彼女の命令

 デッドエンド。無数のパイプを巡らす地下都市の壁の、その迷路めいて行き詰まった袋小路で、今宵の鬼ごっこは決着しようとしていた。


「名は?」


 地獄から響くような声で、彼は問うた。悪鬼を追う悪鬼、戦鬼を殺す戦鬼――オウガスレイヤー。


「こんな、馬鹿な……」


 隻腕を悪魔じみた業炎に燃やして、オウガスレイヤーは眼前の敵を睨み下ろした。殺意以外の全てを削ぎ落とした瞳には、血のように赤い情念が燃える。

 追い詰められた鬼と、追い詰めた鬼。

 在るのは、死のみ。


「名は」


 念押すように、オウガスレイヤーが問いを重ねた。追い詰められた鬼は目の前にまで迫った理不尽なる死への恐怖に震え……やがて名乗りを上げた。


「俺は……俺の名は『廃滅の夜コーカサス』――常に傍に立つ、千変万化の死の先触れだ」


 名乗りを上げた彼の首には「911」の隊象。

 この世で最も薄汚れた戦争狂いの亡霊、悪名高き911中隊の一人である彼は――戦鬼コーカサスは、名乗りと共に恐怖を棄てた。在るのはただ、戦火を広めて災禍を振りまく、オウガとしての存在を証明せんという意気のみ。


