9-5 覚醒

サリナたちが影の大群のほとんどを連れて行ってくれたおかげで、人々の心にだいぶと余裕をもたらしていた。だが晴一朗は見抜いていた。この大亀にはまだたくさんの影たちが潜んでいるのだ。ならば影たちの寝床を一度どうにかしないと根本的な解決は望めない。

晴一朗はアイシャルナを囲むように半円で人を配置し、影が行動を制限していた。さきほどまでスイルがいたことにとり目的をもっていた影たちであったが、スイルがいなくなってからというもの、活動的な行動はしなくなり、ゴム弾のマシンガンでも十分に行動を制御できるようになっていた。

「なるべく弾は節約すように伝えてください」

晴一朗は英語で指示を出す。まだあの大亀からどれくらいの影が出現するかわからない。あの影がフナ虫の特定変異種だとすればフナ虫は夜行性ではないはずだが、もしほかの昆虫の特定変異種だったら日が暮れれば暮れるほど活動的になる可能性もあったからだ。

英語と言えば晴一朗のチームはできるだけ英語がわかるもので固めていた。サリナがいなくなった今、日本語がわかる者はいない。晴一朗も英語は一通り話せたが島で英語を話せるものはそう多くはなかった。よって晴一朗のチームは今伝令役しかやっていない。だからといって安全な役でもない、サリナのチームに次いで危険な役割を彼は担っていた。

「ミスタセイ! アライブ! アライブ!」

彼のチームの一人が物資の到着を告げる。晴一朗が他の班に頼んでおいたもので、㈱ゼニーガラニア諸島支部からもってこさせたものだ。

「わかりました。ではそれを大砲につめてください」

晴一朗は英語で指示を出す。彼の指示通り大砲に次から次へと赤い玉が込められていく。

順調である、まだ流れはこちらにある。もうすぐ事態を収束させることができる、そう彼は確信していた。


晴一朗の合図とともに大砲が発射された。赤い砲丸は半円状の軌跡を描き、次々と砂浜に着弾していく。着弾した弾ははじけ飛び赤い煙を上げた。そしてその赤い煙が立ち上ったところから影は飛ぶように逃げていった。

「次の弾をこめてください」

晴一朗は指示を出し、再び発射されていく。あっという間にテントの中央からアイシャルナに続く赤い道が出来上がった。

「さながらレッドカーペットか」

晴一朗はあえて日本語で独り言をいった。それは今から晴一朗たちが通るためのものだからその表現は間違いではなかった。

彼が村人たちに発射させたのは、㈱ゼニーのガラニア諸島支部の脇で栽培していた大玉トウガラシである。大玉トウガラシの強烈なにおいにこれであれば影たちもあえて近づかないだろうと推測した。そしてその想像は間違っていなかった、晴一朗たちが作ったレッドカーペットには影たちが近寄ろうともしなかったのだ。

「いよいよ作戦開始ですね」

晴一朗は車にありったけの大玉トウガラシを詰めさせた。彼のチームは8人である。この8人でレッドカーペットを通りアイシャルナの近くまでいくのだ。彼は全員にこれも容易させたゴーグルとタオルを配った。これによって目と口をふさぎトウガラシの刺激に耐えるつもりだった。

晴一朗を乗せた車は発信した。赤い道を通ればすぐにアイシャルナだ。こちらに近づいてこないとはいえ、影たちの間を縫って進行するのは非常に恐ろしく不気味なことだった。ほとんどの個体はこちらも見向きもしない。見向きもしないからまだ車で前に進むことができた。

だがどんな集団にも想定外の動きをする個体はいる。どんなにトウガラシの匂いがひどくてもあえて飛び込んでくる個体はいるのだ。影の一匹は突然車に襲い掛かかろうと、村人たちの頭上まで飛び上がった。

車に乗っている者たちは悲鳴を上げた。だが晴一朗は慌てない、持っていたパチガンのトリガーを引き、それをはじけ飛ばした。影の体液が返り血のように晴一朗にかかった。彼はそれを手で拭うと

「落ち着いてください。もう少しで解決するんです」

表情一つ変えずにそういったのだ。村人たちはこの男の氷の心臓に息をのんだ。自分たちはとんでもない男の下についてしまったのではないかとすら考えた。だがもうサイはふられている、日本人は異常者ばかりだ。そしてこの日本人の持つ銃が自分の頭に向かないためにも、と彼らは仕事を完遂させる決心をした。


アイシャルナのそばに車を停める。大地に倒れていても近くで見るアイシャルナは巨大だ。顔だけでも大型トラックを丸呑みできるくらいの大きさがある。

晴一朗は大亀の口元に駆け寄った。彼は確認したかったのだ、大亀にまだ息があるか否かを。彼にはこんな大きなカメがたかだか8つのロケットで死んでしまうとは考えにくかったのだ。そして息があるようであれば、この問題はよりスムーズに解決できると思っていた。

