3-4 サーマゴール村の夕方
晴一朗にとってサーマゴール村は意外なことに満ちていた。
まず大の男性が日中暇してうろうろしているのに驚いた。逆にこれは㈱ゼニーのガラニア諸島支部が今後アルバイトを雇いやすいことを示していた。今はまだレールに乗ってはいないが大玉トウガラシなど栽培系の事業が軌道に乗った時に作業員として彼らを雇うこともできるという発見があった。
次に島の人たちの関係がかなり密であることも意外だった。よく村は閉鎖的などいうがそんなこと全然ないと感じた。
そして今日一番の驚きは今食べているランチである。サリナ任せであったためメニュー表が全く読めなかったが、晴一朗は『本日の魚』とうメニューを頼んだらしい。サリナ曰く今日はトビウオだということだ。トビウオといえば海面を飛んでいるように跳ねる魚である。実際に飛んでいるわけではなくあれはひれを広げて滑空しているだけである。
しかし、本当に偶然だが今日活きのいいトビウオがキッチンから逃げ出していた。ひれを羽ばたかせて空を飛び、そして晴一朗たちの目の前を通って窓から逃げ出していったのだ。トビウオが本当に飛んで行ってしまったのだ。一瞬しか見えなかったが姿かたちは日本で見るトビウオと変わらなかったのにも関わらずだ。晴一朗がそのことに驚いていたのにサリナはまるで興味を示さなかった。サリナどころかレストランにいた人誰も驚いていなかったのだ。いつもの光景のように捉えていた。つまりガラニア諸島の人々にとってなにが特定変異種なのか正しく判断できていないのだ。特定変異種と一口言っても変異がわかりやすいものからわかりにくいものまで多岐にわたる。だからこの島の人間は知らず知らずのうちに生活がモンスターに侵されているのかもしれない。また晴一朗は出された魚を恐る恐る口に運んでみたが、特に味に変なところはなかった。
いろいろな発見で頭がいっぱいになっていた晴一朗であったが、ふとランチ中サリナと一言も言葉を交わしていないことに気が付いた。サリナの方を見るとランチにまったく手を付けていない。
「食べないのですか?」
「あ、うん、ソーリー、セイ。食べるよ」
そうはいったものの進みが遅い、晴一朗はそんなサリナを見て昨日課長に言われたことを思い出していた。サリナが元気がないとかなんとかという話であった。晴一朗の感覚としてサリナはついさっきまで元気があった、だがここにきて急に元気がなくなった。ここから導き出せる結論は、サリナは村に来て疲れてしまったということだ。もちろん酒々井が意図していることとは違うが、晴一朗は完全に勘違いをしていた。
晴一朗の推理では一度村に視察に来ないとならなかったが、そのためにはサリナのアシストが絶対に必要になる。しかしサリナは村に来ると人々の対応に追われ疲れてしまうということを課長である酒々井は見抜いており、その伏線として晴一朗にサリナの元気がどうこうという質問を投げかけていたのである。実に名推理だ、なにも当たっていないというのが非常に高評価である。
そういうことであれば村から離れるというのが最も優れた行動なのであろうが、今日の仕事はあくまで村の視察である。サリナを気遣うというのであれば、村の視察を行いつつサリナの元気の出るような場所に行かないといけない。
つまり人が少なくて、それなりに気分がよくて、サリナの気分転換が出来るようなところだ。晴一朗はすこし考えたのち、サリナに声をかけた。
「サリナ、ここらへんで村を上から見ることができる場所はありませんか? ああいう丘みたいな」
晴一朗は窓から見える丘を指さした。
丘の頂上までの道路は整備されており、車なら案外あっさり到着することができた。運転しているのはサリナだ、昔よく行った場所だから案内できるといっていた。
「セイ、ついたよ。ここからならサーマゴール村を俯瞰できるよ」
「おー、すごい。絶景ですね」
「トーキョーに比べたら大したことないでしょ?」
「そんなことは決してないですよ」
確かにこないだまで東京の中心で働いていた晴一朗にとってはいわゆる百万ドルの夜景だとか見慣れていた。だがこのサーマゴール村の眺めはそれとはまったく違っていた。人々の暮らしがのぞけるような屋根屋根に、人の動き、そして村の向こうには延々と青々とした海が広がっていた。