「『戦鬼殺しオウガスレイヤー』。頸を差し出せ」


 オウガスレイヤーは絞り出すように、言葉少なに名乗った。

 赤錆びた鋼の躯体。捻れた角。荒く削った刃のような牙の奥からは熱を吹き入れられた炉のように赤い光が漏れる。


「貴様は……貴様はッ!」

「殺す」


 乾いた熱風が吹き抜けるような声で、オウガスレイヤーは告げた。それ以外の言葉を持たぬように、それ以上に伝える意思を持たぬように。


「…………ッ、何故だ! 何故お前は俺たちを狙う!?」

「お前が、戦鬼オウガだからだ」


 殺意を果たすことに殺意以上の理由を持たない。コーカサスは対話の無駄を悟った。死が、形を持って目の前に在るのを感じた。


「ふざけるなァ!」


 怒りの言葉は、悲鳴のような響きを伴って閉鎖された地下空間に残響した。

 コーカサスは単純戦闘を得手とするタイプでは無い。その千変万化の変装機能を用いた暗殺こそが、戦鬼としてのの真価だった。

 正面切って敵へ挑みかかる彼の判断は、明確な誤りだった。

 棄てたはずの恐怖が、死が、彼を狂わせた。


 「――――――あ」


 コーカサスは自らの判断を後悔しようとしたが、叶わなかった。赤く揺らぐ悪鬼の瞳が、彼の思考を硬直させたからだった。

 コーカサスは抵抗をしようとしたが、叶わなかった。赫赫と燃える戦鬼殺しの炎の右手の、その指先が、彼の心臓に触れていたからだった。

 コーカサスはわけもなく手を伸ばそうとしたが、それも叶わなかった。指先から流れ込んだ熱が、彼の肉体を一瞬で消し炭に変えたからだった。


「一人」


 戦鬼殺しは、地獄めいて呟いた。






***





 地下第五階層。上層に行けば行くほど生活の水準が上がるこの地下都市メルトラントにおいて、第五階層以上は選ばれた特権階級のみが住まう事を許されている。

 天井にはホロ・ヴィジョンを投影した満天の星空。整然と並ぶ街並みは、地下都市の猥雑からはあまりに遠い。人々は整然と並ぶ街並みに、かつての地上生活を幻視する。


「どうかね、第五階層は」


 血のように赤いワインでグラスを満たして、男は笑いながら問う。

 特権階級が住まう場所としてのある種の必然か、夜景を臨むレストランの店内は豪奢と悪趣味の境界を曖昧なバランスで保っている。

 問われたのは少女。この場にはそぐわない幼さであったが、彼女の纏う張り詰めた刃のような空気が、余りに自然にこの場の空気を着こなしていた。

 シャンデリアから落ちる光に彼女のブロンドが光を返すのを、男は粘着質な視線で追う。


「ええ。とっても気に入りましたわ、パラベラム卿」


 パラベラムは欲望に肥えた頬肉を吊り上げて、じっとりと笑う。


「それは良かった。これから私達は家族になる。これはその祝いだ――好きに食べておくれ、ミナ?」

「パラベラム卿――」

「『父』と、そう呼んでくれて構わないよ」

「――『お父様』」

「なんだい? ミナ」


 パラベラムが葉巻に火を点ける。漂う紫煙の向こう、ミナの表情が、微かに。

 微かに、冷たい炎が揺らいだ。


「いくつかお聞きしたい事がありますの」


 