大亀の口元からは大きな風の出入りがあった。呼吸している、ということは生きている。それだけ確認できれば十分だ。晴一朗は島の人間に指示を出した。

「大玉トウガラシをアイシャルナの口に詰めてください」

島の人間にとってアイシャルナは神である、そしてなにかは知らされていないが大玉トウガラシが劇物であるということを村人たちは理解していた。本来であればそのような罰当たりな行動をしたがらない。だがこの時ばかりは違った、島の神よりも目の前の人の形をしている悪魔のことを恐れたのである。島の人間は次々と赤い玉を神の口へと放り込んだ。

一通り積み込みが終わったのを確認してから晴一朗はいった

「お疲れ様です。ではこれでこの大玉トウガラシを叩いてください」

一人一本、木製バッドを彼は車に積んでいたのだ。これにはさすがに島民も嫌がった。彼らが身に着けているのはガスマスクなんかではなく簡易的なゴーグル、タオルだけだ。彼らはこの実の中には危険な成分が詰まっており、破裂するとそれが近くに四散することがわかっていた。だからバットなんかで叩いてしまったらあの赤い液体を頭からかぶってしまうことは容易に想像ができた。

バットを渡そうとして拒否された晴一朗は、とくに何かを言うわけでもなく、自分から一番近かった実を思いっきり叩いた。実は村人の予想通り爆裂し、晴一朗は赤い液体を頭からかぶった。そしてその状態のまま再び村人たちにバットを差し出した。

晴一朗からすれば彼らが何をすればいいのかわからないのかと思って、大玉トウガラシを殴打した。自分の体中に浴びた赤い液体は体にある程度の痛みをもたらしたが、それは大したことではない。人間の細胞など常に生まれ変わる、いずれこの痛みも消えてしまう、それだけの話だと思っていた。

しかし村人たちは違った。彼らには晴一朗がこう言っているように見えたのだ。

「やらなければ、お前の頭もこうやってくだいてやる」

なんといってもこの男は何を考えているかわからない。下手に逆らうとなにをされるかわからない。その場にいた村人たちは慌ててバットを握った。


大亀の歯の間ところどころに置かれた大玉トウガラシの前に村人たちはたった、いや立たされたというほうが表現として適切であろうか。

アイシャルナの顔に大きさに比べると村人たちは実に小さい。大亀の寝息で吹き飛ばされそうになっている。

彼らは晴一朗の合図で自分の目の前の大玉トウガラシを砕くことになっている。同時にトウガラシを口の中で破裂させて、このノロマな亀を叩き起こすといっていたのだ。なんと罰当たりなことを考えるのだ。だが、これをやらなければ島は救われないとも晴一朗はいっていた。

「いきますよー、3、2、1、ゴー!」

晴一朗の掛け声とともに、8つのバッドは降り降ろされた。鈍い音と共にアイシャルナの口の中には激辛の液体が広がっていった。


アイシャルナは深い眠りの中にいた。だが突然口の中に激痛が広がりたたき起こされた。

「グオオオオオオオオオオ」

大亀は低い唸り声をあげた。その唸り声で口元にいた村人たちの鼓膜が破けそうになった。こんなに大きな声を出すのだなと晴一朗は感心した。

「ウオオオオオオオオオオ」

その時晴一朗は後ろからも叫び声を聞いた。驚嘆、歓喜、そういった感情が入り乱れた叫び声だ。テントにいた人々が大亀が生きていたことを告げる唸り声を聞いて、叫び声をあげたのだ。

大亀は体を再起動させようとしていた。晴一朗は村人たちに車まで下がるように指示をする。アイシャルナは首を動かし動く方向を考えているようだった。島の方向に来たらたまったものではないが、大亀はまっすぐ海を見据えた。

万事うまくいった、その場にいた誰もがそう思った。晴一朗さえも島から立ち去ろうとする気配を見せるアイシャルナを見てため息をもらしそうになった。あとは下手に刺激さえしなければこのまま神は島から立ち去ってくれるはずだ。

だが事件というのは一筋縄に終わらないものだ。晴一朗は最悪の事態をいつも考える癖をつけていた。晴一朗が考えていた最悪の事態とはアイシャルナをたたき起こしたことで影たちがまた沸いて出るのではないかと考えていた。しかし影たちはアイシャルナが再び動きだそうとしても、その甲羅から顔を出すことはなかった。顔は出さなかった、だが事態は晴一朗が想定していたものと全く逆に動き始めた。