「素敵な村だと思います」
「そうかな、狭い村だよ」
サリナはため息をついた。なるほど、ここにきてもサリナの気分は晴れないようだと晴一朗は考えた。こういう人気の少ない丘であれば多少は気分が改善するかと思ったが。この男は回り道ができない男だ、元気を出させるために直球でしか勝負をしない。
「サリナ、元気が出ないときはアウトプットがいいそうですよ」
あまりに唐突な言葉にサリナは気を使われていることに気が付かなかった。
「アウトプット?」
「はい。例えば汗をかくだとか歌うとか叫ぶとか、人に話をするだとか、そういった発散という行為でストレスというのは軽減されるそうですよ。ちょうどここ丘ですし、大声でさけんでも誰にも聞かれないと思いますので、どうぞ」
そこまで言うとサリナが噴き出した。
「ふふっ、やっぱりセイはストレンジマンだ」
叫ぶといっても、誰も聞かないといっても目の前に晴一朗っていう人間が自分のことを凝視しているだろうに、晴一朗は自分を人としての頭数に入れていないのかと思うとおかしくなったのだ。
「トークか。セイ、ちょっと聞いてくれる?」
「ええ、聞くだけですよ。どうぞ」
サリナはひとつ息を吐いてから話し始めた。
「サリナにはビッグブラザーがいたんだ。ライサって名前だったんだけどね」
「ナイスなガイだったよ。堕落した自由人が多いこの村で厳格で優和で。ライサ・サーマゴールといえば次期村長とまで言われていたんだ」
「だから私にとっては自慢のビッグブラザーだった。だけど二年前にロストしたの」
「ジャパンでは確か蒸発って表現するんだっけ。置手紙を残していなくなったんだ」
「手紙には『このアイランドに退屈した。海を越えて違う国を目指す』って」
「それはアイランドから出ていくひとはいたけど、そうやってアイランドを捨てるようにいなくなる人はいままでいなかったんだ。このビレッジではみんながみんなをファミリーだと考えているから。だからみんなライサに捨てられたって思った」
「だけどみんな捨てられたのがショッキングだったのか、ビッグブラザーを悪くいうようになったんだ。あいつは悪党だって、極悪人だって。それでサリナのペアレントも悪くいわれるようになった。有能な若人を極悪人に仕立てあげただめな人間たちだって」
「サリナは悔しかった。本当に真にげにくやしかった」
「サリナにとってはビッグブラザーもペアレントも素敵で大切な人なのに、悪く言われるのが許せなかった」
「だからサリナが偉くなってやろうと思った。ちゃんとしたワークについて、村で一番の立派な人になろうと思った。そうしたらサリナのペアレントも悪く言われなくなるんじゃないかって」
「頑張って勉学したんだ。英語と日本語を話せるようになれば、通訳の仕事がもらえるって聞いて毎日勉学した。ジャパンでは蛍雪の功っていうらしいね」
「だからセイたちと一緒にワーキングできるようになって本当にうれしかったんだ。日本人と一緒に仕事、日本のビッグカンパニーの一員。サリナが知る限りこんなに立派な仕事をしている人はこの村にいないと思った。これでビッグブラザーとペアレントは悪く言われない。立派なサリナのファミリーだから立派って言われるかと思ったんだ」
「でもサリナの考えは甘々だったみたい。今日聞いちゃったんだ。村の人が『サリナは立派なのにビッグブラザーとペアレントは本当にダメな奴らだ』って」
「聞こえたのはそれだけだったのに、奈落の底に落とされたような気がした。ウェルカム ヘルって感じだった」
「サリナ頑張ってたけど全部無意味みたいだったんだ。ワーキングでもミスタスガヤの言及するように全然セイの役に立っていないし、もうやめちゃったほうがいいのかな」
サリナはその場でうずくまるように小さくなってしまった。
晴一朗はなんの相槌も打たなかった。前言したように聞くだけに徹していたからだ。だけど小さくうずくまるサリナを見て、さすがに何か声をかけるべきだと思った。
「サリナ」
サリナは答えない、もう一度声をかける。
「サリナ。顔を上げてください」
しかし顔を上げたサリナは怒ったように眉間にしわを寄せていた。
「セイ、ちょっと待って」
