3-2 職場
晴一朗たちの、仕事は基本的に調査だから外回りであるが、雨の日は室内で作業をしていた。雨の日でも外に出て調査をすれば、雨の日にしか見つからないモンスターも見つかりそうなものだが、島には舗装されていない道路が多くぬかるみにはまってしまえば脱出できなくなるという理由で晴一朗は雨の日は室内で作業すると決めていた。
ただ室内にいるからといってさぼっているわけではなく、晴一朗にはすることがたくさんあった。今までの見つけたモンスターの記録の整理、分類、モンスターの3Dマッピング、取ってきたサンプルの解析、そして最近ではホームページの作成といったものまで追加された。だからといってこれらは期限が決まっているわけではないので、晴一朗にとって重荷にはなっていなかった。むしろ彼の処理速度からすれば大して仕事がないくらい考えていた。
しかしサリナはそうではなかった。サリナは雨の日にすることがほぼなかった。そもそもサリナは道案内と通訳の仕事を任されているのだ。事務作業をすることが契約には盛り込まれていない。あまりに暇だから晴一朗の仕事を手伝おうをしたが
「サリナは雨の日の急な来訪者の通訳などの対応が仕事であって、基本的に待機でいいんですよ」
と言われてしまった。晴一朗もサリナに適当な仕事をふればいいものをそんな気が回る訳もなく、むしろ契約外の仕事をさせるわけにはいかないという風に考えていた。非常に杓子定規な性格、つまり晴一朗はそういう男なのだ。
「セイー。なんか手伝うことないのー?」
お茶くみにも飽きたサリナは晴一朗の机に引っ付いている。
「だからありませんよ。以前も言いましたが」
「些事なことでもオーケーなんだけど」
「仕事に大きいも小さいもありません。そういう意味で言えば今僕がしていることとサリナの待機は同じくらい重要なんですよ」
「そう言及しないでさー」
サリナはしつこく仕事をねだっていた。晴一朗は気が付きもしないが、サリナは実は焦っていたのだ。それはこないだの大リスの一件以来ずっとであった。
サリナの仕事は道案内と通訳であるが、サリナ自身はそれだけではなくこの平和ボケした三人組、つまり老人の酒々井、デブの菅谷、変人の晴一朗の護衛も自身の仕事だと考えていた。この島は自分が生まれる前から危険にあふれている、だからこの三人が島で危険な目に遭わないようにしてあげるのが自分の最も重要な仕事だと考えていたのだ。
それだというのにこないだは自分のミスで晴一朗を危険な目に遭わせ、その上守るどころか逆に守られてしまった。これはサリナにとっては屈辱的なことであった。それ以来どこかで汚名返上のチャンスをうかがっていた。ちなみに晴一朗は大リスの一件なんて少しも気にしてはいなかった。
「セイ、何か困ったらファーストに私に言うんだよ」
サリナはしばらく粘っていたが、晴一朗が仕事に熱中しているので諦めて自席に戻っていった。
昼前になり、ガラニア諸島支部の扉が開いた。
「うぃー、戻りましたー」
「お疲れ様です。先輩」
「ぶふ、おつおつ、晴一朗ちゃーん」
戻ってきたのは菅谷だった。菅谷は晴一朗と違い毎日必ず外に出て、ほぼ同じ時刻に帰って来ていた。それこそどんなに天候が悪い日でも必ずである。しかしこれといった成果を持ち帰るどころか、どこに行っていたかも話したりしなかった。
「ブフ、ひどい雨だったよ。晴一朗ちゃんはデスクワーク? なにしてんの?」
菅谷は晴一朗をちゃんづけする程度に親しみを持つようになっていた。菅谷は晴一朗が変人だから気に入ったのだ、それは自身と同じカテゴリの人間であるという風に考えたからというのもある。
「今は3Dマップでモンスターの分布を作成しています」
晴一朗は短く答えた。菅谷に気に入られようが、なんだろうが晴一朗にとっては関係ないことなのだ。
「ほー、たくさんドットが付いてるね。このドットがモンスターのいたところ?」
菅谷は晴一朗のパソコンを覗き込む。
