9-4 影の大群
サリナは舞い上がっていた。直前に晴一朗の指示で何班かに分けられた中でサリナはスイルと共に行動する班に割り当てられた。
自分たちの班が最も危険だと晴一朗はいっていた、しかもサリナはその班の中核を役割をすることのになった。
まだ16歳の少女が、誰も経験したことがない危機の対応において、最も危険で最も重要な役割を任されてしまったら、その少女は満足に動くことができなくなってしまうのが普通だ。そもそも今サリナが任されたのは誰に任せても尻込みをするような役割であるのだ。
しかしサリナの気分は高揚し、今の自分ならどんなことでもできると確信していた。その理由は晴一朗にある言葉をかけられたからだ。
サリナは出発前に晴一朗にこう言われた。
「僕はサリナのことをこの島で誰よりも信頼しています。だからこの最も重要な役目を貴方に任せたい」
自分が好きな人間から、なんでも出来る優秀な同僚から、誰よりも信頼しているといわれた。サリナは歓喜しているのだ、その事実に全身から力がみなぎっていた。晴一朗としてはあくまで『この島で』といったつもりではある。だがこの島から出たことがないサリナにとっては『この島で誰よりも信頼している』とは『世界で一番信頼している』ほぼ同義だった。
「スイル、しっかりホールドしててね」
「スイ!」
サリナはスイルを後ろに乗せてバイクで走っている。そして自分の後を三台の車が追走している。車は自分たちの護衛およびフォローが役割だ。
そして車の後からは地鳴りのような音が聞こえる。セイの言ったとおりだとサリナは振り返る。
自分たちのことを黒い影の大群が追いかけてきていた。
サリナは出発前に晴一朗から説明を受けていた。
「いいですか、サリナ。これはあなただけに話すことです。推測の域は出ていませんが、おそらく間違いないことだと思います」
この時点でサリナは班分けを聞いた直後だったので、自分と晴一朗の班が一緒じゃないことを不服に、そして不安に感じていた。
「サリナにだけ話すってどういうことなの? みんなに情報公開したほうがアクションも取れると思うよ」
「それはだめです。他の方からしたら余計な情報です。僕とずっと一緒にいたサリナにだけ話したいです」
「オーケー、セイ。どんなトークなの?」
「あの影、あの虫の大群がこちらに迫ってきている理由です」
それこそみんなに話したほうがいいのではないかと思いながらサリナはうなずいた。
「さっき先輩が襲われていたのを見て、わかりました。つまり彼らがこちらに向かっている理由はここにスイルがいるからなんですよ」
「スイル? スイルとなんの関係性が存在するの?」
「前にサリナが言っていたじゃないですか。スイルの周りに虫が集まると。つまりそれだけの理由なんですよ。ヒューマンフラワーは虫を吸い寄せる。それはあの影の大群も例外じゃない」
サリナは晴一朗のコテージでスイルに虫が寄ってきているのを思い出した。
「おそらくスイルは植物ですから虫を吸い寄せる揮発性の物質を体内に持っているんだと思います。それによって昆虫どもがこちらに押し寄せてきていると考えられます」
「そういえばスガヤもヒューマンフラワーの頭をもっていたっけ? でもそれなら確かにサリナとセイのシークレットにしていたほうがいいかも」
「理解が早くて助かります」
つまりスイルがあの虫に狙われているということなら、村人の中にはスイルを差し出せば祟りが収まると考えるものもいるだろう。だがそれは大きな間違いである。スイルがいるからあの虫どもは目的を持ち行動している、つまりスイルがいなくなれば虫どもは目的を失い四方八方に散りだすだろう。そうなってしまえば今のように一方向だけ守ればいいという問題ではなくなる。
「その事実をわかってもらった上でサリナにやってもらいたいことを話します。ただ作戦を聞く前にこれだけはわかってください。これから先、何個か信じられないことが起きます。ですが僕とスイルを信じてください」
サリナは強く頷いた、そのあとに彼女は「信頼している」どうこうの話を受けたのである。
つまり今サリナたちの後ろを黒の大群が追ってきているのは、サリナがスイルを連れているからなのだ。だが追従する車に乗っているものはなにも知らない、日本人が不思議な魔法をもって黒い影を操る術をサリナに伝授したくらいに考えていた。
サリナたちはスピードをそこまで出さずに運転している。影の大群の進行スピードに合わせているのだ。サリナたちの目的は誘導である。影をある場所まで誘導するのを晴一朗に任されたのだ。
追従する車たちは時折スピードを落とし、大群の中から影がひとつでも離脱しないかを監視していた。ときおりマシンガンで牽制をしてみる。黒いつやをもった影の大群、それを眺めているだけでも吐き気を催す光景である。
今から行く場所はサリナしか知らない、車を運転する男たちは黒い影の大群を見ながら心が押しつぶされそうになっていた。
車を海岸沿いに走らせ10分程度たったくらいだろうか、ジャングルの入り口に到着した。
「出来るだけついてきて!」
サリナは現地の言葉で車にむかって叫ぶ、ここから先は車両では通れない道があるかもしれない。だからといってサリナのバイクも安全というわけではない、いつ木の根にひっかかって転倒してしまうかもわからない。それでもサリナはスピードを落とさずに進んだ。後続の車は一台、一台と二人の後を追えなくなってきている。それほどに足場は悪く、狭い。だがサリナは決して止まらない。
大丈夫、大丈夫だ、全部うまくいっている。サリナは自分に語りかける。幾度根に引っかかろうとしても、幾度バイクが倒れそうになったとしても、うまくやっていけている。自分は愛する者に世界で一番信頼されているのだから。
