6-4 告白
晴一朗はようやく家にたどり着いた。ずいぶんと長い一日だったがまだ9時にもなっていなかった。部屋の隅ではスイが丸まって眠っている。晴一朗はそれに毛布を掛けてやった。そもそも熱を持たない彼女が毛布を必要とするかは疑問であったが、このままではあまりにかわいそうだと思ったのだ。思えば不思議な生き物だ、そもそもこの子たちも寝るのだなと思うと晴一朗は非常に不思議な気分になった。
眠っているスイを気遣いなんとなくつけていたテレビの音量を絞った。するとバスルームから聞こえる水の音がよく聞こえるようになった。
晴一朗はサリナをコテージに連れてきていた。サリナはあのジャングルのどぶのような池に落ちており一刻でも早く体を洗い流させてやりたかった。精神的な問題でもあるし、破傷風なども怖い。晴一朗のコテージからさらに遠くにあるサリナの家まで送り届けるより、自分の家で水浴びさせるほうが建設的だと考えたのだ。また年頃の娘を頭から足の先までどろんこのまま家に帰してしまうのも忍びなかった。
そういえば、と晴一朗はキッチンに立った。サリナはたぶん朝から何も食べていないだろう。もしかしたらなにも飲んでいないかもしれない。菅谷たちが人質の人権を守って扱っていたとはとても考えにくかった。だったら今まで飲まず食わずで頑張ってたのかもしれない、風呂から出たらすぐに何か与えてやるべきだろうと思った。
しかし残念なことに晴一朗は女の子が喜ぶようなものの作り方を知らなかった。いつも栄養のことだけを考え、ボイルした鶏肉と野菜と少々の炭水化物だけど三食済ませているような男だ。女の子が喜ぶようなものを作れるはずがない。さらにいえば冷蔵庫にはボイル用の鶏肉と野菜しか入っていなかった。
鶏肉と野菜だけでも気の利いたものも作れなくはない。だが晴一朗は残念な男だった。自分が日ごろ食べているものは決してまずくはない、だったら仮にサリナが食べてもまずくないと感じるのではないかと考えたのだ。ちなみに晴一朗が日ごろ食べているものは極端に減塩されていたりして、まるで病院食のような出来栄えだった。それを食べてサリナがおいしいと思うはずもないだろう。
バスルームの扉が開く音がした。もうサリナが上がってくる。晴一朗はとりあえずお湯だけでも沸かすことにした。服を着たりするからまだしばらく時間がかかる妥当
「セイ、シャワーありがとう」
しかしそう思っていたのにサリナはすぐに晴一朗の前に現れた。その理由は簡単だった。
「サリナ、服を着てください」
サリナはバスタオル一枚だけ巻いて上がってきていた。晴一朗に使い古された貧弱なバスタオルはサリナの豊満な体を隠しきれいているとは言えなかった。彼女の褐色の肌と白いバスタオルの対比が美しかった。
「あんなに汚れた服を再度着ろっていうの? いやだよ」
そういえば晴一朗の家には女性ものの衣服がなかった。当然といえば当然であるが、晴一朗は自分の手際の悪さに少し後悔した。
「ちょっと待ってください。今、サリナが着られそうな服を探しますから」
「ノープロブレム。ちょっとこの格好で過ごすから今は大丈夫だよ」
「いえ、僕が大丈夫じゃないので」
こんなところを誰かに見られたら、晴一朗は社会的にやばい。
「ところであの子は、どうしたの?」
サリナはスイのことを言っているようだった。
「ああ、あそこにいます。疲れて眠ってしまったみたいなんです」
「そっか。色々存在したからね」
さっき車で、晴一朗はどうやってスイにあったのか、スイにどう命を救われたのか話していた。
「ええ、いろいろありました」
「セイ、あのさ、誕生日おめでとう」
「え、ああ、はい」
「実は今日の金色のカブトムシの話って、セイに誕生日プレゼントを進呈しようとして、ミスタスガヤに聞いた話だったんだ」
「はあ、そうなんですか」
「だけどあれは嘘だったみたいだね。ああやって嘘をついてサリナたちをおびき寄せたんだね」
「なるほど、そういうことだったんですね」
たんぱくに返事をしていたが、晴一朗はかなり驚いていた。晴一朗はあまり察しがいいほうではない。自分たちが向かった先にたまたま菅谷のアジトがあったくらいに考えていたのだ。じゃあ黄金カブトは存在しないのか、晴一朗はすこし残念に思った。しかしなぜ誕生日プレゼントにカブトムシなのか、別に虫好きではない晴一朗は不思議に思った。
「それでね、セイ、サリナは何も進呈できないんだ。ごめん」
「いえ、気持ちだけでも十分です」
彼は本当に十分だと考えていた、誕生日プレゼントなんかもらってしまってはお返しが面倒だと考えるタイプの男である。
