5-2 命の恩植物

晴一朗はいったいどれくらいの間気を失っていたのだろうか、十分かもしれないし一時間かもしれない。もしかしたら一日かもしれないが、ようやく目を覚ました。

「気を失っていたのか」

晴一朗自身、自分のことに驚いていた。まだそんなに無理をしていないと思っていたのだ。

「早くサリナを見つけてあげないと。まだ子供なんだし泣いてるのかもしれない」

晴一朗は体を起こそうと力を入れようとした、だができなかった。彼の体はまだ十分に回復していなかった。

その時、ようやく目の前に人影があることに気が付いた。その人影は晴一朗が気を失っているさまをずっと静かに見つめていたのだ。

「サリナ?」

晴一朗は疲れで目もかすんでいた。だから目の前のそれがよく知っているモノだと気が付くのに時間かかった。

「なんだ、君ですか」

つい最近自分に投げ帰られた言葉を晴一朗はそのまま発していた。

「君はいつもどこで現れるかわかりませんね」

晴一朗の数メートル先、本当に手が届くような錯覚するような距離に擬人花がいた、いつものワイシャツの子だ。

「心配して見に来てくれたんですか」

晴一朗はそう声をかけた。いつもの彼なら植物に声をかけるなんてしなかっただろう。だけど疲労困憊状態の彼は自分でも何を口走っているか定かではなかった。

「そのワイシャツもだいぶ汚れちゃいましたね。今度新しいのあげますからね」

まるで擬人花は晴一朗の言葉を真剣に聞いている様だ。その美しすぎるサファイア色の両目に見つめられると晴一朗は恐ろしくなってきた。晴一朗が今まで擬人花と遭遇した時は万全であった。だからこんなに自分が弱っている時に遭ったことはなかった。

その時ふいに、晴一朗はサリナに言われたことを思い出した。

『擬人花に魅入られると帰ってこなかった人もいる』

帰ってこれないの意味を晴一朗は聞けなかった、サリナ自身は冗談だと思っていたからだ。だけどそういう冗談が生まれるということはなにかしろの事情があるっていうことだ。そもそもなぜ擬人花は動けるようになったのか。それはさっきみた食獣植物と同じ理由なのではないか、植物でいてさらに捕食者として進化するためではないのか、そうだとすれば擬人花の瞳に今の晴一朗はどう写っているのだろうか

「今、ちょっと立て込んでいるから、今度また来てください」

伝わるかわからないが晴一朗はそう声をかけた。しかし擬人花は近づいてきた。

「ちょっと今疲れているんで、相手をしてあげられないんですよ」

それでも擬人花は近づいてくる。

「今度、またお菓子をあげますから」

これだけ言っても擬人花は止まらない、そもそも言葉を理解しているかもわからない。晴一朗はパチガンを構えた。

「止まって。君を撃ちたくない」

パチガンの威力を晴一朗はよくわかっていた。この至近距離で打てば擬人花は無事では済まないだろう。

けれど擬人花は止まらなかった。もう本当に手の届く距離にいる。晴一朗の足と彼女の足がくっつきそうだった。

晴一朗はパチガンの照準を彼女の顔に合わせていた。だがそれに彼女はなんの恐怖も抱いていいなかった。この植物は恐怖という概念すら持ち合わせていないようだった。至近距離で見る彼女の顔はそれは美しいものだった。

「さよならだ」

そういった瞬間、擬人花は晴一朗に覆いかぶさってきた。花の中には甘い匂いが飛びこんできた。そして晴一朗はトリガーを引くことはできなかった。彼の腕は疲労しきって震えて満足に動かなかったのだ。それでもさよならといったのは、無意識的にこの世の中に、サリナに言ったのかもしれない。