もう目的地だ。あとはこの崖を降りるだけ、サリナがそう思った矢先に、彼女は不穏な物音を聞いた。さっきまで一律に聞こえていた影の足音が乱れてきているのだ。
何事かとおもい振り返った彼女は、想像していないものを見た。
「ワッツアップ!?」
さっきまでスイルをずっと追ってきていた黒の大群は方向が二つに分断しているのだ。片方は以前自分たちを追ってきているが、もう片方はジャングルの奥地に進もうとしている。いったい何が起きたのかサリナには理解できなかった。スイルの匂いが届かないまで距離が開いてしまったのか、それともジャングルに入ったことにより、影たちが興味を示す他のものが出てきたのか。
「ま、まって!」
このままでは影によって島を壊滅させられてしまう、サリナは方向を転換しようとした。しかし焦った彼女は足元が見えていなかった、彼女のバイクは木の根にひっかかり転倒した。
「ぐっ!」
サリナはバイクから放り出さて木に背中を叩きつけられた。彼女にとってそれは人生で今まで経験したことがないような痛みだった、だが彼女は涙も流さなかった、悲鳴も上げなかった。それどころかバイクを起こし再び走り出そうとした。彼女を突き動かしているのは、ただ一言言われた晴一朗の言葉だけだった。
「セイが、サリナを信頼して、いるんだ。ネバーギブアップ……」
しかし意志に反して体が動いていない、力が入っていないのだ。その上は頭もうまく動いていなかった。バイクが倒れるまで後ろに乗せていた彼女の大切な友人が見当たらなかったのだ。
「ス、スイル!?」
彼女は辺りを見回した。だがスイルの姿はなかった。サリナは最悪の事態を想像した、あの黒い影どもに自分の友達が喰われてしまったんじゃないかと。むしろ今の彼女にはそれしか想像することができなかった。
「ダム! よくも!」
サリナは無謀にもパチガンをもって友達のかたき討ちをしようとした。だが彼女の体はうまく動いてくれない、木にもたれかかって体を維持するのが精いっぱいだ。それどころか影は迫ってくる、このままではサリナも飲み込まれてしまうだろう。
「セイ、サリナは……」
気力だけでもっていた彼女の体はその絶望的な状況を前に倒れこみそうになっていた。だけど最後まであきらめるわけにはいかないんだ、サリナはパチガンを構えた。
「スイ!」
その時、彼女は聞きなれた鳴き声を聞いた。声の方角をみるとスイルが崖沿いにたっていた。またサリナは気づいた、日ごろからスイルは甘い匂いを漂わせているが、今スイルからはいつも以上にむせかえるような甘い匂いが発せられていることを。
それは影たちも感じ取ったようだった。さっきまで二つに意志をもっていたそれは再び一つの意志の集団に戻り、スイルに襲いかかった
「スイル! ランナウェイ!」
サリナは叫んだ、今すぐにスイルにもとに駆け寄れない自分の体を憎んだ。スイルを助けなくては、私は一生ここで後悔する、彼女の気力が再び彼女に力を与えた。サリナはパチガンを放った、その弾は先頭にいた影に当たった。だが所詮数個体に当てただけだ、全体の勢いが止まることはない。
サリナは自分が転倒してしまったことを激しく後悔した、スイルは今どんな表情をしてるんだ、きっと自分を恨んでいるんだろうなと思った。
だがそうではなかったのだ。スイルは笑っていた、サリナににっこりと微笑むと、そして崖の方へと飛び込んだ。
「ス、スイルー!!」
サリナは崖の方へ駆け寄ったが当然間に合うはずもない、スイルが飛び込んだと同時に影の大群も一匹残らず崖底に落ちていった。
サリナは激痛も忘れ崖のほうまで駆け寄り崖底を覗いた。
そこは崖底で唯一光が差し込む場所であった。そして大きな大きな花畑が広がっている。影の大群はそこに落下した。そして影たちは花畑に喰われていた。
そこは以前晴一朗がスイルと出会ったすぐそばのモンスターの花畑だった。食獣植物の花畑、食獣植物によって影たちは喰われていたのだ。おぞましい光景だった、食獣植物たちは次から次へと影を食いちぎっていく。あっという間に黒い影は見当たらなくなってしまった。
こここそがサリナたちの目指す目的地だった。本来であればスイルに食獣植物をコントロールしてもらい自分たちは花畑の中心に入って、影の大群を食獣植物に駆逐してもらうつもりだったのだが。
「スイル……」
しかしこの高さから落ちたのなら、さすがのスイルも無事では済まないだろう。だけどスイルは自分と違いモンスターだ。もしかしたら望みがあるかもしれないと、サリナは谷底を目指そうとした。
「クイ!」
その時であった。崖のちょうどかかっている大樹の枝につかまっているヒューマンフラワーが顔を出した。スイルではない、だがサリナがどこかで見たことがあるヒューマンフラワーだ。
「スイ!」
そしてそのヒューマンフラワーの腕にさらにぶら下がりながらスイルが顔を出した。
「スイル!」
スイルは崖に飛び込んだのではない、崖の上の枝にいた、ヒューマンフラワーにつかまったのだ。そしてサリナは思い出した、スイルを助けたヒューマンフラワーは菅谷につかまっていた少女だったことを。実はこのヒューマンフラワーがこのジャングルにたまたまいたことにより影の大群は二手に分かれてしまったのだ。そしてこの菅谷につかまっていた少女は危険を察知し、安全なところへと逃げていたのである。
「よかった、真によかったよお」
楽しそうに遊ぶ二体のヒューマンフラワーを見ながらサリナはその場にしりもちをついた。
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