オウガスレイヤー

蜂郎

運命の失敗作






 きっとお前は許されない。

 誰にも理解されず、きっと誰にも愛されない。

 お前の炎は憎悪の汚泥。

 お前の血潮は悲嘆の濁流。

 誰をも彼をも焼き尽くし、何もかもを無価値に堕とす。

 お前は怪物。

 ――――運命の失敗作。





***







 仮初めの光明すらも望めない地下三十七階層の深い闇の中で、彼……スリープウォークは、かつての戦争を追憶していた。

 ここは、焦失の都市メルトラント。開戦の理由すら戦火に燃え尽きた忌まわしい百年戦争の遺物。衰退した人類社会の極北。

 戦争の末期、彼の居た部隊は本隊から切り捨てられた。その行動に意味があったのか、大義無き戦乱の最中に、答えを出す術は無い。

 ただ、結果として彼は終戦後の今も命を繋いでいる。そして、今もその問いの答えを出せないままでいる。

 答えを導かなければならない。戦鬼として生き、無用者として生き延びた自身の命に意味があるのか、否か。


「こんな筈ではなかったのか」


 スリープウォークの呟きは闇に溶けて消える。この闇に、彼の言葉の意味を紐解くものは無い。

 こんな筈では無かったのか。戦争の終わった世界。争う道具を必要としなくなった世界に、彼らの生きる意味は。


「お前はどうだ、オウガスレイヤー」


 殺すべき敵の名を呟いて、スリープウォークは闇の中を歩き始めた。

 




***






 地下二十九階層。

 地下深くへと根を張る背徳の大樹たるこの都市、メルトラントの都市構造は、最下層である44階に近づけば近づくほど雑多になっていく。まともな人間が住めるのはここ、29階層がボーダーライン。30階からは地下深くに廃棄された戦災廃棄物の吐き出す瘴気に汚染され、真っ当な生物は決して寄り付かない。

 そんな地獄の淵から這い出して、スリープウォークは静かに歩みを続けた。

 見上げた天井は低く、狭い。頭上からは上階から染み出す汚水が、足下からは下層から漏れ出す瘴気が、それぞれ生物の生存を脅かす。

 都市を行き交う人々は、皆何かに耐えるよう。戦争は終わっても、彼らの生きるこの世界の苦しみは、今なお以って健在なのだった。


「覚めても覚めても、まだ夜だ」


 無意味な呟き。すれ違いざま、彼のつぶやきを耳にした通行人はいかにも気味の悪いものを見たように彼を一瞥し、歩き去った。

 彼は狂っていた。長い戦乱が彼を狂わせた。

 その呟きは、天蓋に日の光を遮られたこの都市への憐れみのようなものだったのかもしれない。


「お前は一体、何を拾い上げた? 光を失って、何を」


 ふらふらと幽鬼の如く歩みながら、彼の目に埋め込まれた生体探査装置は、以前の交戦によってトレースされたオウガスレイヤーの生体反応を追跡する。


「お前の欲しいものを、俺の欲しいものを、確かめる」


 戦場を駆け抜けて全てを捨てて生き延びた彼もまた、この街の唾棄すべき戦災廃棄物の一つ。価値は無い。戦鬼の目は雑多な屋台の軒下を、猥雑に行き交う人々の群れを、汚れ果てて錆びついた街の影を、走査し、捉えた。

 宿敵の背を、オウガスレイヤーの、姿を。


「戦争だ」


 オウガスレイヤー。戦鬼殺し、戦災処理者。都市を行き交う幻の悪鬼。風説に過ぎないとすらされる彼の存在を、スリープウォークは実在として認識していた。彼の属する組織はオウガスレイヤーを敵とみなし、スリープウォークもまた、個人的な妄執から、彼を追っていた。

