Love call from the world





 自分が隻腕である理由を、彼――オウガスレイヤー――ロシン、と呼ばれる男は知らなかった。

 オウガとして魔導の刻印を捺された者は、その時点から死者である。諱を与えられ、鋼の躯体を植え付けられ、人間性は失われ――記憶は磨耗する。

 ゆえに、彼の記憶の始まりは、この焦失都市のその一角。……彼女と出会った時から始まる。


「意味が、欲しいのか」


 煤まみれの少女。火の手を上げる瓦礫の山は、数時間前まで彼女の家だった場所だ。


「街を追われて戦鬼となり、戦場を追われてもう人には戻れない――それが、今のお前だ」


 炎のような目だと、明瞭とはしない意識の中に思った。昏い光を灯した目――復讐に憑かれた、鬼の目だった。


「生きているのが怖いか、無用者になるのが怖いか、この世界の、誰からも必要とされないのが怖いか!」


 怖い。と、震える声で答えたのを覚えていた。記憶も無く、無用者として放逐されるのが、彼には何よりも怖しかった。


「なら、なら――」


 うずくまる彼の前に、少女が膝をついた。その目は涙を湛えていて、炎のように燃えていた。

 険しさと、同時に人としての優しさを損なっては居ない目。――太陽のようだと、彼は思った。この地下都市には永遠に失われた、あの眩く暖かい光を、その目に感じた。


「私はきっと復讐する。あいつらを倒す――お前の炎を、私に寄越せ!」


 手を伸ばす。

 煤まみれの彼女の手を取った。暖かさが、掌に満ちた。


「名を、つけてほしい」


 震える声で、彼は彼女に告げた。彼は、名をも失った自分が彼女へ全てを捧げるための、呪いめいた呪縛を欲した。


「……お前の名は、ロシンだ。お前は私の……ヴィルヘルミナ・ハーカーの、燃え尽きない炎の腕――戦鬼を焚べて輝く炉だ」


 これが、彼と少女――ロシンとミナの、最初の始まりだった。炎の中に失墜を続ける無用者に、復讐という意味を与える。

 『戦鬼殺し』は、この瞬間に生まれ落ちた。


「これは復讐だ。私の『戦鬼殺し』」





***



 地下都市の雑踏。猥雑な闇市のメインストリート。

 新聞から出典不明の魔道書、食物、用途不明の鉄屑から、果ては細かく腑分けされた人体の各部位に至るまで。

 質を問わねばなんでも揃うブラック・マーケットの品々は、今や無惨にも路上にぶちまけられている。

 この街は今、戦場と化していた。


「……無事か? ミナ」


 無数に着弾した火砲の炎が、地面に黒々と爪痕を刻む。

 姿の見えない距離からの、超火力による殲滅砲撃。

 巻き上がる炎から少女を庇って、ロシンは彼女を左腕で胸に抱いた。


「無事だ」

「周りは見るな。目を閉じてろ」

「…………っ」


 この爆撃が、周囲にどんな影響を及ぼしたのか。

 路地に散乱するバラバラになった手足が闇市の商品のみではない事だけは確かだった。


「パラベラムから情報を仕入れたのがこんなに早く漏れるとはな……」

「こちらの腹も、幾らかは向こうに割れていると見て間違いない。最悪、位置情報を掴まれてるかも」

「もしそうなら?」

「このまま的にされて終わりだ」


 直後、風を切る轟音を率いて、砲弾が飛来する。

 攻性術式を刻印された爆裂する鉄球弾は、一部の物理法則をも無視して、最短最速で標的へ到達する魔弾。恐るべき戦鬼の異能。


「――――――<顕身>」


 呟いた瞬間、軋むような金属音と共に、ロシンという名の男の、人間の容が崩壊する。

 禍々しく赤錆びた鋼鉄の躯体が、捻れて天を衝く二本の角が――業火を揺らがせる右腕が、呪い深きその名を顕現する。

 『戦鬼殺し』。故に、彼の右腕は恐るべき戦鬼の異能をその右腕で捉え、業火に呑んだ。


「殺す」


 声。ただ湧き上がる殺意を吐き出すだけの、隙間風のような音。

 思考が簡略化されていく。彼の人間性が、炎に侵されて塗り替えられていく。

 殺意に。ただ純粋な、己の存在価値を満たすための渇望に。


「ああそうとも。その通りにしてやろう。私の『戦鬼殺し』」


 殺意が、疾走を開始した。




***





 戦鬼として鋼の躯体を露わにしたその瞬間、禍々しく炎上する右腕の炎の熱に、ロシンの理性は蒸散した。

 その人間性は、彼の優しさは――闘争を希求する戦鬼の性の下に燃え尽き、焦げて、失われた。

 簡略化され、最短距離での死だけを追求する戦鬼殺しの戦鬼は、地下都市の影を駆ける。


「大通りは避けろ」


 そう告げる少女の命を、彼は決して破らない。

 それが二人の間に交わされた契約であり、ロシンに与えられた意味だった。疾走する彼は、復讐を誓うミナの腕であり、炎である。


 大通りは避けろ、と彼女は言った。

 見通しの良い場所では的にされるから。遮蔽物の多い場所なら攻撃をやり過ごせるから。

