6-2 晴一朗のルール

菅谷は何が起きたか理解できていなかった。さっき晴一朗と握手しようとして差し出した右手が今自分の背中の方にあり、体はサリナたちの方に向けられている。しかも右手を動かそうにも全く動かない。自分の傘下である三人組は間抜けな顔をしてこちらを見ており、真後ろには晴一朗が立っていた。

「ブフ! 晴一朗! 一体なにをした!?」

「あまり暴れないでください、腕が折れます」

晴一朗は握手すると見せかけて、菅谷に関節技を仕掛けた。オーソドックスな技であるが右手を背中に固定し、体の自由を奪うものであった。

「こっちには人質がいるんだぞ」

「それはこちらも同じです。先輩が僕の人質です。さらにいえば、彼らはあまり日本語を理解していませんよね。だから今の状況を正しく判断できていません。そんな彼らが使い物になると思いますか?」

晴一朗の言うとおりだった。ガラニア諸島の三人組は自分たちが今これからどうしたらいいのか全く分からないでいた。そもそも目の前の男が敵なのかもわからないのだ。その状況を察した菅谷は歯を食いしばりながら言った。

「なぜだ晴一朗ちゃん!? 君はパチガンを放り投げたじゃないか、俺たちの仲間になりたいんじゃなかったのか!?」

「僕がパチガンを放り投げたのは、先輩をなるべく無傷で無力化するためです。あれではどうやっても怪我をさせてしまう。それだけの理由です」

晴一朗はあくまで事実を正直に話していた。この男にとってパチガンを放り投げたのは別に菅谷をだまし討ちするための手段ではなく、これから菅谷を無力化するのに本当に邪魔だと思ったからだ。

「くそ! なめやがって! 放せよこのくそ野郎!」

晴一朗は悪態をつく菅谷を無視して、三人組の男の一人にジェスチャーを送った。サリナの口の布をとれと送った。それくらいならいいだろうと勝手に判断したそいつらは用心しながらサリナの口を解放した。

「セイ、こいつらひどいよ! サリナを池に放り込んで気絶させて、ロープで捕縛しらんだよ。げに信じられない!」

サリナが思いのほか元気そうで、晴一朗は胸をなでおろした。

「サリナ、その話はあとで聞きます。今は僕が国際警察だとそいつらに伝えてください。菅谷が国際的な極悪人で君たちも利用されていました、だから君たちはここから即刻に立ち去ってくださいと伝えてください」

もちろん大嘘であるがサリナはすぐに合点がいったようで、現地の言葉で三人に語りかけ始めた。

「先輩、詳しい話は課長を交えて会社の人間だけでしましょう。先輩はルールを犯してますが、まだ帰れないところではありませんから。もう一度、モンスター営業課として再出発しましょう」

菅谷は歯を食いしばった、自分の野望がここでつぶすわけにはいかないのだ。そして菅谷はこういう時のためにちゃんと準備をしていた。菅谷はある単語を叫んだ。それは現地の言葉でも英語でもなく、三人にあらかじめ指示していたものだ。万が一侵入者が入ってきたときに、商品を傷つけないように、武器を持たずに襲い掛かれという指示。その発動を告げる合図だった。

三人は同時に晴一朗に襲い掛かった。

だが晴一朗は慌てなかった。ある程度こういう展開も予想していたのだ。だから対応もスムーズだった。まず菅谷を突き飛ばすように投げ飛ばし、三人のうち二人にキャッチさせた。そのまま菅谷含め三人は倒れこんだが、残りの一人が晴一朗に殴りかかってきた。その拳はみごと晴一朗にヒットした。

「セイ!?」

サリナは悲鳴に似た声を上げた。

「ガアアアアアア!」

サリナと同時に悲鳴を上げている声があった、それはさっき殴りかかった男の声だった。

「晴一朗ちゃんいったい何をしたんだ!?」

ようやく立ち上がったところの菅谷が叫ぶ。晴一朗は顔色一つ変えずに答えた。

「殴りかかってきたんで肩を殴ってもらったんです。ただ僕の全体重を肩に預けてました。拳を痛めてくれるとおもったんですけど、こんなに痛がるとは思いませんでした」

晴一朗は巨大で筋肉質な体をしている。たいして殴りかかってきた男は小柄でやせ細っている。単純にウエイト差が違いすぎたし、島の人間で武術を修めているものはほとんどいなかった。だから殴り方もなっていなく彼の拳はねん挫という形で砕けたのだ。

さらに晴一朗があえて殴られたのにはもう一つ理由があった

「さて、これで正当防衛成立ですね。ガラニアの法律はどうなっているか勉強不足でしりませんが、これで先輩たちを多少殴ってしまっても法的にセーフなはずです」

晴一朗は指を鳴らし、構えた。それは明らかに素人のモノではなかった。菅谷と三人組はその構えのオーラに飲まれそうになっていた。

「くそ! 晴一朗め! 武術経験があることを黙ってたな!」

菅谷が以前聞いたときに晴一朗は道場などに通ったことがないといっていた。

「武術経験? ありませんよ。道場に通うなんて時間とお金を浪費しつつ、時給も発生しないのによくわからない上下関係の中生活させられるなんて、合理的じゃありませんから」

