9-2 バケモノ

酒々井は誰もいない職場で優雅にティータイムを楽しんでいた。彼の最近のお気に入りはガラニア諸島産の紅茶だ。サリナに紹介してもらったもので、名前をミゲルロというらしい。眠気が覚めるほど非常に強い癖をもつ紅茶で初めて飲んだ時は、吹き出しそうになったが慣れてしまうとこの癖がむしろ良くなり、普通の紅茶じゃ満足できなくなっていた。

パソコンをつけてはいるが酒々井は今日なんの仕事もする気もなかった。今日は島で一番大きな祭りであるアイシャルナの日だ。だから二人しかいない職員は出払っている、だから自分は仕方がなくここで留守番をするしかないという風に決め込んでいるのだ。そんな中でも明らかにさぼったりするわけではなく、仕事をするふりを忘れないのがこの男の小心者さを表している。

酒々井がもう一杯紅茶をいれようかと考えている時に、ふいに職場にある電話が鳴った。しかもご丁寧に自分の席である課長直通の電話である。こういう電話はたいていろくな話ではない、酒々井は用心しながらその電話を出た。

「はい、酒々井ですが」

「お疲れ様です、佐藤です」

感情の起伏が少ない声、電話の主は部下の晴一朗だった。酒々井は少しだけ安堵する。

「やあ、晴一朗くん。まだアイシャルナの途中じゃないのかい?」

「いえ、それがかなり非常事態でして」

晴一朗はそういうがまるでその声には非常事態さを感じられない。

「なにがあったんだい?」

晴一朗の言い方が言い方なので、酒々井はさほどの事態ではないと判断した。

「戻ってから詳しい説明を差し上げますので、今は要点だけ説明します」


酒々井は頭を抱えた。晴一朗の言葉は少ないが要点をとらえた確実な説明は、酒々井の頭に直撃した。

つまり最近姿を見せていなかった菅谷が破壊兵器をもってアイシャルナを攻撃、アイシャルナが倒れたと思ったら、今まで見たことがないような巨大な昆虫の特定変異種が島に上陸した。同時に昆虫の特定変異種をこのままにしておくと、島の壊滅および多大な被害者がでると推察されるということだった。

「課長、確認させていただきたいんですが、先輩はまだ当社の社員なんですよね?」

「ああ、まだ社員になっている」

「なるほど、了解しました」

酒々井は菅谷がこんなおおそれたことをするなんて思っていなかった。あの小太りの社員がまさか兵器をもって島のシンボルを破壊しようとし、結果として大災害の原因をつくるだなんて誰が想像できようか。

「適正な処理をしていただけたと聞いていたので、自分も想定外でした。申し訳ありません」

晴一朗は電話先で謝ってこそいるが酒々井は責められている気がした。酒々井は結果として菅谷になんの処罰も下さなかったのだ。本来であれば、業務時間内に私腹を肥やすための副業をし、その収入を会社に報告せず脱税しただけでも処分対象だ。さらに菅谷はサリナを誘拐し晴一朗に危害を加えしようとした、これは処分どうこうではなく、正真正銘犯罪である。だがそこまでした菅谷を酒々井はどうもしなかった。㈱ゼニーの評判、ひいては自分の評価に響くと思っていたからだ。なにより酒々井はこの状況を本社に報告するのを面倒がったのだ。時期をみて菅谷を自主退社したことにすればいいと考えていた。自分の社員と島の娘っ子を一人黙らせておけば済む話だと思っていたのだ。

言葉を失った酒々井に電話の声は問いかけた。

「それで、課長いかがしましょうか」

ああ、そういえばこの男はそういう男だったと酒々井は思い出した。合理主義者で杓子定規、報告・連絡・相談は欠かさないそういう男だった。

「どうしましょうっていってもなあ」

そんなことを言われても酒々井は困惑した。こんな事態酒々井にとっても初めてのことであり、当然だが解決策が思いつかなかった。そしてなにより自分が指示を出せば、電話先の男はそれを完璧に実行するだろう、結果は失敗するかもしれないが。しかしそうなってしまうとこの問題の責任はすべて自分が負わないとならなくなる。菅谷のことは仕方ないとしても、大災害を食い止められなかった原因まで自分に押し付けられるのはどうしてもさけたかった。

「そんなことをいわれても、私もその場にいないから、正しい判断をくだせないし」

「と、いいますと?」

「まあ、うん、つまり現場判断に任せるよ。全権を君にゆだねる」

こう言っておけばもしも悲惨な事態になった時に、現場が勝手に判断したと言い逃れをできると酒々井は思った。普通の社員ならこんな指示をされたら困惑するはずだが、酒々井も晴一朗がどんな男かわかってきていた。

「了解しました。失礼します」

それだけ聞こえたと思えば電話は切れた。酒々井は小さくガッツポーズをした。これで晴一朗をトカゲのしっぽぎりすれば自分の責任は少なくなる。変な男であるがこういう風に使える日が来るとは思わなかった。

そう思った矢先、また再び電話がかかってきた。またか、酒々井はすこしイラつきながら電話に出た。

「はい、晴一朗君か?」

「いや、銭元だが」

耳元にはさっきと違って凛とした女性の声が聞こえた、その声の主が誰かすぐにわかった。

「銭元部長? こ、これは失礼しました」

声の主は人事部長の銭元である。酒々井の年齢の半分しかないような若い女だが、酒々井よりはるか高いポジションにいる。

「いや、かまわない。そこはあまり電話がなることもないだろうしな。部下からかかってきたと考えても仕方がない」

「ありがとうございます。それでどんなご用件でしょうか?」

酒々井は恐る恐る聞いた。

「いや、なになにか困ったことでも起きてないかと思ってな。まあ、虫のしらせなんだが」

恐ろしい虫の知らせだ、この女がここまで登りつめたのは勘の良さによるものなのかと酒々井は思った

「いえ、とんでもない。なんせ人も来ないような課ですから、これといった問題もなく」

「ならいい。そうだ、晴一朗はどうだ? あいつは私のお気に入りなんだが、いかんせん使いにくい男だろう」

「いえ、そんなことはありません。よく働いてくれています。ただちょっとロボットみたいなところがありますが、それも慣れれば彼の味かなと考えてます」

「ふむ、君はいい上司だな」

思いもしないところで評価されて酒々井は冷や汗が流れた、いまその部下を切り捨てようかと考えてたところだ。

「ただな、君とはまったく逆のことを前の晴一朗の上司は言っていたよ」

「どういうことでしょうか? 彼が人間らしいということですか?」

「いや、そうじゃない。前に渡した資料にあの男に『全権を任せる』と言ってはいけないってことが書いてあっただろう」

「は、はい、もちろん」

酒々井はそれを見ていなかった。

「前の上司はこういっていたんだよ。『佐藤晴一朗はバケモノである』とな。彼は自分の合理性のためなら常識や社会通念をすべてぶち壊すそうだ。どうだ、面白い男だろう」

銭元は愉快そうに笑った。電話越しに酒々井は愛想笑いをしたが、その笑顔は引きつっていた。

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