4-3 ジャングルへ
その日のサリナは妙に張り切っていた。朝一番に外回りをしようと言い出し、晴一朗をジャングルの手前まで連れ出していた。
「ここは以前来たところとべつのところですね」
晴一朗は地図を見ながら言った。以前大きなリスを見たジャングルにはなんどか足を運んでいたが、そこと違う場所だった。
「うん、あのジャングルよりげに広大だね」
「本当にここに珍しい特定変異種がいたんですか?」
「うん、私が聞いた話だと黄金のカブトムシや金色の蝶がいたんだって。ジャパンでは昆虫標本って文化があるんでしょ? 見つけられたらきっととんでもないプライスがあるものなんだろうね」
「確かに金色のカブトムシなんて見つければ、マニアの方は高値で買い取ってくれるでしょうけど」
問題はそのカブトムシが量産体制に移せるか否かだなと晴一朗は考えていた。少なくとも雌雄を何セットか捕獲できないと話にならない。もしくはこの森ではそういうカブトムシがたくさんいればまた話は別ではあるが。
「晴一朗は昆虫標本ってやったことがある?」
「ええ、もちろん。ありますよ」
「そうなんだ。よしよし」
サリナは小さくガッツポーズをした。ジャパンの男は虫が好きだと聞いた、もし捕まえられなくても見つけることさえできれば、思い出になるはずだと。
しかしサリナは勘違いをしていた。別に晴一朗は虫好きなんかではない。小学生の時に夏休みの宿題として仕方なく昆虫標本を作っただけだ。
「けれどここのジャングルは車が通れそうな道がありませんね」
「あ、それは大丈夫。人が通れるロードは完備されているから」
サリナが指さす先には細いが立派な道が確かにあった。いったい誰が作ったものなんだと晴一朗は疑問に思った。しかしそれを口に出すことはなかった、そんな大したことでもないと考えたからだ。
「じゃあ、レッツゴーだね。頑張って発見しよう」
「はい、了解しました」
2人の考えは微妙にすれ違いながら、サリナは晴一朗の背中を押すようにジャングルへと入っていった。
2人は最新式の虫取りセットを持ってジャングルの中を進んでいった。正確には荷物のほとんどを持っている。サリナはというと地図を見ながら晴一朗を先導している。
「晴一朗。フォローミー、こっちこっち」
サリナは元気よくジャングルをかけていく。それでもスーツの晴一朗はゆっくりと進んでいった。
「このジャングルは全然大きな生き物がいませんね」
さっきからパチガン片手にうろついているのに、大型の動物をちっとも見かけなかった。それどころか鳥すらいない、見かけられるのは木々と虫くらいだった。
「だからきっと綺麗な昆虫がホームにしているんだろうね」
サリナは上機嫌に答えたが、晴一朗はどうも納得がいかなかった
「でも生態系の基本に反している気さえします」
「生態系のベーシック?」
「はい、樹木が茂るところには虫などの小動物が集まります。ここまではいいとして、その虫を食べに中くらいの動物が集まって、さらにそれを食べるために大きな動物が集まるのが生態系ってものです。だけどこの森はその法則に反している。もしかしたら森自体が特定変異種なのかもしれない」
晴一朗はなるべくわかりやすく説明したつもりだった、だけどサリナには今一つ伝わらなかったようだ。
「うーん、げに難解だね。でも確かな情報だし問題皆無だと思うよ」
「いえ、問題がないとかそういうことじゃなくてですね」
「あ、晴一朗。あと少しで目的地みたいだよ」
サリナが嬉しそうに指をさした。だが晴一朗にはうれしくない光景がそこにあった。
そこには崖があった。いやジャングルに10メートル程度の深い亀裂が走っているというほうが正確だろうか。崖下をのぞいてみると真っ黒い湖が広がっているのがわかる。
「ここでカブトムシがとれるんですか?」
「ううん、この対岸のフォレストにいるみたい。だからもう少しで到着だよ」
「そうは言っても、この崖を迂回するのは結構大変そうですが」
「ちょっとまってね、確かこの辺に。じゃーん」
サリナは気にかけられたロープを引っ張り出した。
「これでターザンすればあっという間につくよ」
「ちょっと待ってください。本当にこれで渡るんですか?」
「セイ、怖がってるの?大丈夫だよ。サリナが先に行くね」
「いえ、怖がっているとかそういうわけではなく」
晴一朗はたかだかジャングルで安全性が保たれているかわからないターザンをしろと言われたくらいで動じる男ではなかった。もちろん私生活でならしないが、それが仕事であれば仕方がないと割り切る男だった。万が一怪我をしても労災の申請をしつつ、病気療養を最大限取得し休養をとるだけだと考えるタイプの男だ。
だが今日は事情が違った、晴一朗はなんだか妙だと感じていた。サリナが手にしたロープが新しすぎたのだ。まるで昨日買った新品みたいだった。そもそも誰がこんなジャングルにロープをかけたのだ。人間が出入りするところとも思えない。