***




 地下十三階層。オウガスレイヤーが向かい合う敵は、先のコーカサスよりも、単純戦闘に特化した戦鬼だった。


「名は」


 捻れた角。赤錆びた躯体。

 地獄から響くような声で、戦鬼殺しは問う。


「俺は……おれは、おれは……っ」


 男は――戦鬼殺しに相対する戦鬼は答えない。ゆらゆらと、禍々しく燃える右腕が、彼の躯体を圧迫して、発声を許さないからだった。


「お前の、名は?」

「ぐうう…………っ!?」


 更に強く。締め上げる業火。

 砕け、歪み、溶けた鋼の鬼面の奥から露わになった戦鬼の唇の動きで求めた問いの答えを悟ったオウガスレイヤーは、一際火勢を上げた右腕で、一気に戦鬼を握り潰した。


「二人」


 炎を灯した戦鬼の瞳が、次なる獲物を求めて彷徨う。



***



「私に聞きたいこと? なんでも聞いておくれ、ミナ」


 パラベラムはワインを口に含み、その香りを楽しむように目を細めた。その様に、少女は微笑すら浮かべながら、切り出す。


「911中隊をご存知ですか?」


 パラベラムの表情が、一瞬で氷のように冷たくなった。ミナは表情を崩さない。


「何故その名を知っている?」

「質問に質問を返すのは無粋ですわ、パラベラム卿」


 ミナの、髪と同じ黄金色の目がパラベラムを見た。口元は笑っていながら、鋭すぎる刃のような視線。パラベラムは、深く葉巻を吸った。


「今から半年ほど前、第三階層で爆破テロが起きたのをご存知ですか?」


 穏やかとさえ言える口調。歌うような調子の奥に覗く、悪鬼のようにドス黒い感情が自分を捉えているのを、パラベラムは悟った。


「知らない」

「本当に?」

「本当だ」


 懇願じみて答えるパラベラムに、ミナは笑みを深めて問う。ドス黒い、悪鬼の笑みを。


「本当に? 知らないのですか? 本当に? 本当の本当の本当の本当に? ねえ、『お父様』?」

「し、知らん! 知らんものは知らん!」


 食卓を叩いて、悲鳴をあげるように叫んだパラベラムを、他の客たちが非難するように横目で睨む。

 荒い呼吸でミナを見返すパラベラムの額には、大粒の脂汗が浮かぶ。


「では質問を変えます。貴方は911のパトロンの一人ですね?」

「違う」

「戦火を求める奴らに商売敵の命を斡旋して……随分手広く儲けていらっしゃる」

「誤解だ!」


 ミナは笑みを崩さない。

 苛烈を愉しむ悪鬼の笑み。追求は止まらない。


「何が誤解ですか? パラベラム卿。貴方が下層から少女を拾い上げて奴隷同然に飼っている事? 貴方が911と組んで大勢殺した事? それとも――」


 パラベラムはミナの目を見た。暗く冷たい、憎悪の火を見た。背筋を罪が駆け巡った。


「貴方が当時の上司だった私の両親を謀殺したこと?」




***




 地下第五階層。地下都市屈指の高層ビルの足下で、彼らは対峙していた。



「俺のは『号ぶ雷鳴ワイルドウェスト』。雷鳴の速度で命を絶つ、意思持つ号砲――ここは通さん」

「『戦鬼殺しオウガスレイヤー』、頸を差し出せ」


 オウガスレイヤーに相対する男は――テンガロンハットを目深に被り、腰のホルスターに二挺の拳銃を吊った戦鬼は、紛うことなき修羅の気を帯びて、彼を睨んだ。


「残念だがそうもいかん。生憎、お前のようなのは一歩も通さんというのが、今夜の俺の仕事でな」

「退け」


 オウガスレイヤーは多くの言葉を発さない。ただその場に応じて最小限、殺意に届く最少の言葉だけを吐いた。


「殺して通れ。お前が俺より上等な無用者ならば、あるいは思いを遂げられるかもしれんぞ」


 嘲るように笑う男の首には「911」の隊象。自分を輝かせる戦火を、自分の価値を証明する戦場を奪われた戦鬼の証。


 ――価値を示す。


 それが、厄災を振りまく戦鬼としての、唯一の意義。

 ホロ・ヴィジョンの夜空の下に、懐かしい炎の匂いが蘇った。


「さあ来い、オウガスレイヤー!」





***




 揺れは、最上階にまで届いていた。


「な、なんだ!? 何が起きている!?」

「死だ」


 少女は、もはやその本性を、隠し持った怒りを隠そうともしない。動揺の余りに取り落としたパラベラムの葉巻を拾い上げて吸い、その煙を彼の顔に吹きかける。


「或いは、仇人への絶対応報。死がお前の命を取り立てに来た。ツケの払い時だ、パラベラム」

「ふざけるな!」


 揺れは間断なく続く。次第に空間を疑惑が、恐怖が満たしていく。店内は、恐慌状態へ陥る一歩手前だった。


「この俺に復讐だと!? 馬鹿な! お前のような取るに足らぬちっぽけなガキ一匹が!」

「スリープウォーク」


 冷静に、呟くように少女は言った。パラベラムの表情が凍った。


「グラスホッパー、メーヴェ、ダークホース……コーカサス」


 名を挙げ連ねる毎に、パラベラムの表情が凍っていく。脂汗が滝のように流れ、呼吸はどんどん荒くなっていく。


「私たちがこれまで殺してきた、或いは今日殺した戦鬼共の名だ」

「嘘だ!」

「事実だ」

「お、お前があの『戦鬼殺し』だと!? 馬鹿な! だが例えそうだとしても、下にはワイルドウェストが――」

「例え何が待ち構えていようが、奴は来る。私がそう命じたからだ。」


 響く足音が、悲鳴を掻き分けて近づいてくる。

 パラベラムはその先を見た。赤錆びた鋼の躯体を見た。捻れた角を、鋼の鬼面を、燃え盛る右腕の炎を。

 それは、形ある殺意そのものだった。


「あいつは、私の命令を破らない」


 無造作に放られた質量が、重苦しい音を立てて床を転がった。

 テンガロンハットを被った鋼の塊――ワイルドウェストの、首であった。


「馬鹿な!」

「答えてもらうぞ、パラベラム。奴らの事をな……!」

「う、うおおおおおお!!」


 捨て鉢な絶叫とともにパラベラムは銃を抜き放ち、躊躇わず発砲。

 狙われた少女を弾丸が貫く寸前、彼女の鼻先を走った炎が、鉛玉を空中で一瞬の内に溶解せしめた。


「ミナに手を出すな…………!」


 戦鬼殺しの吐き出した声は、ただ殺意だけが形を成し、大気を震わせるかのような地獄めいた声では無く――もっと核心に触れた、焼け付くような怒りを孕んだ声だった。パラベラムは悲鳴を上げた。