「でも、セイの誕生日だったのにサリナのせいで散々な一日になっちゃって」
「別にこの年になれば誕生日なんて毎日と変わらないからいいですよ」
晴一朗は事実誕生日を祝うことをあまりされたことがなかった。
「でも、それじゃサリナは気が済まない。だからどうしてもプレゼントを進呈したいの」
「それでね、サリナよく考えてみたら、サリナはセイに受け取ってほしいものを一つもってたんだ。ちょっと聞いてほしいんだ」
「セイ、今日は助けに来てくれてありがとう」
「正直なことを言うと、セイがサリナを助けにきてくれなくても仕方のないことだとおもってた。誰だって自分がファーストだもん。サリナのことを見捨てられても、ミスタスガヤに騙されたサリナが悪いって思ってた。このまま海外に売られちゃうのかなとか考えてた」
「だからセイが助けに来てくれたとき、サリナはハートがブレイクしそうなくらいうれしかったんだ。」
「セイはぼろぼろになって来てくれた、自分を助けにきてくれたって本当にハートの音が聞こえるくらい大きくなってた」
「それでセイはあっという間に4人倒して、サリナのことを助けてくれた。あっという間だった。セイは優しくて強くて、まるでサリナのビッグブラザーみたいだった」
「それだけじゃないんだ。前にセイのスマイルを見た時もすっごくどきどきしてた。でも今日やっとサリナはサリナの気持ちがわかったの」
「だからお願い。サリナをセイの奥さんとしてもらってほしいの。奥さんってのになる前にジャパンではガールフレンドになるんだっけ。だからね」
サリナの声は震えていた。
「サリナをセイのガールフレンドにしてください」
サリナは魅力的な女性である。その両手両足はすらりと伸び、体つきも女性的であり、健康的で美しい顔だちをしている。強い正義感を持ち、心根も優しく、努力家でもある。また、サリナ自身は自覚していないが頭もよかった、というのも彼女は短い間学習しただけで英語と日本語をほぼ完ぺきに習得していた。非常に高い学習能力を有していた。
だがもし晴一朗とサリナが婚約するとしたらそれは国際結婚になってしまう。日本とガラニアでは文化レベル、風習、常識、社会構造、何もかもが違っていた。そういう中の結婚などしてしまえば、苦労するのは明らかである。
目の前の少女はそれらを覚悟した上で晴一朗に告白をしていた。彼女の魅力、将来のこと、彼女の覚悟。すべてをよく考えて、たとえ良い返事ができなくても、慎重に真剣に時間をかけて返答するべきである。
従来であればそうだ。
だが従来通じるのは普通の人間だけだ。
そして晴一朗は従来が通じる男ではない。
「お断りします」
晴一朗は即答した。
「ホワアアアアアアアイ!?」
サリナは絶叫した。
「え、なんで、普通ここ、イエスっていうとこじゃない? え、セイってガールフレンドいないでしょ?」
「いませんけど」
「え、じゃあ、なんでノーなの? サリナのこと嫌い? 好みじゃない?」
「いえ、サリナは十分に魅力的であると思いますよ」
「じゃあ、なんで?」
今日はやけに説明を求められる日だなと晴一朗は思った。
「断る理由は3つあります」
「まず第一に、サリナの年齢って今いくつですか」
「16だよ」
「日本国憲法じゃ18歳未満に手を出すとつかまってしまうんですよ。だからサリナは若すぎるんです」
サリナは顔を膨らました。
「ここはジャパンじゃないからノープロブレムだよ。それにサリナだってあっという間に大人になるよ」
「2つ目は、サリナが僕を好きになってくれたのは、おそらく吊り橋効果というやつです」
「ツリバシ効果?」
「ええ。危機的な状況のドキドキを近くいる男性へのドキドキと勘違いしてしまうんです。だからサリナは危機的な状況で心臓の音が早くなっていたのを、僕が来たことにより心臓が早くなったと勘違いしたんですよ」
吊り橋効果とは正確にはもっと複雑なものなのだが、晴一朗は心理学を専攻していたわけではないためうまく説明できなかった。
「それは違うよ、セイ。サリナは本当にセイが好きになったの。仮にセイへのどきどきが勘違いだったとしても、セイはあのシチュエーションでサリナを助けてくれたんだよ。あんなジャングルの中で自分の危険を顧みず、そんな人相手だったらこの気持ちが勘違いでもサリナはかまわない」
「あの状況で僕は最善の選択をしていただけです。危険を顧みずとか考えていた訳ではないです」
「うん、だからセイは優しい人なんだよ。サリナのことをフラットな視線で助けに来てくれた」
「ただ、合理的なことをしてただけです」