 戦鬼殺しの牙が、己の喉笛に届くか否か。

 戦火を超えて生き延びた命に、価値があるのか。

 証明の時は近い。スリープウォークはゆらゆらと雑踏に溶け込んだ。


「感じさせて、くれ」


 スリープウォークの頬に、歪んだ笑みが浮かんだ。




***




 その男は、少女を連れて歩いていた。

 少女と繋いだ左手とは反対側の袖は、ひらひらと揺れて存在の空白を晒している。隻腕。あまねく戦争の脅威に晒された者が最後に行き着くこの焦失の都市では、珍しくもない。

 ほがらかに少女の手を引くその男の――オウガスレイヤーの背を、スリープウォークは執拗に追跡する。


 目と同様、彼の耳もまた、特殊な改造が施されていた。

 鋭敏な聴覚が、雑踏の中から彼らの会話を聞き分ける。


「今晩何が食いたい?」と男。「なんでもいい」と少女。気の無い返事、感情の無い言葉。

「お金、渡すから適当に買ってきて」

と少女。「肉にするか」と男。「なんでもいい」と少女。「育ち盛りだから肉だ」と男。少女は「じゃあそれでいい」と気の無い返事。

 他愛の無い会話。スリープウォークはその会話に意味を見出さなかった。有るのはただ、対象への殺意のみだ。


「限りがあるというならば、あらゆるものは無駄遣いだが――さて」


 無意味な呟き。漏れ出す狂気。

 ガシャン、と無機質な金属音。

 戦鬼の本性が――忌まわしい戦火に鍛えられた魔導生物の姿が――オウガが、その身を顕現させた。

 かつて100年続いた戦争に幕を引いたのは、その末期に投入されたオウガと呼ばれる生物兵器の存在だった、人体改造によって生み出されたそれらは埒外の暴力と不浄の魔力を以って、際限なく広がる戦火を焼き尽くし、残骸を残骸にし尽くした。

