Dawning ①




 ――熱狂。

 うず高く視界を塞ぐ円形の垣根は、天まで延びる観客席。

 そこに坐すは幾万もの観衆。

 客席の熱気は、今や最高潮に達している。

 燃えている。そこに在る誰も彼もが欲望という名の夢を燃やして、その炎に焦がれて熱狂している。

 しかし、その中心――熱に狂う客の視線の先。欲望に燃え盛る客席に阻まれ、退路を塞がれた円形の殺戮空間――の空気は、反対に、恐ろしく冷え切っていた。


「――――――っ!」


 肌に纏わりつく湿った空気。出口は無く、逃げ場は無い。唯一の希望は、闘争とその勝利の先にある、さらなる闘争への逃避。弱肉強食という単純極まる流儀。それのみ。

 男は――かの忌まわしき同族殺しの戦鬼は、赤錆びた異形の拳を闘技場の砂地について、荒い息を吐いた。

 今の彼の世界に在るのは、苦痛と、目の前に立つ存在――無限永久の闘争を糧に生きる、埒外の闘士の、その姿のみ。


「噂に聞く『戦鬼殺し』がどんなものかと思えば、どうやらその名は飾りだったようですねえ」


 ここは地下都市、その闇深い地下37階層。

 戦場を失った兵器たちが、己の意味を証明する為にたどり着く最後の場所。

 戦争狂の最終廃棄場、鬼の夜明け、焦熱の大闘技場、Melt/dawn。

 彼は――赤錆びた鋼の躯体に、右腕を炎と燃やす戦鬼――オウガスレイヤーは立ち上がり、敵を睨んだ。「911」の隊象を首筋に光らせる、忌まわしき戦鬼を見た。


「殺す」


 ――今ここに、死闘開幕




***




 ――――その宣言は、彼らより遥か頭上の特等席で死闘を観る彼女にまで届いていた。それが彼女の言葉そのものであるゆえに、ミナは彼の言葉を聞き逃さない。


「奴の炎が、俺に届くと思うか?」


 ミナの隣の男は獣じみた笑みを浮かべ、闘技場を見下ろすその目には未だ消えぬ戦場の火が燃える。

 911中隊。かつての大戦において活躍した、全てを魔導生体兵器たるオウガによって編成された部隊。

 彼らは皆そうだ。戦争を奪われた兵器である彼らは、浅ましく貪欲に、更に過酷な地獄のような闘争を望む狂人の集団だった。


「届くさ。お前たちは一人残さず燃え尽きて、それで終わりだ」

「届かなければ?」


 ミナは闘技場から目を逸らさない。そこで踊る炎から、彼女の命令でそこに在る、炎から。


「あれは私の炎だ。あれが死ねば、私も終わる。それだけだ」

「随分と分の悪い賭けだな。自分の命がかかってる自覚が無いのか?」

「それは追々知ることになるだろうさ。それに、まんざら分の悪い賭けでもない」

「何故そう言える?」


 地を揺るがす歓声。

 立ち上がった戦鬼殺しが、憎悪を燃やす右腕で、相対する戦鬼を殴り飛ばしていた。

 ミナはそれを見下ろし、迷い無く言い放つ。


「あいつは、私の命令を破らない」




***





 『明滅する希望の灯』という名の戦鬼から得た情報を元に、彼らはここへ来た。

 飛び交う血肉に狂う闘技場に逃げ場は無く、彼らを囲う堅固な鉄柵は、哀れな闘争者を捕らえて離さぬ鳥籠めいて。

 ここにあるのはただ闘争による死と、勝利の果てに訪れるより凄惨な闘争への切符。それだけ。

 ここは闇深き地下37階層。無用者の最終廃棄場――地下闘技場、『Melt/dawn』

 死闘は、未だ序章に過ぎない。


「無駄な真似はよしたほうがいい。私は『幽世の滑落者カーカス・サーカス』。貴方を冥府へ誘う、騒ぎ踊る死の影」


 道化じみたペイントで鋼の躯体を彩る奇妙な戦鬼は、嘲るように名乗りを上げた。


「911」


 絞り出すように、『戦鬼殺し』は言う。


「貴様は、911では、無いな」

「その通り、ご明察ですよ。あのような狂人共と一緒くたにされてはたまったものではありません」


 ユラユラと笑いながら、カーカス・サーカスの輪郭がブレていく。二人、三人と、陽炎のように朧げに、無数の道化師の姿が浮かび上がる。


「ただまあ狂人とは言え……彼らの気持ちも解らないではないのですよ。戦うのは最高だ。殺すのは心が踊る。闘争と死の中でしか、もはや我らは生きられない……貴方もそうでしょう? 『戦鬼殺し』」


