第4話 燻る硝煙やがては銃声

 それからというもの、アイディは蔵持 弾三くらもち だんぞうと名乗る老人の下で蕎麦の打ち方や切り方、人と接する際の会話術を習い、蕎麦屋の孫という身分でエウロ地区を渡り歩いた。蔵持は絶えずアイディと言葉を交わした。彼の思想、趣向、感覚はアイディにとっては新鮮そのもので、ただひたすらに聴き入る日もあれば、たどたどしくもアイディ自身の言葉で話す時もあった。その様子を、蔵持はやさしく見守っていた。数日が過ぎた頃、アイディは覚束ないながらも客に蕎麦を振る舞える様になっていた。

 ご馳走様、美味かったよ。と客から声をかけられた時、アイディはえも言われぬ嬉しさを感じていた。終いにはこのまま蔵持と共に蕎麦屋として暮らそうかとまで考える様になっていた。やがて客が蕎麦を食べ終え、河川敷に立てた屋台を去った。日も暮れようとして町にはぽつぽつと灯りが点り始めていた。場所を変えようと蔵持がアイディに提案する。アイディは頷いて湯を沸かしていた火を消し、蔵持は笊やら鍋を洗いに川表に行った時であった。

 一人の旅人らしき者が、アイディの下へと歩み寄っていた。古びた外套をまとい、顔は判然としなかった。アイディは火を消すと腰布と頭巾を外し、椅子やら暖簾を片付けていた。近寄って来る者に気が付いた時には、既に外套からハッキリと拳銃が見えていた。

天壌寺てんじょうじの命令だ、来てもらうぞOs-1110オーエスイレブンテン

 サプレッサーを通った弾丸がアイディの左腕を穿った。突然の事に思考が追い付かなかった――アイディは半ば本能で“太陽”を放った。灼熱の光球が射手を襲うが、燃え散ったのは外套のみであった。華麗に宙を舞い、降り立った射手は年端もいかない少女であった。呻くアイディに少女が名乗る。

「私はブレット――とでも名乗っておこう。お前と同じOutsiderだ。おとなしくついて来るのならすぐにその左腕も治療してやろう」

「嫌、です――」

「抵抗すれば、撃つ」

 言うより先に、ブレットと名乗った少女が宙から二丁の機関砲を造り出す。粒子が固体を造り、固体は金属の体を成し、M61バルカンよろしく、戦闘機や艦艇が装備する程度の機関砲となったのだ。

「弾は、ゴム弾ぐらいにしておいてやる。目が覚めた頃、お前はあおやしろの中だろうさ」

「絶対に、戻らない!」

「抵抗か、良いだろう――喰らえ」

 ブレットの機関砲から弾丸が飛び散る。アイディは素早く屋台から距離を取り、横っ跳びの体勢で光球を放つ。ブレットもまた素早く側転で避けると更に機関砲を連射した。騒ぎをいち早く聞きつけ、蔵持が川表から戻って来たが、既に戦闘は激化しており、蔵持は事の次第を見守るしかなかった。ブレットは弾を放つ程、徐々に顔が紅潮していく。

「避けろ避けろ、いつまで持ち堪えられるか――弾切れなんて期待するなよ。これは全部ウィルスの死骸製だからな、ほぼ無尽蔵と言っていい」

 仏頂面であった――無論仕事柄でもあるのだろうが――彼女の表情に笑みが混じる。愉悦を感じているのだろう。反対にアイディの顔は苦渋に満ちていた。出血の量が多くなってきている。弾丸の雨は止まない。思わず、河川敷の芝――そこに流れ出た自身の血に足を取られてしまった。

 銃弾が脚に命中する。貫通こそしなかったもの激痛が走り、アイディは声を上げた。

「おぉおぉ、なかなか好い声だ。次の弾は実弾にしてやろうか。雀の様に躍るお前を見るのも飽きた事だし、次は歌でも歌ってくれよOs-1110イレブンテン

 蔵持の、アイディを呼ぶ声が遠くなっていく。動いたらお前も只では置かないと言う様なブレットの、蔵持を制止する声も又遠くなる。死んでも蒼い社になど戻るものか――アイディの激痛は、眠っていた過去を呼び起こすのには充分であった。

 暗闇の中、か細い声で誰かが彼の名を呼ぶ。それは少女の様であった。ぼろをまとった傷だらけの少女の様であった。


「アイディ……」

「……誰ですか」

「まだ、ダメよ」

「ダメ? ……」

「生きて……私の為に」

「あなたの……!」


「歌えってんだよ!」

 怒号によって我に返ったアイディはすかさず、射程内に踏み入っていたブレットの右手ごと、機関砲を焼き斬った。血潮が迸り、返り血がアイディを染める。今度は自身が吼え上げる事になったブレットは容貌も峭刻しょうこくに彼を睨み付けた。