 終戦後、生き残った戦鬼達は行き場を失い、人に紛れた。しかし、もう元には戻れない。炎の匂いが染み付いた、その兵器の身も、心も。


「お前はどうだ、オウガスレイヤー」


 静かな歩みだった。

 常人の3倍以上の脚力による歩行は、ゆらゆらと揺れながら奇妙に彼の存在を認識から散らし、すれ違う誰にも気取られる事は無い。


 ガシャン、と金属音。

 またも変質するスリープウォーク。右腕は内側から裏返るように金属のそれに変じ、刀めいて長く鋭い爪が、雑多なネオンを照り返して鈍く光った。


「邪魔だ」


 一閃。音もなく振り抜かれた右腕が、すれ違う通行人を切り裂いた。

 だが、誰もそれに気づかない。スリープウォークと、彼の巻き起こす事象を、誰も認識できていないかのようだった。

 睡歩。人の認識を逸れる彼の能力、戦鬼としての機能。戦火の中に見出され、今はなんの意味もなさ無い、彼の存在価値。

 ゆらゆらと死を振りまいて進みながら、不可視の死神はその鋭敏な聴覚で音を拾う。


「じゃあ買い出しだ」「どこへ」「肉なら九番街だな」「面倒臭い」「我慢しろ」…………


 また一閃、刃が翻り、命が潰える。

 死を振りまく一瞬、命を奪う瞬間、その刹那にだけ、スリープウォークは己の価値が満たされるのを感じた。

 命を奪うことこそ、戦鬼の本懐。

 故にお前は俺が殺そう。より強い戦鬼を糧に、俺は俺の価値を証明しよう――


「どうしても面倒なら先に帰ってろ」「買い出しは?」「俺がしておく」「出来るの?」「お前よりはな」……


 対象が――男が――オウガスレイヤーが、少女と離れた。

 どちらを殺すべきか。


「女か」


 女を殺すのを好む戦鬼は、随分と多い。

 弱い者を、無抵抗の者を殺す。時にいたぶって、存分に恐怖させてから殺す。

 そこそこ面白い。寝惚けたように思考のまとまらない狂った頭でスリープウォークはそう判じ、少女へ狙いを定めた。

 まずはこちらから。オウガスレイヤーはその後だ。

 少女が道を曲がり、入り組んだ狭い路地に入っていく。僥倖。スリープウォークは笑った。



「――――さて、死ね」



 少女が振り返った。

 その目は、認識を逸れるスリープウォークの姿を捉えていた。

 スリープウォークは、少女の目を見た。瞬間、背筋を冷たく燃える憎悪が這い上るのを感じた。



「お前がな」



 背後から声。

 同時に、スリープウォークの体は大きくきりもみながら吹き飛んだ。


「気付いていた、お前が近づいている事には」


 少女は言った。幼さの残る外見からはおよそ想像もつかない、嵐のような憎悪を孕んだ、暴君の口ぶり。


「お前がじゃなくて、俺がな」


 少女の言葉を引き継いで男が言う。

 少女をかばうように前方に立ち、スリープウォークと相対する。


「お前に、聞きたい事がある」


 少女の姿をした暴君は、肩口でブロンドの髪を揺らして、超然と告げた。


「お前、911中隊か?」


 911中隊――告げられた名に、スリープウォークは笑みを深めた。


「そうだ」

「第三階層の連続爆破テロはお前達の仕業だな」

「そうだ」

「お前は実行犯の内の一人か?」


 スリープウォークは微睡んだままの狂気を露わに、答えた。


「そうだ」


 硬くこわばった少女の表情を、一瞬さざ波のように感情が過ぎった。

 憎しみ。怒り――復讐者の炎。


「ならば、お前は死なねばならぬ」

「そうか」


 良く分からぬ答えを返すスリープウォークに、少女は変わらず超然と告げる。


「――――これは私の復讐だ」

「ハァ!」


 もはや我慢ならぬ。スリープウォークは地を蹴って駆け出した。

 一目散に、獲物を目掛けて。

 走りながら、みるみる内にスリープウォークは人間の姿を失っていく。体は鉄に変わって、むせ返るような戦火の熱を――懐かしい戦場の匂いを路地の一角に現出せしめた。

 対するは、少女の前に立つ隻腕の男。互いに互いを睨み、彼らは――無用者と化した戦鬼達は、音を同じくして高らかに宣言した。



「――――――<顕身>!」



 刹那、そこに現れたのは、異形。

 スリープウォークは、流線型のボディに無数の刃を備えた身体。頭部には歪曲した角。


「俺のいみなは『忍び歩く微睡みスリープウォーク』……覚めても覚めても明けることの無い悪夢の足音だ」


 そして、相対する隻腕の男。

 赤銅色の鉄は全身を鎧い、捻れた角が鋼の鬼面を突き破る。

 欠落した右腕には、赫赫と燃える、憎しみの炎。


「俺のは、」

 

 ……きっとお前は許されない。

 誰にも理解されず、きっと誰にも愛されない。

 お前の炎は憎悪の汚泥。

 お前の血潮は悲嘆の濁流。

 誰をも彼をも焼き尽くし、何もかもを無価値に堕とす。

 お前は怪物。

 ――――運命の失敗作。

 ――――その、名は。




「――『戦鬼殺しオウガスレイヤー』だ」




 そして、死闘が開幕した。




「――――ハハァッ!」



 スリープウォークは、もはや全身が凶器と化した身体を駆動させ、駆け出した。

 戦場の微睡みに堕ち、狂ったままの彼の思考は、夢に見た戦場にかつてなく高揚。踏み出し、鉄の爪牙を触れ合わせるまでの僅か一瞬の間に、眼前の敵を滅殺する法を数百から編み出していた。