「じゃあ、その動きはなんなんだよ。喧嘩なれでもしてたっていうのか!?」

「ああ、これですか。これは」

晴一朗はすこし考えてから言った。

「武術の動画を筋トレ中に見るとモチベーションアップになるからよく見てたんです。いうなれば僕の師範は動画サイトです」

「ふざけるな!!」

菅谷は吠えた、それと同時に三人組は再び襲い掛かった。

だが今度は晴一朗のほうが動くのが早かった。まず晴一朗は軽やかなフットワークで一番近くの男まで詰め寄り、左右のジャブをしてから体重と回転をつけた渾身のフックをお見舞いした。ムエタイの基礎の動画で晴一朗が見たものだった。

次に顔面を殴ろうとしてきた男を屈んでよけた、同時に彼の両足を抱え起き上がった。男の足は宙へと放り出され、彼は頭から地面に叩きつけられた。これは朽ち木倒しという柔道の技の変形バージョンである。ちなみに晴一朗が自室で使っているダンベルは片方で25キロあるものであり、男の体重も50キロ程度なことからあっという間に投げられた。

最後の一人はさっき拳をつぶされた男だった。恐怖からか明らかに行動が遅かった。だから

晴一朗も対応が間に合ったわけだが、それでも殴りかかってこれる彼に晴一朗は感心した。今度は左手で殴り掛かってくる彼に、晴一朗も左手でいなし、お互いが背を向けた状態から背中でタックルをかました。ウエイト的にだいぶ劣る男は弾き飛ばされた。これは八極拳のテツザンコウという割とメジャーな技であった。

しかしあっという間に三人を倒した晴一朗であったが、菅谷の行動を読めていなかった。菅谷は殴りかかるわけではなく、晴一朗の背中から彼を羽交い絞めにしたのだ。

「今だ! お前らやれ!」

菅谷の日本語がどれだけ伝わったかわからないが、三人はやっとの思いで起き上がり、ゆっくり晴一朗に近づいて行った。

正直なところ、晴一朗にとってこれもそれほど危機的な状況に思えなかった。戦ってみて思ったが、晴一朗と彼らとでは体の造りがまるで違う、そしてスタミナも違う、さらにウエイトも違っていた。日ごろの筋トレとは大事なものだ、まるで子供と大人の喧嘩のようであった。晴一朗が次の手を繰り出す機会を疑っていたその時、意外な形でこの戦いは終了した。

「フリーズ!」

サリナはこちらに向かってボウガンを構えていた。そしてそのすぐ脇にはスイがいた。スイは5人が争っている間に、同族とサリナの拘束を解いていた。

「セイ、もうノープロブレムだよ!」

ボウガンで自分たちが狙われているのを知り三人の男たちの顔色は青くなっていった

「ガイズ! ゲッタウトヒア!」

サリナは英語でここから出ていけと叫んだ。男たちは戸惑っている。だがサリナは殺気を放っていた。

「ハリー!」

サリナは再び叫んだ。男たちは蜘蛛の子を散らすように逃げていった。晴一朗はまだ羽交い絞めにされたままだが、安どのため息をついた。

「くそ! サリナめ! おい聞けサリナ! こっちには人質がいるんだ。おとなしくボウガンを下ろせ」

形成が逆転しているのに菅谷はまだ負けを認めようとしなかった。

「スガヤ! あなたの負けです! そっちこそ服従しなさい!」

サリナはまっすぐ菅谷にむかってボウガンを構えている。だがそれは晴一朗に構えていると同義だった。これはあまり好ましい状況じゃないと判断した晴一朗は、サリナに優しく言った。

「サリナ。ボウガンを下ろしてください。同僚に矢なんて向けるものじゃないです。僕は大丈夫ですから」

「でも、でも……」

「そうだ、サリナとっととそれを捨てちまえ!」

サリナはボウガンを下ろそうとしなかった。背中では菅谷が叫んでいる。事態を収束させるには、実際に証明するほうがはやいと晴一朗は判断した。

「先輩、ちょっとすいません」

晴一朗は羽交い絞めにされた状態のまま、腕を上げ菅谷の後ろ襟首をつかむと、足を折って思い切り前かがみになった。その反動で菅谷は前に投げ飛ばされた。晴一朗は手を払った後、ワイシャツを正しながら言った。

「サリナ、僕は大丈夫なので、だからボウガンを下ろしてください」

サリナはあっけにとられながらも

「やっぱりセイってストレンジマンだよ」

とつぶやいた。


床の上に座らされた菅谷を取り囲むように晴一朗、サリナそして二人の植物が立っていた。サリナはまだボウガンを握っている。晴一朗は捨ててほしかったがサリナがどうしてもと言って譲らなかったのだ。

