10-1 もう帰ってもいいですか?

晴一朗アイシャルナの後16時くらいに会社に戻った。この一件で体が不調になってしまっれ戻りが遅くなったというわけではない。事後処理に追われていたのだ、そしてそれが一段落ついたから会社に来てみれば、なぜか課長の酒々井が激怒していた。

「晴一朗君! なぜいちばんに報告しに来ないんだ!」

酒々井は人事部の銭元と電話した後、晴一朗の帰りを今か今かと待っていた。

「まだ報告書をまとめていないので、報告はそのあとにしようとおもいまして」

「そういう問題じゃないだろう! こんな一大事なのだ! 上司に一番に報告するのが普通だろう!」

晴一朗に丸投げをしていたのに、酒々井は問題が無事に解決した気配を察知してまくし立てる。酒々井は小心者であるが、自分を守るときだけはやたら我を前にだす男だった。

しかし晴一朗はこともなさげに答えた。

「お言葉ですが、僕は課長から全権をゆだねられていたはずです。中途半端な報告が必要でしょうか」

晴一朗は本心からそう言っていた。

「それは確かに言ったが、それでも情報は還元するべきだろう」

「わかりました。では課長。一番大事な情報を言います。アルバイトを百名程度一時間雇いました。ざっと百万工面していただきたい」

「はあ!? 百万だと!? そんな大金、成果もあげていないうちの課が、予算要望もなしに用意できるはずがないだろう!」

「出来るはずです。先輩はいなくなりました。先輩の分の残業代はうちの課の予算として組み込まれているはずです。先輩の人件費であれば40時間分あれば、アルバイト百時間分の人件費は確保できるはずです」

「それはたしかにできるが。そういえば、菅谷はどうした!?」

「ああ、先輩なら巨大なフナ虫のような特定変異種に襲われましたが、一命はとりとめました。丸裸でしたが、現地の警察につきだしました。容疑はサリナ・サーマゴールの誘拐の件です」

「な、なにを勝手なことを!?」

酒々井にとって菅谷を警察に突き出されるのは都合のいいことではなかった。部下が起こした問題を握りつぶしていたことがばれてしまうからだ。

「これだけの大事を起こして会社としての責任を取らないわけにはいきません。ですがこの島の法律でもアイシャルナに危害を加えたことは裁けません。だから裁けるネタをつかって警察にぶちこみました。そうではないと島民の感情は収まりません、うちの課の存続にも関わる重要なことだったので」

晴一朗はあくまで足し引きで菅谷を警察に差し出すのがいいと判断したのだ。

「それも独断でやったのかい?」

「いえ、あらかじめ課長に全権を任せるという指示はいただいています」

酒々井は頭を抱えた。この男は人事部の言ったとおりの男だった。これだけの大問題が起きても自力で解決するところと、一度任せてしまうとなんでも合理性という正義で決めてしまう、本当に会社にとってはバケモノだ。こんな男は早めにどうにかしないと自分の身が危ない。この男はそこに合理性があると判断したら、自分すら簡単に葬り去るだろう。とりあえず菅谷のことは自分は知らなかったことにすればいい、目の前にいる部下を制御しなくては課長とは言えない。

「晴一朗君、さすがにそれだけ身勝手な行動をされると私としても、君の首を切らなきゃいけなくなってしまう」

酒々井は脅しのつもりで言った。リストラという手段を使って、晴一朗をコントロールしようと考えたのだ。こいつをうまく操らないと、自分の首が物理的に飛んでしまう。だが晴一朗は顔色一つ変えなかった