「はい。出先でモンスターを見つけた場所でGPSデータを確認していますからほぼ間違いありません」
「おもしろいね。こんなことして何になるの?」
「このマッピングを利用した事業プランはすでに考えてはいますが、それ以前にデータ化することで新たなビジネスチャンスが開けるものだと、自分の前の部署の課長はよく言っていました」
「ぶふ、なるほどなるほど。データ化することで現状を可視化するってことか。晴一朗ちゃんはすごいねえ」
遠巻きに2人の会話を聞いている酒々井はパソコンに顔を隠した。耳が痛い限りである。
「これ見る限りいろいろなモンスター見てきたみたいだけど、晴一朗ちゃんにとっては何が一番記憶に残った?」
晴一朗は仕事に集中したかったが、菅谷は話しかけ続ける。晴一朗は諦めてパソコンから菅谷のほうを向きなおした。
「あいにく写真はないんですが、ヒューマンフラワー、擬人花が一番印象的でした。あんなに美しく生き物を見たのは初めてだったのに、それが植物というか人間じゃないっていうのにひどく驚いた記憶があります」
菅谷の眉はかすかに動いた。
「ぶぶ、晴一朗ちゃんもあれ見たんだ。どこで見たの?」
菅谷の眉間にはしわが寄っている。
「今まで、二回ほど見たんですが。初めて島に降りた日と、つい先日自分のコテージの近くでですね」
「ブフ、なるほどなるほど。ヒューマンフラワーは気に入った人間のとこにはたびたび現れるっていうから、もしかしたら晴一朗ちゃんが気に入られたのかもね」
「そういえば、島に最初に降りた時にお菓子をあげたので、それが一因なのかもしれません」
「へー、そうなんだ。へー」
菅谷は笑みを押し隠すような表情をした。晴一朗がそれに気が付くことはなかったが、菅谷の口角は痙攣していた。
「でもさ、晴一朗ちゃん。ヒューマンフラワー程度で驚いてたらだめだよ。この島にはもっとすごいモンスターがたくさんいるんだ。なんだっけ、こんどサーマゴール村でやるあの祭り、大岩祭りだっけ? それにもすごいのが出るよ。そういえばあれの出席者って今年は晴一朗ちゃんでいいんですよね、課長」
菅谷は酒々井に向かって声を投げかけた
「あー、あれね。うん、晴一朗君でいいんじゃないかな」
「大岩祭ですか?」
「島の言葉でアイシャルナっていうんだよ。毎年やるフェスティバルで村の連携を厳格にするためにやってるんだよ」
サリナは気が付いたら晴一朗のとなりに立っていた。
「ぶふ、前衛的でくだらない祭りだよ」
「くだらなくなんてありません。厳格でヒストリーのあるフェスティバルです」
今日こそ我慢ならないといったように、サリナは菅谷に詰め寄ったが、なにか気が付いたように一歩後ずさった。
「ミスタスガヤ、また甘いフレーバーですね」
サリナはあきれ顔で言った。菅谷は帰ってくると必ず甘い香りを漂わせいていた。その匂いの原因は香水であるとサリナは考えていた。そしてこの島で香水をつける人間なんて一部を除けば水商売をしている人間だけだった。
「はー、なにいってんのこのガキは」
「ガキじゃないです。この島ではちゃんとアダルトのエイジです」
サリナは口には出さないが、菅谷が仕事をさぼりそういう店に通っていると信じていた。を村もはずれにも一応そういう店はある。いい匂いなのだが、そう思うと吐き気がした。
「いや、だってガキじゃん。こないだだって晴一朗ちゃんの足をひっぱたんだろ。正直晴一朗ちゃん優秀だし、君みたいなへっぽこ通訳いらないんじゃないの」
「ぐ、こないだは確かに失敗しましたけど、挽回するつもりです」
「はー、そんなチャンスあると思ってるの? いいよな、子供は仕事しなくてすんで」
サリナは歯を食いしばった。殴りかかってやりたかったが、ここで手を出してしまえば今の仕事を失われるってことは理解していた。彼女にはどうしても仕事が必要だった。だが言われっぱなしも悔しい。何か言い返してやろうとした時にサリナの目の前は真っ黒な壁が現れた。
「先輩、お言葉ですが」
その壁は晴一朗だった。彼は2人のちょうど間に立った。