「お前の選択肢は二つに一つ。言うか、言わずに死ぬかだ」


 ミナはロングコートの懐から拳銃を抜き放った。直径9mmの昏い穴が、仇人の眉間を睨んだ。


「言え! 奴らについて知っていることを、全て話せ!」

「知らない! 何も知らないんだよお!」

「貴様ァ!」

「本当だ! 本当に何も知らない!」


 壁に追い詰められたパラベラムの絶叫が響く。オウガスレイヤーは、己が振るわれる瞬間を待ち、静かにそれを見下ろしている。


「奴らのねぐらは40階層にある! だが下層は汚染が酷すぎて、私のような人間にはとても立ち入れない! 場所までは解らない!」

「奴らの構成員は!?」

「私が会ったのは女だけだ! フェイスレスと呼ばれていた、能面のように表情の無い女だ!」

「その女はオウガか?」

「恐らくはそうだ。だが――それだけだ! それ以上は……彼女の能力だとか……そんなものは知らない!」

「なら最後に、奴らのボスの名は?」

「し、知らない!」

「ボスの、名を、言え!」


 銃口が眉間に押し当てられる。パラベラムは失禁し、絞り出すように言った。


「大尉と呼ばれていた……それだけなんだ。奴らはメンバー同士でまるで家族のようなコミュニティを作っていた。部外者の私は必要以上には立ち入れなかったんだ。本当だ、信じてくれ……頼む……!」


 しばし無言のまま銃口を押し当てていたミナは、やがておもむろに銃を下ろし、吐き捨てるように言った。


「失せろ」

「は?」

「二度言わせるな。私の気が変わらない内に失せろ」


 言うや否や這うように逃げ出すパラベラムの背を見送る。彼のその後は解らない。911に始末されるのか、何処かでのたれ死ぬのか。また悪事を重ねるのか――

 やがて少女は深く息を吐いた。


「お前も、もういい」


 傍の戦鬼殺しにそう声をかけると、ガシャン、と金属音を響かせて、悍ましい戦鬼は人の形を取り戻した。しばし虚ろな目で虚空を睨んでいた彼は、やがて首を振って、その目に理性を灯し、言った。


「殺さないのか?」

「……いい。お前はオウガスレイヤーだ。殺すのは、鬼だけでいい。ロシン」

「そうか」


 険しい顔のまま、ぎゅっと自分の服の裾を掴んだ少女の頭にオウガスレイヤーは――ロシンは、ぽんと手を置いた。


「そうだな」

「……なんだこの手は」

「うん」


 静かに夜景を臨んでいたレストランの窓からは、混沌が見て取れた。

 自身の為した事の結果を見下ろして、少女は小さく呟いた。


「帰ろう。私たちの家に」




***




 地下二十九階層。廃墟をそれらしく改築した彼らのねぐらには、廃材同然のベッドが一つだけ有る。

 ミナはそこに腰掛け、ため息を吐いた。


「今日は疲れた」

「俺もだよ」

「強かったか? 敵は」


 少女の目は真っ直ぐに彼を見つめていた。ロシンは肩をすくめて、笑った。


「なんて事無かったよ」

「そうか」


 よそを向いて、少女は答えた。そしてそのまま、彼に声をかけた。


「来い」


 言われるまま、ロシンは彼女の隣に腰掛けた。

 二人分の体重に、貧弱なスプリングが悲鳴を上げた。ミナは、彼の膝に寄りかかった。


「私は疲れた。寝る」

「うん、お疲れ」


 まだ幼さの残る少女。見かけの上では親子のようだったが、二人に血縁関係は無い。


「あ、お前タバコ吸ったな?」

「吸ってない」

「嘘つけ、匂うぞ」

「チッ」

「ミナはまだ子供だし、女の子なんだから。もっと身体に気を使って」

「ああうるさい、お前は私の母親か?」


 太陽の無い地下都市には、夜も無い。下層都市の天井には、投影された夜空も無い。少女は大きくあくびをした。


「もう寝る。このままこうしていろ。命令だ」

「はいはい」


 隻腕の、欠けていない左腕に抱えられて、少女は微睡んでいく。


「お前は、私の命令を破らない」


 確認めいてつぶやいて、少女は眠りに落ちた。昼でも夜でも無い地下都市の薄闇に、やがて二人分の寝息が溶けた。

 

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