「じゃあ、セイ。先にいくね」
「ちょっと待ってください。サリナ、やっぱり迂回して」
晴一朗がそういっているそばからサリナの両足は空中に浮いた。
サリナはこの日気分が高揚していた。自分の力で晴一朗に贈り物ができると思っていたからだ。サリナは晴一朗に贈り物をしたくて仕方がなかった。というより大リスの一件の借りを返したくてしかたがなかったのだ。出来たら晴一朗の力になるという形で返したかったが、だけどこの変人は非常に優秀でそれがなかなか叶わなかった。
だからサリナは借りを分割で返していこうと思った。少しずつ晴一朗を喜ばせ、最終的に命を救ってもらった分くらいの借りを返す作戦だった。気の長い話になってしまうが、それを確実に行わないと自分と晴一朗の関係がフラットになることはないと思ったのだ。もちろん理由はそれだけではないが、サリナはその他の理由を簡単に認められるほど年齢を重ねていなかった
とにかく今日はその記念すべき第一歩めの日だと思っていた。だからうれしくて仕方がなかったのだ。したがっていつもなら簡単に気が付けることを見逃していた。気分が落ち込んでいる時でさえ気が付けたものに気が付けなかった。
サリナの足が空中に浮いた瞬間、対岸に三つの影が現れた。晴一朗にはそれがなにかすぐに分かった。
「サリナ!」
影はいつしか晴一朗たちを襲おうとしていた三人組だった。そして男たちはみんなボウガンを持っていた。
晴一朗は男たちに向かってパチガンを放とうとした。だが男たちのほうが行動が早かった。男たちはサリナに向かって矢を放ったのだ。
「きゃああああああ」
幸いにも三本の矢はサリナの体にもロープにも当たらなかった。だがサリナの体は真下へと落ちていった。サリナの悲鳴の後、水の音が聞こえた。
「サリナ! 無事ですか!?」
晴一朗は木に隠れながら、声を張り上げた。だが返事はない。崖の下は湖だった、まだ希望はある。
とりあえずこの男たちをどうにかしなくてはと晴一朗は再びパチガンを構えた。しかし男たちはもうこちらに向かってボウガンを構えていなかった。彼らは崖の下のほうへと駆け下りようとしていた。
晴一朗はここで大きな誤解を自分たちがしていることに気が付いた。奴らの狙いは金を持っていそうな自分だとばかり思っていた。しかしそうではなかった、やつらの狙いはサリナだったのだ。
「サリナ! 逃げてください!」
聞こえるかわからないが晴一朗は声を上げた。男たちはそれでもこちらを見向きもしなかった。
晴一朗は携帯を取り出しモンスター営業課の番号を叩いた。しかしつながらない。
「圏外……」
携帯の画面の隅に書かれた言葉を晴一朗は思わずつぶやいていた。
晴一朗は手を頭に当てて状況を整理しようとした。
現在の状況は
・サリナの身に危険が迫っている
・会社と連絡が取れない
・自分一人では救出できるか不明である
・場合によっては二重遭難になる可能性もある
こういった絶望的なものだ。
よって最も状況に即した行動は
・どうにかして会社と連絡を取る。
・一人で救出に向かうのは危険なので、助けを呼ぶ
・救出方法は上司と相談する。
社会人にとって重要なことは報告・連絡・相談のホウレンソウである。それに従えばこういう行動が最も望ましい。しかしサリナの身には確実に危険が迫っている、そんなに悠長なことをいっている場合ではない。
晴一朗は法律や会社の規律を守る男であるが、もっとも重視しているのは自分の道徳と合理性である。その上でサリナの生死がかかっている状況で、わざわざ会社に戻って、お世辞にも判断能力に優れていると言えない上司に指示を仰ぐのは合理性に欠けると考えたのだ。
晴一朗は携帯のアプリでデジタル時計をだしてそれをメモに収めた。事後報告になるが今から時間給の申請を取ることにしたのだ。これによって晴一朗は㈱ゼニーの社員ではなく、一人の人間としての行動がとることができる。
そして一人の人間としての晴一朗の行動は簡単だ。同僚のサリナを自分の意志で助けにいくのだ。ちなみにであるが晴一朗はサリナに特別な愛情を抱いているわけではない。むしろ何も思ってもいない。それでも晴一朗がサリナを助けようと思ったのは、晴一朗にとっては自身の他人の価値は対価であり、どちらが優先されるものでもないと思っているからだ。よって自分の可愛さに拾えるものを拾わないというのは彼の行動指針に反していた。
行動開始の時刻を正確に把握するため、晴一朗は再び時計をみた。その時に彼はあることに気が付いた。
「そういえば、今日は誕生日だったな」
その事実に対して、誕生日にこんな災難に遭い不幸だとか晴一朗は全く考えなかった。むしろ誕生日だから有休をとるのに理由が作りやすくなったなとしか考えなかった。
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