 理由はいくらでも思い当たるが、本質的な理由がそこには無いことを、薄れる理性の中で、ロシンは理解していた。



「――――っ!」


 轟音。追って、炎。

 街を灼き、煙を上げて、全てを無価値な残骸に貶めるその行為を以って譽れとする戦鬼の所業。

 噎せ返るほどに忌まわしい、あの懐かしの炎が蘇るのを、ロシンは、『戦鬼殺し』は感じていた。


「……なんだ?」


 違和感を感じたのは、おそらくはミナも同様だった。

 そして、ロシンの感じたそれは彼女のよりも確信に近かった。

 この攻撃は、既に自分たちを狙ってはいない。


「――――ロシン!」


 断続的に続く砲撃。戦場に変わった街を、瓦礫に変えられていく街を、少女を胸に抱いたまま、戦鬼殺しは駆ける。駆ける。

 広い道へ、この砲撃の、爆心地へ。



「――――――――っ!」


 そこに有った光景に、少女は声を失った。

 爆裂する街、瓦解する日常、平穏。

 黒い煙と粉塵の彼方に嗤う炎。

 撒き散らされ、ゴミのように散乱する、死。死。

 見渡す限り動くものの無い、完全にして静なる死――

 それは、彼女の全てを奪った炎と全く同種のものだった。


「……さ……ない」


 少女の声は掠れている。

 この砲撃が自分たちを狙ったものなら、この破壊をなしたのは自分自身と相違無い。

 しがみつく腕が震える。


「許さない……!」


 復讐を誓う声に、戦鬼殺しの右腕が答える。禍々しく燃える、殺意の炎が。


「決して逃すな。絶対に殺すぞ、私の『戦鬼殺し』!」


 燃える炎と疾走が、少女の求めに応じた。






***





 深く息を吐いて、戦鬼は屋上から望む地下都市の低い天井を見上げた。

 見上げた――とは言えど、はたから見るには、彼の躯体のどこが首でどこが頭かは容易に判別はつかない。

 大小無数の砲身を無秩序に継ぎ接ぎしたようなその姿は、巨大な鉄塊か、さもなくば過剰な専守防衛を極めた歪な城塞だった。


「さて、いつ出てくる? このまま街を更地にしてからゆっくり仕留めるのも悪く無いが」


 言いながらしかし、彼の目は、そこに仕込まれた追跡システムは、彼らの位置情報を正確にトレースしていた。


「スリープウォーク。狂人だが、抜け目の無い奴だったな、お前は」


 スリープウォーク。戦鬼殺しと相対したその戦鬼が今際の際に残した爆弾は、爆発と同時に周囲にナノマシンを散布。ナノマシンは体内に侵入し、寄生先の生体情報を発信する。

 戦場を微睡む戦鬼は、死の間際に次なる戦場を友に託したのだ。


「ならば……ははは、これは弔い合戦だ」


 乾いた笑いを零して、戦鬼は無数の砲身を街へ向けた。戦鬼殺しの位置情報を取得。追跡して――


「なんだ?」


 二次元上に表示された戦鬼殺しの位置は、凄まじい速度でこちらに接近している。距離は1キロ……500……300……

 機器の故障か、否。


「はは、馬鹿な」


 彼の目は、既に装置を介さず、肉眼で『戦鬼殺し』の存在を捉えていた。

 燃える右腕を――憎悪を推進力に変えて闇深い街の空を駆ける、赫赫と輝く流星を。


「俺のは」


 迎撃に放たれた無数の弾雨を炎の操作によって悉く回避し、同族殺しの戦鬼は、着地と同時に地獄から響くような声で名乗った。


「『戦鬼殺しオウガスレイヤー』だ」





***





 ロシンの名乗りに、鉄塊じみた戦鬼はギィ、と躯体を軋らせた。

 嗤っているのだと、ミナは理解した。


「貴様は――」

「おっと、そこまでだ」


 怒りに、復讐に。

 昏く燃えるような言葉を吐き出そうとしたミナを、戦鬼が遮った。ギィ、と鋼の躯体が軋む。


「無駄話は止めにしよう――俺は『明滅する希望の灯ハイド・アンド・シーク』、心の準備は済ませたか? 全てを戦火に塗りつぶしてやる」

「ふざけるな」


少女は――ミナは――憎悪に燃える復讐鬼は、吐き捨てるように言った。


「貴様の戦争など知ったことか。お前は死ね、ただただ死ね」

「そうもいかん。ただ死ぬには、我らはあまりに殺しすぎた。お前もそうだろう」


 戦鬼、ハイド・アンド・シークは、少女にではなく、彼女を抱える男へ向けて言った。

 戦鬼殺しの戦鬼へ。更なる闘争を率いて現れた殺意へ。あの懐かしい戦場の匂いを放つ、無用物の戦奴へ。


「さあ無駄話は終わりだ。あとはもう、することは一つ」


 戦鬼の言葉に応えるように、オウガスレイヤーが疾駆する。

 ハイド・アンド・シークは、静かに照星そのものである自らの視界の中心に、その姿を捉える。

 後方からの火力支援が、彼の主な機能であり、オウガスレイヤーのような単体での高機動戦闘が可能な個体にこの距離まで詰められることは、あの長い戦争の中でさえ一度もなかった。それを許さぬ彼の執拗さが、彼をここまで生きながらえさせたのだ。