「ううん、セイは心根が優しいんだよ」
サリナはきっぱりと言い切った、その瞳には強い力が宿っている。晴一朗はこれ以上否定するのをやめた。自分が優しいか否かの論議なんて意味のないことだ。
「じゃあ3つ目、これが一番、大きな理由なんですけど、うちの会社は社内恋愛禁止なんですよ。ガラニア諸島支部も例外じゃありません、だから僕はサリナの申し出を受けるわけにはいかないんです」
晴一朗にとって会社の規則は重要なものだ。晴一朗はそれを破ることはない。よって晴一朗はこの規則がある限り、サリナと付き合うことはできなかった。そして仕事が大切なのはサリナも同様のはずだった。サリナもそうであればと考えを改めるに誓いがなかった。
だがサリナは少し考えてから笑顔で言った。
「じゃあ、サリナ仕事辞めるね!」
「へ? サリナ、何を言っているんですか?」
「ノープロブレムだよ。新しい仕事はすぐ見つかるよ。それにセイが日本に帰るとき、ついてきてほしいかもしれないから、当分はアルバイトでもいいかもしれないし」
「サリナはお兄さんとご両親のために立派に働きたいんじゃなかったんですか?」
「セイも知っているでしょ、それ結局無駄だったみたいだいし、だったらサリナも生きたいように生きようかなって」
晴一朗は焦った。この島に来て一番焦った。だが晴一朗は変人である、焦っている理由がサリナにうまく断れないからということではない。晴一朗のようなデリカシーの欠けた人間なら断るだけならいくらでも断れる。
「サリナそれはだめです。サリナがいなくなってしまっては誰が僕の仕事を支えるっているんですか」
晴一朗はサリナの仕事ぶりを評価していた。正直この島では得難い人材であると考えていた。
「サリナの契約は僕の仕事のパートナーなんですよ。だから僕がこの島を去るまでずっと一緒にやっていってほしいんです。」
今サリナに辞められてしまったらどうなるのか。サリナの後の人間を雇わないとならなくなる。今日死ぬほど実感したが、やはり外回りのときはツーマンセルでなくてはならないだろう、何かあった時に対応ができない。だったら外回りを主とする晴一朗には一人サブが必要である、しかも現地の地理に明るく、現地人の通訳が出来るような人間が。だがサリナほど優秀な人間がほかにいるのだろうか。そもそもサリナ以外で日本語が話せる人間を晴一朗は見たことも。やろうと思えば英語でもコミュニケーションはとれるが、島の人間が英語を得意としているかも不明瞭だ。
それに今こうやってサリナと打ち解けることができたのに、一年もしないうちからまた新しい人間と関係を構築するのは非常に面倒であると晴一朗は考えた。さらに言えば、菅谷はどうなるかわからないが、すぐに職場復帰というのはありえないだろうと想定していた。だからここで人員が2人減というのは課が満足に機能しなくなってしまう。
「確かにサリナがやめるといったら引き留める権利を僕はもっていません。そんなことは社会のルールに反している。だけど僕はサリナに辞めてほしくはありません」
「そんなに私にやめてほしくないの?」
「ええ、強くそう思います。出来るだけ長く一緒にいてほしいです」
必死に語る晴一朗を見て、サリナは考えた、この人はなぜこんなに強く自分にやめてほしくないのかと。
「えー、これがジャパンの噂のやつかー」
そしてサリナは閃いた。これは日本特有の文化である照れ隠しというやつだ。最近ではツンデレというのだっけととかも思った。つまり晴一朗は
「告白を受けたいが、年齢や会社の規則なので受けることができない。だからその時がくるまで待ってほしい。その上で自分がこの島を出るまで仕事もずっと一緒にやっていってほしい、仕事でも君に会っていたい」
と言いたいに違いないのだ、日本人は生真面目だからルールを破る訳にはいかないけど、自分の告白を受けてくれる、だけど口には出すことはできないのだ、そういう風にサリナは理解した。サリナは自分の口元が緩み、体が熱くなっていくのを感じた。本当は今この場で晴一朗に抱きつきだかったが、ぐっとそれをこらえた
「もうセイは正直じゃないなあ。プリティーだなあ」
サリナは抱きつく代わりに晴一朗に握手を求めた。
「わかったよ、ずっと一緒にいてあげる」
晴一朗はサリナの手を熱く握った。
「ありがとう、サリナ、本当に良かったです」
晴一朗は深く安堵し、自然と笑みがこぼれていた。サリナはその笑顔が自分へと向けられたものだと錯覚した。
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