そういいながら近くにあった石を拾い、全力で藪の方向に投げた。ぎゃんという悲鳴とともに三人の男が現れた。
サリナは素早くパチガンを構えた。
「ゲッタウト!」
ゲッタウト、立ち去れという意味の英語だ。男たちはしばらくこちらをにらんでいたが、走り去っていった。
「今のは?」
「隣の村の悪ガキたちだよ。名前は知らないけどね。たぶんジャパニーズはお金を持っているから、セイを鴨葱にしようと思ったんじゃないかな」
サリナはパチガンを腰にしまった。
「でも、セイならこれくらいのトラブル自分でなんとかしてたよね、ごめんね、余計なことして」
サリナは卑屈になっていた。さすがに晴一朗も大の男三人に急に襲われていたら対応が難しかっただろう。サリナがいなかったら先制することもできなかったわけであるし、晴一朗は本心からサリナがいて良かったと思っていた。
晴一朗はその気持ちを感謝の言葉として伝えるべきだと思った、なにより自分が完璧な人間だと誤解されては、サリナと自分とで『晴一朗という個体のスペック』での認識の差が生まれ仕事に支障が出ると考えたからだ。
そしてそれを声に出す直前、晴一朗は課長に言われたことを思い出した。『今日はなるべく笑顔で過ごせ』だ。晴一朗は今日少しも笑顔になっていない、笑うタイミングがなかったからだ。ならばここで笑顔を作っていれば課長からの宿題もクリアすることになる。
晴一朗はなるべく笑顔を意識しながら言った。
「そんなことはないですよ、サリナ。僕はサリナが一緒にいてくれて本当に良かったと思ってます。いつもありがとうございます」
晴一朗は無表情な男である。いつも無表情な男が急に笑顔を作ればそれはぎこちなくどこか不気味なものになってしまう。
だが晴一朗は仕事に対してはいつも全力で完璧にこなそうとする。上司が笑えと言えば、完璧な笑顔をする。サリナに向けられたスマイルは、まるでアイドルがするようなさわやかですがすがしくそして甘いものだった。
その笑顔を見た途端、サリナには電流が走った。サリナにとって晴一朗は不愛想で誰に対しても無表情で、いつもつまらなそうにしている変な奴だと思っていた。だがそんな男が自分と二人きりの時に飛び切り甘い笑顔で微笑んだのだ。その笑顔は自分にだけ向けられた特別なものに思えた。
サリナは自分の体が熱くなっているのを感じ、そして自分の体が熱くなるという事実が信じられないという気持ちだった。彼女は顔を隠すように晴一朗に背を向けた。
「サリナ落ち着いて。コームダウン、コームダウン。冷静に。ビークール。違う違う、絶対に勘違いだよ」
サリナは呪文のようにぶつぶつと言っていた
その時ふいにまた誰もいないはずの丘から物音が聞こえた。サリナは頭がいっぱいで反応できてなかったが、さっきの連中が戻ってきたのかと晴一朗は胸元にあるパチガンを触った。
しかし目の前に現れたのは男ではなく、少女だった。いや正確には少女でもなく、植物だった。
「擬人花。サリナ、ヒューマンフラワーですよ」
「え、本当だ」
それは白いワイシャツを着た擬人花だった。晴一朗が初めて出会ったそれだ。そしてそれは2人を気にすることもなく丘の先まで進み、そして歌いだした。
それはこの島の言葉でも、英語でも、もちろん日本語でもない歌だった。いや言語というものですらないのかもしれないが、とにかく美しい音色だった。
「擬人花って歌うんですね」
「うん、なんで歌うのかはわからないけど、この子たちはよく人前でシングするんだよ。島の神様に捧げる祝福のソングっていわれてたりするよ」
「素敵な歌ですね」
「うん、本当に助かったよ」
サリナは良いタイミングで擬人花が来てくれたと思った。これで自分の顔が赤いのがばれない。このまま黙って聞いていようと思った。
擬人花の歌声は風に乗って流れていく、晴一朗とサリナはその幻想的な空間に身を任せていた。
しかしその歌声を聞いたのはサリナたちだけではなかった。さっきの三人組の一人がまだ残っていたのだ。そして彼は携帯電話を取り出した、最近ある人物にもらったまだ新品同様の物だった。
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