 しかし、それもここで終わる。

 少女の復讐が彼を捉えた。欠落を埋める異形の炎が、彼を捉えた。

 避けえぬ死が起ころうとしている。ハイド・アンド・シークは笑った。


「これは私の復讐だ」


 閃光。

 戦鬼の炎が、少女の怒りが、混ざり合って燃えるオウガスレイヤーという現象が。

 襲いくる。犯した罪に、奪った命に、清算を求める。


「―――ッ!」


 ハイド・アンド・シークは戦慄した。鋼の躯体がこわばるのを感じた。血液が凍るのを実感した。

 これこそ、彼が望み焦がれた戦場の火。取り上げられた意味を問うべき場所。

 ギィ、と鋼が軋んだ。それは、戦鬼の、歓喜の笑みだった。


「殺せ、ロシン。こいつは生かしてはならん」


 ――命令。

 オウガスレイヤーの意識には、何もない。戦争への歓喜も、怒りも、憎しみも、記憶も、過去も、人間性と呼ぶべきものは、何もない。

 少女の命令だけが、殺意を執行する道具たる彼に残されたすべてだった。

 右腕の炎が燃える。


「殺す」


 轟音。放たれた砲弾の数は、ただ一度の砲声に対して都合17。

 着弾の地点を不毛の焦土にしせしめるその砲火は、隠れるものをも全て余さずかぎ分け、見つけ出して灯火を絶ち、着弾と同時に第二射の準備を、更なる死と破壊の準備を終える。

 


それまでの一瞬。ただわずかに刹那。勝負は決する。




「ミナ、つかまれ」


 押し殺した声が少女に告げる。混濁し、死を希求する意識を繋ぎとめるのは、少女の存在のみ。

 彼女を護る。

 それが、彼の全て。


 頭上から降り注ぐ砲弾を見上げる。左腕が強く少女を抱き、右腕の炎が、彼女の怒りが、振り下ろされる復讐の拳が燃える。


「行け、私の戦鬼殺し」


 燃える右腕が、17発の砲弾を掴み取り、握り、爆砕する。

 赫赫と輝く右腕は砲火を食ってさらに炎上。彼女の復讐が、正しく世界に顕現する。

 次弾は間に合わぬ。ハイド・アンド・シークは彼らを見た。己を睨む少女の目を見た。焼き焦がしてすべてを奪い去る、あの炎を見た。

 ギィ、と、最期に鋼が軋んだ。


「復讐を、遂げろ」


 炎が、すべてを呑み込んだ



***



「俺の、敗北か……ははは」


 溶解し、もはや軋むこともない鉄塊が、乾いた笑いを零す。

 その顔が笑っているのかどうかすら、判然とはしない。


「そう、お前の負け。お前の復讐はこれにて終了だ」


 少女の昏い声。歓喜も怒りも無い、ただどこまでも昏く沈んだ声。


「最期だ、お前の知っていることを話せ、911の情報を」

「何のために」

「貴様らを全て殺すために。私の復讐を果たすために」

「ははは!」


 溶けた鉄塊は、弾けるように笑った。


「なんたる狂人のたわごと! こんなものが俺の死とは! まったくなんと素晴らしい!」

「言え! 貴様の知っていることを話せ!」

「知りたいことは力で得る。それがこの町の掟だ」


 くすぶる炎の中心で、かつてハイド・アンド・シークであった鉄塊は笑う。


「それがこの町の真実。地下37階層。Melt/dawn。俺が話すのはそれだけ」


 溶けた鉄が崩れる。歪な城塞は、崩れ落ちながら、低い空を見上げた。


「戦闘狂の最終廃棄場。闇の闘技場。鬼の夜明け……ははは、無駄話はこれにて終わりだ。心の準備をしろ。楽しい……戦争の……時間……だ」


 その言葉を最後に、彼は溶けた鉄クズに成り果てた。

 彼女が望み、彼がそうした。


「行こう」


 屋上からは、街が望める。戦場になってしまった街が。彼女を殺すべく放たれた炎に焼かれた街が。


「行こう、私の戦鬼殺し」


 残骸の街を、戦鬼殺しは駆け出した。

 彼は彼女の命令を破らない。

 それが、残骸になってしまった彼らに残された、最期の意味だった。

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