アイシャルナが動く気配を見せたことで、影たちは再び目的を持った。

「住処が動き出した。住処がまた海の底にいってしまう。そうなる前にまたあの穏やかな甲羅の中に戻らなければ」と。

影たちはアイシャルナに向かって再集合を始めた、それは村人や島にとっては素晴らしいことだ。村人たちはもう影と戦う必要はなくなり、島は守られたのだ。

だがそれはアイシャルナを遠巻きに眺めている人間たちの発想である。アイシャルナの間近にいる晴一朗たちにとってはそうではない。とんでもない物量がトウガラシの液体など無視して晴一朗たちにむかっていた。

「うわあああああああ」

村人たちは悲鳴をあげた。自分たちはマシンガンも持っていない。もっているのはバットだけだ、こんなもので対抗できるはずがない。けれど逃げ場もない、陸地という陸地から影が押し寄せてきているのだ。

晴一朗は叫んだ。

「ダイブ イントゥー ザ シー!」

海に飛び込め、あえて単語を区切りながらいった。晴一朗は覚えていた。この影たちが自分から海水に入ることをしていなかったことを。おそらく泳げないのだと彼は推測していた。だがそんなこと実はどうでもいいのだ、今彼らの逃げ場は実際海にしか存在しないのだ。

村人たちは晴一朗の声に我に返ったようで、海の方へと猛ダッシュした。もともとガラニア諸島の人間は日本人より日ごろから体を使っている。村人たちはあっという間に晴一朗を置き去りにして海に飛び込んだ。

なんだこの人たちは早すぎないかと晴一朗はちょっと笑いそうになりながら、自分も海に逃げ込もうとした。しかしその時に気が付いた、村人が一人足りないことを。

「ヘルプ!」

晴一朗は自分の背の方へ振り返った。村人の一人が自分のすぐ後ろでなにかに足をとられ倒れていた。

晴一朗はすぐに彼を助けに戻った。晴一朗にとって彼は今日初めて会う人物だった、だから自分の身を賭して助けたいという人物でもない。だが晴一朗は自分の他人の命の価値にさないと思っている男だ。自分の身を使って、両方が助かれば、もしくはどちらかが助かれば、それはマイナスではないと考えていた。それに自分が一番近いのなら自分が助けるのが最も合理的だと判断した。どんな状況であっても、つまり晴一朗はそういう男なのだ。

影たちは目の前まで迫っている。その時晴一朗は地鳴りを感じた。アイシャルナの片足が再びたち、体を起こそうとしていたのだ。今まで村人たちの目の前にあったアイシャルナの顔が再び頭上高くまで舞い上がろうとしていた。晴一朗は悩まなかった、彼は片手で村人を抱え、空いている方の手でアイシャルナの口へとしがみついた。

アイシャルナの顔は高隈で舞い上がったおかげで晴一朗は間一髪難を逃れた。

顔になにかくっついたアイシャルナは驚き、顔を左右に振った。晴一朗はそれを好機と判断した。彼は村人をそのタイミングに合わせて海に放り込んだのだ。投げられた村人は弧を描いて海に落ちた。

次は自分の番だと晴一朗は再びアイシャルナが首を振った時に飛び降りようとした。だが晴一朗はタイミングを外した、彼も海に飛び込もうとしたが彼の体は少しだけ宙に浮き、アイシャルナの口の中に落ちそうになった。

晴一朗は死を覚悟した。ここで死ぬのは仕方のないことだ、一人の命で島を救えたのならプラス収支であるだろうくらい考えた。だからこそ最後まで冷静さを失わなかった彼は口の中にあと少しで入る瞬間に、たまたまあるものを見つけた。それはさっきまで誠一郎たちがアイシャルナの口に詰め込んでいた大玉トウガラシだった。晴一朗は最後まで冷静で、だからこそ傍から見ればあきらめの悪い男なのだ。

「これを撃って諦めるのが、まだ道理にかなっている」

彼の眼光には光がともった。持っていたパチガンをアイシャルナに発砲したのだ。発砲と同時に晴一朗は完全にアイシャルナの口に落ちた。しかし晴一朗が幸運だった。彼の放った玉は直接大玉トウガラシには当たらなかった、だが弾は歯に当たり跳弾した。大玉トウガラシは爆裂したのだ。アイシャルナは驚き、口の中のもの、つまり晴一朗を海へと吐き出した。

晴一朗は背中から海にたたきつけられた。そしてその直後アイシャルナは海へと潜り、大波を起こした。

砂浜にさっきまであんなにいた影たちはどうにかアイシャルナに間に合ったようで、一匹も姿が見えなかった。

晴一朗は言うとアイシャルナが起こした波に乗って、少し沖合のほうで天を見ながら浮いていた。

そして彼は自分の完全防水の腕時計を確認した。

「11時10分前。昼休憩はちゃんととれそうですね」


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