノ剣ノミ!」

「よくわかってるじゃないか」

 哄笑を続ける吸血鬼に向かって、身を低くしながら一息に突っ込む。

 先ほどと同じように頭上から降ってくる爪を払い落とし、今度は腹ではなく肩を狙った。

 真っ直ぐに振り下ろされた剣は、どんな斬撃をも跳ね返すはずの吸血鬼の右腕を、あっさりと切断した。

「ヒィッ…………ウギャアアアアアアッ!」

 残った左手で右肩を抑え、吸血鬼は膝から崩れ落ちた。

 それを冷ややかに見下ろして、セレネは剣に絡み付いた青い血を振るい落とす。

 柄にいくつもの宝石が埋め込まれ、実戦用というよりは美術品としての価値の方が高そうな、細身の剣。

 今セレネが手にしているこの剣こそ、魔王さえも倒せる「英雄の剣」だった。

「ヒ、ヒヒ、ナ、何故、何故、何故何故何故! マサカ、貴様」

 自分の勝利を確信していたのだろう。大抵の武器や魔法が脅威にならない吸血鬼にとって、自分を簡単に傷つけることができる人間がいるというのは、耐え難いことなのかも知れない。

 肩を抑えたままうずくまる吸血鬼の瞳には、恐怖の色が浮かんでいた。

「ご期待に沿えなくて申し訳ないが、私は英雄じゃないんだ。この剣の持ち主はあっち」

 片手で、青年を治療中の友人の方を指す。

 それから、セレネは剣を振り上げた。

「それじゃあ、さようなら」

「ワ、我、我ヲ倒ス、呪イヲ、呪イ、呪ッテ…………!」

 セレネが何の変哲もない普通の人間であったなら、魔物の呪いを恐れて躊躇したかも知れないが。

「悪いね。今更呪いがひとつ増えたところで、別にどうってことないんだ」

 吸血鬼の目が、大きく見開かれる。

 その口が呪いの言葉を吐き出す前に、セレネは吸血鬼の首を斬り落とした。

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