「お言葉ですが課長。社員を首にできるかは銭元人事部長のみ決定権をもっています。モンスター営業課の課長が社員に首だと脅した場合、それはパワハラに該当しますが」

晴一朗がいったことは事実だった。だが酒々井は引かなかった

「それはあくまで表向きさ。やろうと思えば、課長であってもリストラくらい出来るんだよ。どれ人事部に今確認して」

酒々井が電話に手を伸ばそうとしたとき、入り口が開いた。

「その必要はない」

入ってきた人物に酒々井は言葉を失った。

「お疲れ様です。銭元部長。なぜこんなところに」

「晴一朗、突然来たんだからもっと驚いたふりをしてくれてもいいんだぞ」

晴一朗は特に態度を変えずに迎えたが、突然来訪した銭元に酒々井は驚きを隠せなかった。。

「ぶ、部長。なぜここに。さきほどまで日本にいらっしゃったのでは?」

「いや、あの電話をしたとき、実は隣の島にいたんだ。島で大きな事件が起きたようでなかなか船をだしてもらえなかったがな」

「まさか晴一朗君が呼んだんですか?」

「ある意味そうだが、そうではない。実は晴一朗から人員増の要望書を受け取ってな。その現状視察に来たわけだ」

酒々井は冷や汗を流した。もう菅谷がつかまってしまったことがばれてしまったのか。

「いえ、うちは確かに人員がすくないですが、けっして人員不足というわけでは」

「酒々井、君はなんも知らないんだな。モンスター営業課のホームページを見てみろ」

酒々井はそう言われてしぶしぶモンスター営業課のホームページを開いた、彼は初めてそこのサイトを開く。そのサイトには課の事業内容と共に、島に住むモンスターの情報が写真付きで事細かに載っていた。

「今、そのモンスター営業課のホームページ、特に晴一朗のモンスター記録がすごい人気でな。大リスが襲ってくる動画は私も見たが実に面白かった」

大リスの動画とは晴一朗がサリナと共にジャングルで襲われた時の動画であった。

「また島の3Dマップも人気が高い。晴一朗はそのホームページの運営などの事務作業のために人員を一人増やしてほしいという要望をだしたのさ」

酒々井はホームページの中身を確認した。これらは全部晴一朗が自分に上げていた報告書の内容と同じものだった。こいつは自分に報告するためでなく、ホームページ上に掲載するためにあんなに細かな記録を作っていたとその時ようやく理解した。

「月刊特定変異種っていう風な雑誌として刊行してくれないかという話すら来ているんだ。ホームページ公開前から晴一朗はこんな風に人気が出ると予期していたがね。いずれにせよ、モンスター営業課のHPのおかげで㈱ゼニーの知名度はまた少し上がった。これは大変喜ばしいことだ」

酒々井は視線で晴一朗に説明を求めた。

「はい、これも課長に全権をゆだねていただいていましたので。昨今は情報が非常に価値を持つ時代です。ですのでホームページを充実させるためにも、人員増を希望しました。雑誌化までは想像していませんでしたが、㈱ゼニーの広告塔にくらいならなるかと考えていました。しかし雑誌化であればモンスター営業課の初の事業ということになりますね。銭元部長、なにとぞ人員増をご検討お願いします」

晴一朗は頭を下げた。銭元はうなずいた。

「まあ、こういう風に利益に直結しなくても晴一朗は成果をあげているんだ。人事部長としては彼を首にするいわれはないね」

旗色が悪くなったことに気が付いた酒々井は方向を変え晴一朗のご機嫌を取りこの場を乗り切ろうと判断した。

「いやー、すばらしいな、晴一朗君! 君がこんなに出来る男だと思わなかったよ」

そして酒々井は思った。この場を乗り切るためには晴一朗の話すターンを極力減らすことだと。

「君蝶にこを首なんて言ったのは時代遅れのロートルには君のすばらしさが理解できなかったからなんだ、許してくれ。さあ、今日は外回りして疲れただろう。銭元部長と私は今後の話もあるから、君はゆっくりやすんでくれ。いや、ちょっと村までひとっ走りして部長にこの地方特産の小田でも買ってきてもらおうかな」