「人間の主義主張なんて食い違うものです。どんなに話し合っても並行に走ることはありません。ましてや先輩とサリナでは生まれた国が違います。根本の常識が異なるのです。だからここでいくら議論しても無駄です。生産性がありません」
サリナにはいっていることがよくわからなかったが、自分をかばって言ってくれているんだろうと思った。だが晴一朗は本当に機関の生産性が落ちることを気にしているだけだった、彼にとって口喧嘩なんか時間だけ浪費する無意味なものだったのだ。
「ブフ、晴一朗ちゃんはかっこいいねえ。そんな無能をかばうなんて。雨の日なんかなんもしてないじゃん」
そういうお前は雨の日どころかいつも怪しい店に入り浸っているだろとサリナは叫んでやりたかった。
「たとえ雨の日でもサリナは無能ではありません。彼女の仕事は通訳です、ここに在中して通訳の機会を待っているんです。仮にそれがなかったとしても、これは男女差別になるので言いたくありませんが、同室内に若い女性がいるだけでストレスの緩和になるという論文も発表されています。よってサリナがいるだけで仕事の効率が上昇しているはずです。よろしければ写しを先輩に提出しますが」
晴一朗はなんの感情を持たずに答えた。彼にとっては別に事実を述べただけだった。だがその背中はサリナにとってすごく大きなものに感じた。
「はいはい、そこまで」
酒々井は手を叩いた。
「菅谷君はちょっと資料室に行って、資料を探してきてくれ」
「ブフ、わかりました」
菅谷はニタニタと笑いながら奥の部屋に行った。探す資料なんてなく、ちょっと奥に行っていろという課長の指示を正確に理解していた。
「晴一朗君、ちょっと給湯室までついてきてくれるかな」
だが晴一朗は菅谷ほど気の利いた男ではない。
「なぜ給湯室に課長と二人で行く必要性があるのでしょうか」
今一つ状況を理解していない晴一朗をつれ酒々井は給湯室でコーヒーの準備をしていた。
「晴一朗君は、最近のサリナさんをどう思う?」
「よく働いてくれていると思いますが」
「そうじゃなくて、元気ないと思わないかい?」
「いえ、いつもサリナは元気いっぱいだと思います」
「ちょっと元気にかげりがあったりしない?」
「しません。あったとしてもパフォーマンスが低下するほどではありません」
「じゃあ。仮にサリナ君が元気なかったらどうしてあげればいいと思う?」
「それは我々がどうこう言う問題ではなく。サリナ自身で解決すべき事柄なのではないでしょうか?」
ここまで話して酒々井は頭が痛くなった。この男はなにも理解していない。さっきサリナを助けていたように見えたが、自分の本心を淡々と話していただけだ。ロボットには人の心がない、だったら直接的に言うしないだろう。
「晴一朗君、命令だ。明日サーマゴール村に行き、サリナ君と一日中好きなところでぶらぶらしていなさい」
明日も普通に出勤日ではあり、こういう遊びみたいなのは休みの日にいってもらいたいものだが、酒々井も最近晴一朗のことを理解してきていた。この男が自分のいうことを聞いてくれるのは平日だけだ、しかも朝の8時半から夕方の5時まで。
晴一朗はすこし考え込むような顔をしてから、答えた。
「了解したいしました」
その返事を聞いて酒々井はようやくほっとした。晴一朗も状況を理解することができたのだろう、と。しかしそれは大きな勘違いである。
「なるべく、明日は笑顔で過ごすんだよ」
「了解いたしました。最善を尽くします」
晴一朗は上司の命令され、それが自分のルールに反しないものであれば、基本的にノーとは言わないのだ。笑えと言われれば笑うし、泣けと言われれば泣く。だから晴一朗は明日の仕事の内容がサリナを元気づけることだとはわかっていない、そういう難しいことははっきり言われないとわからない、つまり晴一朗はそういう男なのだ。
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