「待っていたぞ、オウガスレイヤー! お前はどうだ、お前は、どうなんだ?」

「ッ!」


 激突。

 認識をブレさせる奇妙な歩みは、その軌跡を残像めいて歪ませる。

 オウガスレイヤーは、赤錆びた鋼に鎧われた左腕で刃の爪を弾く。


「確かめさせろ、理解させろ、証明させろ――俺とお前、どちらが上等な無用者ガラクタか!?」


 かつて、戦争が有った。

 大義は忘れられ、戦火は肥えて溢れ、生み出された兵器は、その終息と同時に価値を失った。

 確かめねばならぬ。鍔迫り合いながら、スリープウォークは歓喜の笑みを深めた。


「俺は、お前とは違う」


 絞り出すように、オウガスレイヤーは答えた。

 スリープウォークの表情が曇った。


「お前の言う価値だの意味だの――俺には関係ない」

「違うな。心は削られた、何を拾い上げた、お前は」

「俺は――」


 拾い上げた。その言葉に呼応するように、オウガスレイヤーの右腕が――赫赫と燃える右腕が、鼓動した。


「――俺が拾い上げたのは、死神だ」


 足元のひび割れた地面から、間欠泉めいて汚染大気が噴出した。オウガスレイヤーは悪鬼の如く笑った。


「あいつの復讐は、俺の復讐だ」


 吹き出した汚染大気を、彼自身の血肉を、傍でこの対決を睥睨する少女の感情を、憎悪を。

 余さず巻き込んで炉に焚べて、戦鬼殺しの右腕が燃え上がる。


「――――ガっ!?」


 振り抜いた右腕が、圧倒的な火力によってスリープウォークを薙ぎはらう。

 炎は質量を持っていた。それは、炎上する魔神の腕そのものだった。

 さりとてスリープウォークもまた、いずれも劣らぬ忌まわしき厄災の戦鬼なれば、この程度では、その命には届かない。ならば、と。少女は憎悪を湛えた瞳で彼を睨んだ。


「戦鬼スリープウォーク。お前の爪を、微睡む歩みを、天をも穿つ異形の角を。お前の全てを否定しよう」


 ――その炎は憎悪の汚泥。

 ――その血潮は悲嘆の濁流。

 彼女は命じる。オウガスレイヤーに。彼女の復讐を遂行する、彼女自身の、炎の腕に。


「きっとお前は許されない――『戦鬼殺し』の私の炎よ、復讐を、遂げろ」


 スリープウォークは残像を引き連れて疾走。幻惑しながらオウガスレイヤーの頸を狙う。

 オウガスレイヤーは、少女の命に応えるように右腕を更に大きく燃え上がらせる。炎の揺らぎが、敵の息遣いを、本物のスリープウォークの足跡を報せた。


「AAAAAAAAAARGHッ!」


 咆哮。

 人間からはあまりに遠ざかった、悪鬼の声。

 振り抜かれた炎の右腕が周囲を、壁を、地面を薙ぐ。

 酸素を、瘴気を、少女の憎悪を、貪婪に喰らって赫く赫く燃える戦鬼殺しの炎の腕が、その掌中にスリープウォークを捕らえた。


「グッ――……あァ……」


 質量を持って燃え盛る炎の腕が、ミシミシと鋼の身体を軋ませながら焼き焦がす。

 その様を、オウガスレイヤーは黙して見下ろしていた。


「貴様らの本隊はどこだ」

「言うと思うか?」


 少女の問いへの回答を拒んだスリープウォークの肉体を、オウガスレイヤーが圧迫した。彼の右腕は少女の右腕。彼女の怒りそのものだった。


「は、はは……はーっ、はは……!」


 苦痛に喘ぎながら、スリープウォークは天を見上げ、笑った。低く暗い、抑圧された天蓋の空を。


「ああ、これが俺の死か。意味はあったのか、どうか……はは」


 微睡んだままの瞳は、既にこの世界のどこにも焦点を結ばない。

 ここではないどこかを見ているのだろうか。それは、あの忌まわしく懐かしい、戦火の世界だっただろうか。


「お前の、名前は?」


 オウガスレイヤーが問うた。

 かつての名を、鬼としての諱でなく、無価値な名ではなく、無用者となった後に捨て去った名前を。

 スリープウォークは笑った。


「くく、俺は……俺は……く、くくく…………」


 意味は無い。

 価値は無い。

 かつて、人であった彼を形作っていたものは、既に消えて失せた。焦失都市メルトラントには、その残骸すら残らない。

 挑発するように吐き出した舌には、拳大の黒い塊が乗せられていた。


「俺の名はスリープウォークだ……オウガスレイヤー、黒い朝日で、お前を待つ」


 スリープウォークの舌の上で、閃光が、爆炎が弾けた。