 戦鬼とは、かつての大戦で生み出された兵器である。

 肉体を鋼に置き換えられ、神経には魔術回路を組み込まれ、名は失われ、心は植え付けられた闘争心に食い潰される。

 ゆえに、この場所はこの地下都市には必要なのだ。世界からなに一つとして必要とされない戦鬼共を、唯一必要たらしめる闘争の場。平穏という永遠に明けぬ夜に囚われた無用者どもの楽園。

 ――ゆえに、ここは『焦熱の夜明けMelt/Dawn


「ふふふ……さて、では貴方を殺して、私も私の有用性を世界に証明すると致しましょうか」


 一体のカーカス・サーカスが、ナイフを構えた手を無造作に持ち上げると、同時に全ての彼らが、その陽炎めいた輪郭を揺らがせて、同じ動きを取った。

 道化師というよりは、奇術師じみた動き。刃を振り下ろす目には底無しの虚無と、昏い炎。焦点を結ぶのはここではなく、遥か遠い、あの懐かしき戦場の光景か。


幽世かくりよへの旅路、どうぞお楽しみを滑落者様ルーザー


 投げ放たれるナイフもまた、陽炎めいて曖昧な輪郭を揺らがせる。いずれかが本物――――いいや、否。


「…………ッ!」


 燃える右腕が払った全周囲からのナイフは、全てが幻影。

 ならば、本物は――


「上ですよ」


 声に反応して、オウガスレイヤーが咄嗟に頭上を炎で薙ぐ。

 焼き払われたのはしかし、またも幻影に過ぎぬ。右腕を振り抜いたところで、オウガスレイヤーは脇腹に鋭い痛みを知覚した。


「失敬失敬、そういえば下でしたな」


 ナイフ、そして頭上の幻影。二重の囮を仕掛けた上で、蛇のように低く地を這っての完璧な奇襲。

 反撃が自身の居た空間を抉るよりもコンマ数秒早く、カーカス・サーカスは接近したのと同様の速度で怖るべき戦鬼殺しの炎の威力圏内から逃れる。

 一瞬の後、観客席から湧き上がった歓声が爆発的な音圧を伴って、死闘を演じる戦鬼達の鋼の躯体を震わせた。


「くく……くふふ……くっくくく……!」


 ビクビクと痙攣するように肩を震わせて、戦鬼は――カーカス・サーカスは笑った。その顔は、どんな化粧よりもなお迫真に歓喜に崩れ落ちる道化の顔を象っていた。


「これですよ……これが! これが欲しかったんだ! 貴方もそうでしょう!? 『戦鬼殺しオウガスレイヤー』! 破壊への肯定が! 英雄への賞賛が! 私を煽り、ここに立たせる! 賞賛が私に意味を与え、意味は価値となり、私という戦鬼を世界に存在せしめるんだ!」


 狂気めいて狂喜する意思持つ凶器、戦火を奪われた兵器たる彼の言葉も。

 天も地もなく、全てを震わせる人々の欲望という名の声援も。

 右脇腹に未だ突きたったままの刃が齎す痛みも。

 全て、全てが遠ざかっていく。

 全ては殺意に収束し、あらゆる感情は業火に焚べられ焦失し、彼女の命令だけが焼け残って、彼をここに存在せしめる。

 そうして彼は戦鬼になる。ロシンという名を与えられた人間から、ただ戦鬼を殺す機能を与えられた戦鬼に、『戦鬼殺しオウガスレイヤー』に。


「俺のは、『戦鬼殺しオウガスレイヤー』」


 地獄から響く声。

 一瞬、カーカス・サーカスが色を失った。


「頸を差し出せ、戦鬼」


 瞬間、爆発。

 『戦鬼殺し』の右腕から燃える業火が、その燃焼を推進力に変えて、猛然と敵手へ接近する。

 カーカス・サーカスは、再び陽炎めいて分身を生じさせる。


「愚かな! 何度やっても同じこと!」


 燃える右腕が貫いたのは幻影。

 更に、揺らぐ陽炎が無数彼を取り囲み、一斉にナイフを投げ放つ。

 オウガスレイヤーは、回避しない。1度目の攻防では全てが幻影だった攻撃は、今度は全てが実体。


「対戦鬼用高周波振動ナイフの味はいかがですか、『戦鬼殺し』! このままなます切りにして差し上げますよ!」


 第2投、再び全てが実体。鋼の躯体に、深々と戦鬼を殺すための刃が突き立つ。


「急所は避けるか、小癪!」


 第3投。やはりその全てを体で受け、急所への直撃は避けるオウガスレイヤー。着弾と同時、全ての幻影がオウガスレイヤーに肉薄する。


「これで止めだ戦鬼殺し! 私の存在を証明する礎となれ!」


 カーカス・サーカスに油断は無い。全てを実体と錯覚させる奇術による幻惑には一分の隙もなく、必殺の段取りを完成させていた。


「――――見つけた」


 