「てめぇえ――私の右手をよくもぉ……」

 残った左手が対戦車擲弾発射器パンツァーファウストを生み出す。血走った目でアイディを狙い放った擲弾は一直線に飛び、炸裂したかに思われたが、果たして擲弾は音もなく消え去った。辺りには硝煙と土煙が立ち込めるばかりである。

「馬鹿な!?」

 見ると、煙の中から現れたアイディの手には一振りの棒状の物体が握られていた。切先のない剣の様な。これがブレットの機関砲と右手を焼き斬り、擲弾を消し飛ばしたのであった。

 自身の矜持を踏み躙られたブレットのかおは益々憤怒の色に歪む。右手の苦痛など感じなくなるまでに。対するアイディの顔は冷酷なまでに静謐を湛えていた。表情とは裏腹に熱く光り輝く“太陽”の剣を右手に携え、傷を負った左手の出血は止まっている様にも見えた。

「小癪なぁあぁ……」

「次は手加減できません」

「ナメんなぁ!」

 今までよりも更に速くそれは造り出された、否、造り換えた。ベネリM3の様な散弾銃を、彼女は驚くべき事に自分の右前腕ごと造り換えたのであった。大喝一声、散弾銃をセミオート機構で乱射した。


 ――ほぼ全てであった。アイディを狙った散弾はほぼ全て焼き払われた。跡には剣を彼女の眼前に向け、対峙するアイディが居るばかりであった。じりじりとブレットの前髪が焦げて縮れていく。彼女の慙恚ざんいの眼に悔恨の涙が零れ落ちる。運命はもう解っていたはずだった。

「行ってください」

「……」

「僕の前から消えてください……じゃないと、本当にあなたを殺します」

「殺せよ……嫌だってか? とんだ甘ちゃんだな」

 二人はお互い睨み合ったまま、動こうとはしなかった。夜の闇が二人の戦いの跡に暗く影を落とし、“太陽”の剣が、ぽうっとブレットの顔を照らした。

「あなただってOutsider《アウトサイダー》じゃないですか」

「それがなんだ」

「同じ――Outsider同士、どうして戦わなきゃならないんですか?」

「仲良く手を取り合って愛を語ろうってか? 夢見てんじゃねぇよ」

「消えてください!」

「Outsiderだって人間だってどっちだって変わりゃしねぇよ! 憎けりゃ誰だって殺すし、利用できるなら誰だって利用すんだよ――〈私ら〉はそんなもんだろ」

 アイディの剣がブレットの左肩を突き刺した。ブレットの悲鳴がこだまして、それに呼応するかの様に、違う、違うとアイディが泣きわめき始めた。

「僕らまで、お互いを憎んだら――僕らは、どうなっちゃうんですか……」

「そこまでだ! Outsiderども!」

 男の声がアイディの耳に入ってきて、更に辺りが急に明るくなった。声の方向に向き直ると、周辺住民の野次馬と騒ぎを聞きつけた蒼い社の人間たちが河川敷に集まっていた。照明が焚かれ、人々が続々とやって来ていた。辺りを見回すと、蔵持が居ない事に気が付いた。アイディは蔵持を捜そうとするが、蒼い社の対策員たちがこちらに向かって歩いてくる。

 アイディは、逃げるしかなかった。独り、傷つきながら、まだ人の少なかった川の対岸の方へ走った。生の渇望、蒼い社への恐怖、遠目でもわかる人間たちの奇異の目からの逃避――

「本部へ連絡、Outsider一名逃亡」

「隊長。確保したOutsider一名、G.G.ブレット様と判明しました」

「押さないで! 一般人は退避しなさい!」

 左手からは、また出血が始まっていた。足の痛みもまだ引かない。泣きながら辿り着いた川面に足を踏み入れ尚も対岸へ向かった。しかし川底の石に足を取られたアイディは転倒し、川の流れに逆らい切れぬまま、流されてしまった。蒼い社の対策員たちがアイディの入った川面と、対岸に辿り着いた時には既にアイディの行方がわからなくなっていた。

 その様子を見ていた者が一人、密かに下流へと向かって行った事は、誰も気が付かなかった。ただ、美しい毛並のロシアンブルーが一匹、“彼女”の方へと歩いて行っただけであった。

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