 同時にスリープウォークの肉体を跡形もなく握殺した炎の右腕が、その爆発をも飲み込み、僅かな爆風だけが、少女の髪を揺らした。


「……これで、二人目だな」


 少女は言った。その表情には、微かな悲痛が浮かんでいた。


「ああ」


 オウガスレイヤーが答えた。右腕の炎が、ゆらゆらとその横顔を照らした。


「これは、私の復讐だ」

「ああ」

「お前の腕は、私の炎だ」

「ああ」


 二人は互いに視線を見交わし、その事実を確認した。


「私達から奪った奴らを。みんな燃やして焼き尽くしてやる」

「それがお前の望みだ、ミナ」

「そして、お前の価値だ、ロシン」


 互いの名を呼び交わして、二人は戦火の中に立つ。

 ここは焦失都市メルトラント。

 人類衰退の象徴にして、地下へと根を張る背徳の大樹たる、都市。

 燻る竃に投げ入れられた薪が一瞬にして燃えるように。

 彼らの復讐は、ここに赫赫とその予兆を燃やそうとしていた。



「復讐するは、我らにあるぞ」






***







 地下37階層。

 暗く深い闇の底に、軽快な拍手が残響した。

 どこまでも広い空間に音は残響し、モニタから漏れる光だけが、その主の顔を照らす。


「スリープウォークはやられたようだ」


 喜悦すら滲む声。軍服姿。影すら落とさぬ微かな光明に照らされた隊証には、<911>の刻印


「いかが致しましょう、大尉」

「続けろ。より苛烈に、最優先で、極めて早く烈火の如くに」


 爆散したスリープウォークの肉体は、その身を持って怨敵に刻印を記した。都市伝説の戦鬼殺しの居所は、もはや彼らの手の中だ。

 もはや彼の属する本隊は、オウガスレイヤーの存在を掴み、追跡を開始していたのだ。

 それは、あるいは戦鬼の意地。死して尚戦場に留まり戦火の一部たらんという、彼の怨念だったかもしれない。


「さあ、この世で最も無意味で無価値で無駄で無益な、楽しい楽しい戦争の時間だ」


 911中隊。

 戦火を生き延びてしまった彼らは、証明しなければならない。

 彼らを必要としなくなってしまった世界に、彼らが生きる、意味を。


「行くぞ諸君。この炎の果てに、黒い朝日を描くのだ」


 敗残者達の復讐が、今全てを黒く焼き尽くそうとしていた。




***




「さて、飯にしようか?」



 男は――人の姿に戻った彼は、オウガスレイヤー、ロシンは傍の少女に言った。


「食欲がない」


 ブロンド髪の少女、ミナと呼ばれた彼女は、鬱陶しそうに肩口の髪を払った。


「駄目だよ。ちゃんと食わなきゃ。育ち盛りなんだから」

「お前ほど育ちすぎても面倒だ。私はこれでいい」


 二人並び立てば、大人と子供と言うには余りに異様な身長差がある。ミナは空白を晒す彼の右側ではなく左側で、しばし無言のまま、彼の手を握って歩いた。


「……名乗らなかったな」


 呟くように、少女は言った。男は、静かに応える。


「基本的に、戦鬼おれたちには名前が無い。人だった頃の名前を捨てて、鬼としてのいみなを得ることで、力を獲得するから」


 かつて戦火によって戦火を焼き、破壊を以って破滅を防いだ厄災の英雄の、それは性質だった。

 名を失い、意味を失い、価値を失い――それでも、彼らは生き続けなければならない。

 ここは焦失の都市、メルトラント。

 生きていく意味を失った戦争の残骸が、最後に行き着く場所。名乗る名を失った者が辿り着く、最後の場所。


「哀れな生き物だな。お前も、あいつも」

「そうだな」


 間欠泉めいて瘴気が噴き出す。

 下層に打ち捨てられた戦争の残骸共が、腐り果ててなお、その存在を主張するかのよう。

 見上げた空を覆う天蓋は低く、そこに息づくあらゆる全てを抑圧する。


「覚めても覚めてもまだ夜だ。奴も、今夜は夢見が悪かったらしい」

「覚めても覚めても夜だが、ともかく今夜の飯にしよう。俺はともかく、お前は育ち盛りなんだから」

「うるさいったら無いな、お前。わかったから適当にしてくれ」

「はいはい」


 地下の都市には、鬼が巣食う。

 戦火を逃れ、価値を失い、彷徨うだけの悪鬼が。

 瘴気の中を、二人が歩いていく。過酷な運命に翻弄される失敗作達が。

 その行く先が何処へ続くのかを知る者は、誰も居なかった。

 

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