そういいながら酒々井は晴一朗の背を押し部屋から追い出そうとした。しかし酒々井がドアに手をかけようとしたとき、それは逆に開いてきた。

「セイー、頼まれていたこと終わったよー」

部屋にはくたくたになったサリナが入ってきた。酒々井はしめたと思った、島の地理に詳しいサリナと一緒に行かせればさほど不自然にはならない

「サリ……」

しかし酒々井が声をかけるより前に銭元がサリナに声をかけた

「サリナ、会いたかったよ」

サリナは不思議そうな顔をした。

「すいません、ミス。ちょっとサリナ、どこで会ったか記憶が存在しなくて」

「私だよ、サリナ。昨日も話したじゃないか」

昨日も話した、それを聞いてサリナはすぐに閃いた。いや、思いついたのだ。

「その声は、もしかしてニャミー!?」

サリナは銭元に抱きついた。晴一朗も状況が呑み込めないって顔をしていた。

「サリナ、部長と知り合いだったのですか?」

「ううん、セイ。ニャミーに会うのは今日が初めてだよ。ニャミーはサリナの電話のフレンドだよ」

そういえばサリナはよく電話するフレンドがいるって言っていた。

「でもこんなに素敵な人だとは思わなかった! ねえ、ニャミー、どうしてサリナがサリナってわかったの? お互いに声しか記憶してないとおもったけど」

「日本人はみんな魔法、というか忍術が使えるんだよ」

「もう、ニャミーは冗談ばっかり」

サリナはそう言いながらケラケラと笑った。

「それにしても、ニャミー来るなら言ってくれたらいいのに」

「ごめん、ごめん、驚かしたくてね」

サリナとじゃれる銭元は年齢相応の女性に見える。晴一朗は聞いた。

「部長、ニャミーですか?」

「ああ、私の名前はミナミだがな。この島では少しいいにくのだろう」

銭元はさらっと答える。しかしさすがの晴一朗もニャミーという名には違和感しか覚えない。晴一朗の視線も気にせず銭元はサリナの頭を撫でた。

「サリナ、喜んでくれてありがとう。でもまだ仕事中だろう」 

「ニャミー、今日はどこで泊まるの? サリナの家にくる? それと今日の夜はフェスティバルがあるんだよ」

「あいにくだが今日はこの後日本に帰らなくてはいけなくてね、また今度改めてお邪魔するよ。それから今から仕事の大事な話をするから終わったら連絡する」

「絶対だよ。プロミスだよ」

「ああ、約束だ、それよりサリナ」

銭元はサリナの肩を組んだ。

「君の好きな人を誘わなくていいのかい?」

「オフコース。もちろん誘うよ!」

「そうか、そうか。君たち二人の話の報告待ってるよ」

銭元は笑いながらサリナを部屋から追い出した。酒々井はおべっかを言う。

「いやー、さすが部長。海外のこんなところにも友人がいるとは」

銭元は大げさにため息をついた。

「酒々井、君は晴一朗くらい鈍感な男だな」

なぜここで自分の名前があがるのか、晴一朗は不服に思った。

「そう難しいことじゃない、サリナからきみの課の情報は筒抜けだったんだよ」

「な、なんのことでしょうか?」

銭元は吐き捨てるように言った。

「菅谷の悪行もすべて私は聞いている」

「そんな、そんな偶然が」

酒々井は腰を抜かしたように椅子に座った。

「偶然なんかではない。サリナをこの職場に送り込んだのは私だし、サリナが私に電話をする様に仕向けたのも私だ。ついでにいえば、晴一朗をこの職場に送り込んだのはサリナを目立たなくするためだ」

「はい?」

またも自分の名前がなぜか上がり、晴一朗はまぬけな返事をしてしまう。

「税務署の友人からすこし聞いていたのだ。自分たちがマークしている危ない資産家複数人が㈱ゼニーの社員に献金してるってな。そこで現地人のスパイを送り込むことにしたんだ。それがサリナだ、サリナもスパイとしての自覚はないだろうが、自分の身に起きたことを残らず報告してくれたよ。まさか好きな人の話までされるとは思わなかったが」

銭元はちらりと晴一朗を見た

「そしてサリナの存在を目立たなくさせるために出来るだけ派手な社員を同時に送り込む必要があった。それが晴一朗だ。この男は非常に優秀だが悪目立ちもするからな。ちょうどよかったのだ。それにしても化学兵器でも開発しているんじゃないかといっていたが、ヒューマンフラワーとはな。菅谷もだいぶうまい商売を考えたようだが、わが社ではイメージが悪すぎて使えない商品だが。まあ、つまりすべて筒抜けっていうわけだ。もちろん私の大切な友人が危害を加えられたのに、その部下を何もせずに放置した課長のこともな」

酒々井はがっくりとうなだれた。

「君の扱いについてはこれから検討するにして、そうだな、君の口からことの顛末をきこうか。ちなみに逃げようとしたところでこの入口の向こうに私のボディーガードが立っている。あまり変な気を起こさないことだ」

チェックメイトだった。酒々井は完全に詰んだ。

「まあ、安心したまえ。菅谷は間違いなく首だが、課長の君は降格や減俸ですむだろう。だがな、私が将来社長になるこの会社で不正は許されないんだよ」

銭元は凛としていった、彼女自身も決まったと思った。舞台とかなら拍手が起こるシーンだろう。誰もが彼女に見ほれるはずだ

「あの」

だが晴一朗は違った。

「なんだ、晴一朗。上司をかばうつもりになったのか?」

「いえ、定時なんでもう帰っていいですか?」

どんな時でも最後まで極端に空気が読めない、つまり晴一朗はそういう男だった。





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