「殺す」


 相手が殺意以外の全てを放棄した兵器であるという、ただ一点。

 度重なる投擲を体で受けたオウガスレイヤーは、着弾するタイミングの僅かな誤差から、本体の居場所を掴んだ。

 背後から迫る本物を、戦鬼殺しが振り返る。殺意以外に何も宿さない虚無の瞳が、カーカス・サーカスを見た。


「――――――――ッ」


 断末魔の悲鳴をあげる事もかなわない。

 ただ、燃える指先が触れるだけ。ただそれだけで、彼の全ては燃え落ちた。音も立てず、粉々になって焦失した。

 破滅する彼の耳が最後に音として認識したのは、己ではない勝者を讃える爆発するような歓声だけだった。





***





「カーカス・サーカスは決して弱い戦鬼では無かった」


 首元の「911」の隊象を剣吞にギラつかせ、この闘技場の主である戦鬼は言った。


「奴と出会ったのはまさに地下の掃き溜め。殺し合いの末に、俺は奴の命を奪う代わりに、ここでの闘争を与えた。今も思い出すと傷が疼く。あれは良い戦だった」


 無数に存在する顔の傷の内、目尻の辺りの一筋を指先でなぞり、戦鬼は嗤う。


「傷自慢とは、随分と小物じみた真似をする」

「俺は自分の傷を数えるのが好きでね。一つ一つが俺の勝利の記憶で、俺の強さの証明なんだよ」

「雑魚の酔狂に興味は無い」

「肝が据わってるだけじゃなく、どうやら口先も切れるらしいな」


 戦鬼がそう言うのと同時、ひやりとした感触がミナの首筋を這った。彼女は闘技台に視線を落としたまま、そちらには視線をやらず言葉だけで応えた。


「飼い犬の躾がなっていないな」

「よせ、カンナ。客人に噛み付くな」

「…………」


 冴え冴えと冷えた殺意を刃から投げかける彼女は、しばしミナを睨んだ後、ゆっくりと刃を下ろした。


「口には気をつけろよ、小娘。お前が今言葉を交わしているのは、この世で最も危険な獣の一人だ」

「ふん」


 そう言った彼女もまた、外見上はミナとそう変わり無い少女に見える。

 戦鬼を相手に外見から得られる情報を信じきって行動するのは愚かではあったが、ミナはあえて彼女を侮るように振る舞った。


「野犬風情が大層な口を利くものだ」

「あまりカンナを怒らせないでくれ。この娘は後が恐い」

「笑うな。侮られているのはお前なんだぞ、リア」

「構わないさ。今夜の余興にはこの位が丁度いい」


 ミナを挟んで視線を交わす二人には目をやらずに、ミナは闘技場を食い入るように見つめ続けている。そこに立つ者を。そこで踊る、炎を。


「さあ、そう言う間に次だ」


 獣じみた笑みを浮かべて、戦鬼は再び闘技場に視線を落とした。


「来い、『戦鬼殺し』。俺の飢えを満たしに、俺の礎となりに……」




***




 歓声に追い立てられるように、新たな戦鬼が闘技場に姿を見せた。

 縦型じみた乱れ髪を腰まで伸ばし、両手足に鎖を繋いだ、囚人めいた男。


「ここに来てから、お前で丁度20人目になる」


 ジャラジャラと鎖を鳴らして、解き放たれた戦鬼は嗤う。


「ずっと待っていたんだ。ここは夢のようだ……ここには、全てがある」


 ここには闘争と、その果てに待つ敗北による死という末路。そして、勝利の先にある更に凄惨な闘争だけがある。

 円形の殺戮空間の中心に立ち、彼は立ち塞がる戦鬼を睨んだ。


「俺は」


 押し殺した声を、爆ぜるような歓声が煽る。

 赤錆びた躯体を、捻れて天を衝く角を、燃え盛る炎の右腕を。

 意味を失った戦鬼の全てを、燃え盛るような熱狂が慰める。


「『戦鬼殺しオウガスレイヤー』だ」


 そして、死闘は続く。

 

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