晴一朗の腰にまたがった擬人花は何のためらいも持たず、その唇を晴一朗の唇に重ねた。

「ん?」

咄嗟のことで晴一朗は抵抗どころか反応もできなかった。そして重ねられた唇から何かの液体が晴一朗の口内に流し込まれていった。

「ぐふ!?」

いきなりのことだったので晴一朗はせき込みそうになった。今自分の体内に流し込まれたのはたぶん毒だ。だが口づけを交わして捕食するなんてまるでおとぎ話の様だと冷静に観察してしまっていた。

しばらく唇を重ねていたが、擬人花はゆっくりと晴一朗から離れた。

ようやく口が解放され晴一朗はせき込んだ。毒が回るのをまっているのかと擬人花の方を見たが、どうやらそういうわけでもなかった。少し前に丘の上で聞いた歌を小さな声で、まるで鼻歌のように歌っていた。

またせき込んだことと驚きで自覚できていなかったが、晴一朗の口に流し込まれたものは粘着性があり、そして非常に甘いものだった。

「これは……、はちみつ?」

晴一朗の推測はおおよそ正しかった。擬人花の口からははちみつと成分が似たものが分泌される。またそれはちみつの数倍の糖度を持っていた。それでいてのどの渇きも潤うという不思議な性質を持っていた。晴一朗は高エネルギー食を大量に取ったように頭のもやが取れて、体に力が戻っていくのを感じた。

「助けてくれたんですか……?」

擬人花はゆっくりとうなずいた。晴一朗はにわかに信じられなかった。特定変異種の植物が自分のことを、意志をもって助けてくれたのだ。人を助けるという高度な知能と、人をいつくしむという崇高な精神を目の前のモンスターは併せ持っていた。

「えっと、ありがとうございます。擬人花さん」

そういうと擬人花は首を振ってから鳴いた。

「スイ!」

「え、スイ? スイっていう名前なんですか?」

「スイスイ!」

擬人花は満足そうにうなずいた。完全に言語を理解しているようだった。

「そうですか、ありがとう。スイ」

コクコクとうなずくスイの頭を晴一朗はなでた。スイの頭はひんやりと冷たくやはり人間、それどころか恒温動物ですらないのだな、と晴一朗に実感させた。


「さて、サリナを探さないと」

スイのおかげで気力を取り戻した晴一朗は再びサリナを探すことにした。

「しかし、どこから探せばいいものか。スイ、ここらへんで女の子と怪しい男たちを見ませんでしたか?」

晴一朗はわらにもつかむつもりでスイに聞いてみた。するとスイはすっとさっきの食獣植物の花畑の方を指さした。

「あっちにいるっていうんですか?」

スイは二度うなずいた。

晴一朗はありとあらゆる可能性を考える男だ。スイのいうようにサリナが食獣植物の畑の先にいてもおかしくはないだろう。どうにかしてここを超える方法がもしかしたらあるのかもしれない。だが同時にもしかしたらあの食獣植物とスイが同じ種類の植物で、擬人花のほうが食獣植物に餌を運ぶ係をしているのではないかとも考えた。どちらにしても安全にこの花畑を超えないとならない。どうにかして方法を考えないとならないのだ。

考えがまとまらない晴一朗の手をスイは握り、誘導するようにその手を引っ張った。

「スイ、どうしたんですか?」

スイは食獣植物の花畑の方に晴一朗を連れて行った。

「スイ、そっちは危ないですよ」

晴一朗はスイに悪いが握られてた手を放し、立ち止まった。しかしスイはそれでも止まらなかった

「スイ、そっちはだめです」

晴一朗はスイの肩をつかみ止めようとした。しかしスイはその手をすり抜けて、花畑の前まですすみ、そして両手を前にかざした。

すると晴一朗の想像を超えることが起きた。さっきまであれほどあらぶっていた食獣植物が道を開けるように左右に倒れこんだのだ。

「モーセの海を割る奇跡みたいだ」

晴一朗は思わずつぶやいていた。

少女は振り返り

「スイスイ!」

まるでついてこいというように鳴いた。晴一朗はおそるおそるではあったが、スイの後ろをついていった。

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