「くそ、なんでこんなことになったんだ」

菅谷はまだ悔しそうな表情をしている。万全な状態で晴一朗を罠にはめたつもりだったのに見事に返り討ちにあってしまったから悔しがるのも当然だった。

「晴一朗ちゃんは、こっち側の人間だと思っていたのに! 畜生! 金が欲しくないのかよ!」

「いえ、お金は欲しいですよ」

「じゃあなんで俺の話に乗らないんだよ。こいつらが女の子の格好をしているからか!? 馬鹿げている! こいつらはただの植物なんだぞ! なんでなんだよ畜生!」

晴一朗は建設的な話し合いがしたいのに、菅谷はあらぶっている。

「言えよ、晴一朗! お前には説明する義務があるんだろうが!」

菅谷を落ち着かせるために晴一朗は自分の行動原理を話すことにした。

「そう難しい話じゃないですよ。先輩の行動が僕のルールにかなっていなかっただけです」

「ルールだ!? くだらない正義感だろ! このロリコンが!」

「こいつ!」

サリナが菅谷に手を上げようとしたので、晴一朗は制止した。

「もっと簡単ですよ。先輩の行動は会社の職員としてなってなかったからです。話を聞く限り、先輩はこの栽培を業務時間内にやってますよね。それじゃ㈱ゼニーからの給料の不正受給です。これは見逃せることじゃありません」

「は? それだけなのか?」

「いえ、それ以外にも会社に報告せずに栽培を行っていたのも看過できることじゃありません。話を聞く限りでは、どうやら税金もごまかしているように感じます」

「え? え? そんな理由で?」

「もう一つ言えば、サリナを誘拐し彼女と僕が本来働ける時間を奪いました。これは会社に対して明らかに不利益な行為です。僕たちは今日新しい事業を発見できたのかもしれないのですよ」

金色のカブトムシというサリナの話は、菅谷に吹き込まれた嘘であった。だがこれだけ異常事態が発生していても晴一朗はそんなことに気が付く男ではない。

「ブフ、じゃあ、仮にだけど仮にさ。俺が正当な手続きを踏んでこの栽培をしていたら晴一朗ちゃんは協力していてくれたのか?」

「いえ、それもないでしょう」

晴一朗はきっぱりと答えた。

「僕はスイに命を救われました。つまりスイは命の恩人なんです。僕にとって道理は法律や社訓より大切です。だからスイを守ることを最優先してたと思います」

菅谷にとってそれは意外な答えだった。意外すぎてさっきまでの怒りが引いていくのを感じた。

「合理主義者の君らしくないな」

菅谷はこの男がくそみたいな合理主義者だと思っていた。合理性のためならいろいろなものを捨て去るような男だと思っていたのだ。だが晴一朗は首を振った。

「合理主義ですよ、自分の心の健康を優先しているだけです。ここでスイを売れば僕は一生引きずると思います。お金も大切ですが精神面の安定を優先しているだけです」

菅谷はがっくりとうなだれた。この変人を自分と同族と判断してしまったのがすべてよくなかったのだ。こいつの価値判断基準はおかしい、何を優先して何を優先しないのかさっぱり理解できない、少なくとも菅谷は今まで出会ったことがないタイプの人間だった。

「先輩は脱税などの法的処理を受けるとは思いますけど、それでも仕事を首になるほど日本国憲法は犯していません。サリナを誘拐したことだけ目をつぶれば。だからサリナにあやまって許してもらってください。そうしたら先輩は明日も僕らの先輩ですから」

「くさったミカンを切り捨てないのは君のその合理主義に反しないのか?」

「いえ正直なところ、ここで人員一人減っていうのは課としてもしんどいです。人員を増やしてもらえるまで何日かかるかなんてわかりません。だったらもし先輩が今から誠心誠意謝罪してサリナに許しをもらえるならそのほうが課としては負担が少ないです。サリナもそれでいいですか?」

晴一朗はサリナに問う。するとサリナは

「これからのスガヤのリアクション次第だよ。もし病気のリトルシスターとかいてお金がいるとかなら許してあげてもいい」

「ありがとう、サリナ」

もちろん菅谷は純然たる金儲けのつもりで行っていた。

「そういうことです、先輩。サリナに謝罪してください」

「謝罪なんかで許されるべきじゃないと思うけどね」

菅谷は強がりで言った。それに対して晴一朗はうなずいた。

「それはそうです。ですが先輩が国際逮捕なんてことになれば会社の評判にも響きますし、いろいろと面倒ですから。それこそこそこ合理性がある時ではないと僕もしたくありません」

晴一朗はそう冷たく言い放った。

だめだこの男には勝てない、こんばぶっ飛んだ男、俺の常識で測ろうとしたのが間違っていた、菅谷がそう感じた瞬間であった。




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る